ファッションの力で社会に ポジティブなインパクトを

ファッションの力で社会に ポジティブなインパクトを 写真提供:Robert Lawrence

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2020年3月号『美しき開拓者』に記載された内容です。)


国連貿易開発会議(UNCTAD)では、ファッション業界を世界ワースト2の汚染産業とみなしている。UNCTADによると、毎年930億立法メートルという、500万人のニーズを満たすのに十分な水を使用し、約50万トンものマイクロファイバー(石油300万バレルに相当)を海洋に投棄。

炭素排出量を見ても、国際航空業界と海運業界を足したものよりも多い量を排出しているという。さらに廃棄問題や化学物質による汚染と健康被害、人権問題など、この業界が与えるあらゆる影響が疑問視されている。


一方、世界経済フォーラム(WEF)の調査では、ミレニアル世代の約50%が世界規模の問題のなかで気候変動が最も深刻だと考え、さらに彼らより若い1990年代後半から2000年代にかけて生まれた「ジェネレーションZ」の約90%は、企業は環境問題や社会問題に対応する責任があると考えているという報告もある。


ソーシャル・アントレプレナーの誕生

そんななか、こうした問題が表面化するずっと以前から、ソーシャル・ビジネスに取り組んでいる日系二世兄弟がいる。彼らの名前は、井上聡(上写真左)と清史(同右)。南米アンデス地方の貧しい先住民たちとつくったニットウェアを中心とする「The Inoue Brothers…(ザ イノウエブラザーズ)」のデザイナーだ。


ふたりは、世の中に責任ある生産方法に対する関心を生み出すことを信条に、生産の過程で地球環境に大きな負荷をかけない、生産者に不当な労働を強いないエシカルな服づくりを10年以上続けている。


井上兄弟は、デンマークのコペンハーゲン出身。兄の聡は地元を拠点にグラフィックデザイナーとして、弟の清史はロンドンでヘアデザイナーとして現在も活動しており、そこで得た収入の多くをThe Inoue Brothers…の運営に費やしてきた。


彼らが、同名のアートスタジオを設立したのは2004年。2000年代初頭といえば、欧米でソーシャル・デザインが一種のムーヴメントになっていたころだ。ふたりも、そんな周囲の活動に感化され、社会貢献を目的に起業したものの、やるべきことがなかなか見つからず、長い間、思い悩んでいたという。


アンデスの衝撃

転機が訪れたのは、2007年。NGO経験のある聡の古くからの友人に案内され、初めて訪れたアンデス地方で目にした、ある光景がきっかけだった。アルパカ繊維の素晴らしさに心が震える一方、それを飼養する牧畜民たちの過酷な環境を目の当たりにしたのだ。


しかも、その重労働に従事する人たちにとって、アルパカの毛を売ることが生計を立てるための希少な手段であり、多くの人たちが 将来の展望を描けないまま、貧困に苦しみ、さらに 尊重されないことにも悩んでいた。


だが、ふたりにとって衝撃はそれだけではなかった。そこに暮らす人たちは、貧しくても笑顔を絶やさず、力強く生きていた。その姿が、物質的な豊かさや、経済成長こそが幸せだとする、欧米的な価値観のなかで育ったふたりにはたまらなく眩しく見えた。


本当の豊かさや幸せとは何なのか。そんな“生きる力”の根源が知りたかった。ファッションブランド、The Inoue Brothers…の誕生の瞬間だった。


いかにして井上兄弟は生まれたか

幼いころ、デンマークでいじめの標的になり、人種差別の不条理に苦しんだ。社会変革に情熱を傾け、生涯をかけて闘い続けるアクティビストへの憧れは、思春期に亡くなったガラス作家の父親から植え付けられた。


そして、ある有名スポーツブランドが委託する東南アジアの工場で、低賃金労働や児童労働、強制労働などが発覚したことで、グローバリゼーションによる大量生産・大量消費社会に疑問を抱き、それがいつしか不条理や不公平な社会に対する反発心や反骨心を育てていった。


大量生産・大量消費社会への反対意見を言うと、それを止めたら企業活動が成り立たず、雇用が維持できないという議論に行き当たる。そして、消費しなければ経済が衰退するという声まで上がる。でも、果たして本当にそうなのだろうか。


グローバル化が進んだ現代では、人々は大量生産された安価な商品を求めるように購買欲を刺激する広告によって誘導され、世界中どこでも同じ画一的な価値観を刷り込まれてしまう。しかも、そうした商業広告や消費文化の氾濫は、それぞれの地域社会が培ってきた人々の営みや固有の文化、自然とのつながりを破壊し、時に自尊心さえ奪う。


そこまでして消費を急き立てられるのは、そうしないと成り立たないのがこのシステムの限界でもあるからだ。だからこそ、それに代わるシステムをつくり出すのが、自分たちの世代に課せられた役割なのだと、井上兄弟は言う。


チャリティではなく、ビジネス

とはいえ、ふたりともファッションにおいてはまったくの素人だった。当初は、思い通りの商品ができないばかりか、単純な発注ミスから、コミュニケーション不足による行き違い、さらには予定していたスケジュールに間に合わない、しかも売れない。失敗の連続だった。すぐに資金繰りは悪化し、次第にふたりは追い詰められていく。


それでも彼らは「チャリティではなく、ビジネス」にこだわった。原毛の調達だけでなく、生産まですべてアンデス地方で行うと決めたのも、最高のものづくりをしているという誇りが、本当の意味で現地の人たちの自立を促すと考えたからだ。


初めてこの地を訪れてから4年。ずっと手探り状態で服づくりを続けてきたふたりの運命を大きく変えたのは、ペルーの辺境、プーノにあるパコマルカ・アルパカ研究所との出合いだった。


この実験農場の所長だったアロンゾ・ブルゴス氏は、最新の科学技術と獣医学をもとに純血度の高いアルパカ育成の活動を続け、アルパカ繊維の品質向上に努めるだけでなく、アンデス地方の民族文化を保護し、再生するサステイナブルな環境をつくる活動を行っていた。


そしてブルゴス氏は、先住民たちの生活水準を引き上げるためには、教育や支援が必要だという考えをもっており、井上兄弟とは初めて会ったときから通じ合うものがあった。


そこでブルゴス氏の指導のもと、ふたりは中間マージンを極力カットし、消費者にはよりリーズナブルな価格で製品を提供し、生産者にはより多くの利益をもたらすことのできる“ダイレクトトレード”と呼ぶやり方に着手する。


世界一のクオリティを目指して

パコマルカ・アルパカ研究所の協力もあり、井上兄弟は2年がかりで世界でも類を見ない高品質のアルパカウール素材「シュープリームロイヤルアルパカ」を完成させる。これは純血アルパカのファーストカット、セカンドカットからしか採れない素材で、わずか17~19マイクロン(繊維の太さを測る単位)ほど。


トップメゾンと呼ばれるラグジュアリーブランドが使用するベビーアルパカが21~23マイクロンであることを考えると、世界最高峰といえる品質だった。


さらにその後、絶滅寸前にまで追い込まれていた黒いアルパカを、広大なアンデス中を回って探し出し、世界で初めて一切染めていないナチュラルブラックのアルパカ製品を発表。これには約3年を費やしている。


時代が猛スピードで動いていて、ものごとの価値がどんどん変わっていくなか、井上兄弟の活動は恐ろしくアナログでスローに感じられるかもしれない。しかし、生産の量やスピードよりももっと大切なことがある。ふたりは、そんなつくり手たちの魂のストーリーを伝えたかった。


アンデス高地の牧畜民から、売場までを直接つなぐ。これは原材料の調達から生産・販売に至るまで、すべての工程に携わる人たち全員に敬意を払い、自分たちのものづくりにかける情熱をつないでいくという決意でもある。どこかで、誰かが苦しまなければならないビジネスなんて、あってはならないのだ。


絶対に、エシカルを売りにしたくはない。実際は一部の商品だけなのに、それを大々的に謳ってイメージアップに利用するブランドとは一緒にされたくないし、恵まれない人たちが可哀想だからといって買ってもらうのは、自分たちのポリシーに反している。第一、それだと長続きしない。井上兄弟にとって、“世界一”のクオリティを目指すのは当然の成り行きだった。


ブレない初心

私が井上兄弟と初めて会ったのは、2012年の末。当時、ファッション&ライフスタイルの編集者をしていた関係で、知人のファッション関係者から紹介してもらったのが最初だった。


彼らは「ファッションの力で、社会にポジティブなインパクトを与えたい」と気宇壮大な夢を語り、ともすると青臭いと思われがちな言葉を平気で口にした。


そんな純粋な人間が、本当にいるものなのか。以来、何度もインタビューを重ね、ふたりの“正体”を暴こうとしてきた。それが2018年に、彼らの生き方を綴った『僕たちはファッションの力で世界を変える』(PHP研究所)の上梓につながったのだから、先のことはわからないものである。


ふたりと時間を共有するにつれ、彼らがしていることはファッションデザインでありながら、社会問題を解決する仕組みのデザインであり、彼らがスタイルと呼ぶのは見た目のことではなく、生き方なのだと知った。


ファッションと近いようでいて、その根幹にある思想はまったく違う。それゆえ、彼らをファッションデザイナーの文脈で捉えようとすると、その核心に近づけないというジレンマがあった。


アンデス地方に同行した取材中、ふたりは移動する車の中で「善い行いをしているつもりはまったくない」と言った。そして「むしろ、自分たちのほうが彼らから人間らしさを学んでいる」と感謝の言葉を口にした。世の中には差別や偏見、不公正がそこかしこに存在する。


そんな社会に反抗しながら、理想の世界を追い求める生き方は、ある種のロマンティックな冒険だ。思い描いたように世の中は変わらないかもしれない。でも、そこにワクワクするような高揚感があるのは確かだった。


社会の構造をつくり直す

彼らを見ていると、夢を大っぴらに言えない社会のほうがおかしいと思えてくる。夢は与えられるものではない。自ら描き、つかみ取るものだ。彼らは無邪気そうに未来を語りながら、10年がかりでビジネスを軌道に乗せ、自分たちの思い描いた将来の設計図を徐々にかたちにしている。


評論家よろしく、そんなのは自己満足だと言うのは容易い。しかし、ふたりのように自分の気持ちに正直に生きようと思ったことはあるだろうか。幸せとは何かと真剣に考えたことがあるだろうか。


彼らは言う。答えはひとつではなく、やり方は10人いれば10通りある。正解がなかなか見つからなくても、考え続けることが大切なのだと。もちろん、ふたりも自分たちのビジネスで地球上に存在するすべての問題を解決できるとは思っていない。けれども、世界中でいま起こっている出来事を、自分に引き付けて当事者意識をもつ人間があらゆる分野で増えていけば、将来を悲観する必要はまったくない。


2019年は国連が採択したSDGs(持続可能な開発目標)に、ファッション業界全体がようやく真正面から向き合い始めた年だった。8月にフランスで開催されたG7サミットで3つの野心的なサステイナビリティ目標に取り組む「ファッション協定」が発表され、グッチなどを擁するケリンググループやシャネル、エルメス、ジョルジオ アルマーニなどの32社が著名(後に24社が新たに参加)。


業界をあげて、サプライチェーンの見直しやオーガニック素材の使用、アップサイクリングの実験をはじめとするさまざまな対策に乗り出すことになった。


こうした前進は、ふたりが歩んできた道のりが間違っていなかったという証明ともいえる。井上兄弟の言う通り、あと一歩みんなが踏み出す勇気をもつことができれば、私たちの未来は本当に変わるのかもしれない。

クリックして拡大



石井  俊昭  (いしい  としあき)
1969年生まれ。青山学院大学卒業後、アシェット婦人画報社(現ハースト婦人画報社)などを経て、2010年にコンデナスト・ジャパン入社。『GQ JAPAN』編集部にてファッション・ディレクター、副編集長を務める。14年に退社し、フリーランスとして独立。雑誌、WEB、カタログ制作などの編集・執筆などを行う。16年より株式会社リヴァー所属。さまざまなメディアのクリエイティブ・ディレクションや広告のコピーライティング、企業のブランディングなど、多岐にわたって活動中。共著に『僕たちはファッションの力で世界を変える』(PHP研究所)、編集書に『ひとりの妄想で未来は変わる VISION DRIVEN INNOVATION』佐宗邦威著(日経BP)がある。

このアイテムを評価
(0 件の投票)
コメントするにはログインしてください。
トップに戻る