世相を反映するファッションから見た現代の課題とは

ファッションの流行に興味はなく、自分の仕事には関係ないし、それなりに見えて、動きやすければいいと考えている方も多いだろう。だが、世界初の産業革命はイギリスの繊維工業から始まり、経済や産業の発展とファッション産業は密接に関わってきた。地球課題の観点からみると、製造にかかるエネルギー使用量やライフサイクルの短さから環境負荷が非常に大きい産業であることが問題視され、国際的な課題となっている。

一方で、多様性の観点から捉えると、他の産業よりも一歩早い肌感覚で取り組んでいるのではないだろうか。ファッションとは、人の感情に大きく左右されるため、いち早く世の中の流れを反映するのだろう。ちなみに、今なおファッション、特にラグジュアリー産業が世界的に影響力を持っているのは、2023年版の長者番付からもうかがえる。2位が何かと世間を騒がせているイーロン・マスク氏(昨年は1位)、3位にアマゾンの創業者であるジェフ・ベゾス氏と、近年、注目度の高い業界の創業者たちが並ぶが、本年1位はフランスのベルナール・アルノー氏だ。彼はルイ・ヴィトンなどの高級ブランド品を扱う、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)の会長兼CEOである。

 

世界初、階級の垣根を越えて流行したミニドレス

 ファッションの流行は1950年代までオートクチュール(高級仕立て服)中心だったため、イギリス、フランスのブルジョワ階級を中心に発展した。1950年代まで欧州諸国の女性服といえば社会階級に即して、1)世界のモードの流れを支配していた上流階級向けのオートクチュール、2)オートクチュールの新しいモードを調整して仕立てあげる婦人服の仕立て師による服装、3)庶民向けの安価で常に同じスタイルの服装の3段階に明確にわかれていた。だが、1965年の春夏コレクションでオートクチュールデザイナーのアンドレ・クレージュがミニドレスを発表し、全世界に衝撃が走った。全世界のマスコミが報道し、それまで明確にあった階級の垣根をこえた流行が生まれた。
 その当時、既にミニスカートを商品化していたイギリス人のマリー・クヮントかクレージュ、どちらがミニスカートの考案者かと議論されることもあるが、マリー・クヮントは、ミニスカートを考え出したのは、自分でもクレージュでもなく、ロンドンの街頭の少女たちであると語っている。1950年代末、ロンドンのキングズ・ロード界隈で遊んでいたベビーブーマー世代の少女たちのミニスカート姿を見たマリー・クヮントがデザインを加えて商品化したことで、少女たちの流行となり、クレージュの洗練された美意識と高い技術によって生まれたデザインによって、世界中の女性が着たくなるアイテムへと生まれ変わった。このミニドレスを中心としたモードの革命は、ファッションの主軸をオートクチュールからプレタポルテへと移し、成熟したブルジョワ女性のためのファッションから、ストリートを闊歩する若い少女(静脈)をメインストリーム(動脈)に押し上げるきっかけを作った。

 

静脈であるストリートファッションが
動脈のラグジュアリーブランドに与えた影響

 近年でもファッションの歴史が大きく書きかわった瞬間がある。2014年に設立されたファッションブランド「VETEMENTS(ヴェトモン)」が、ストリートで熱狂的な人気を誇り、2015年には創設者でデザイナーのデムナ・ヴァザリアが「BALENCIAGA(バレンシアガ)」のアーティスティックディレクターに就任した。「2016年秋冬シーズンは、デムナに始まり終わったと言っても過言ではない」とVOGUE誌で評されるほどの注目を集めた。彼はそれまでパーカと呼ばれていた襟の後ろにフードがついた日常着であるトップスを、ラグジュアリーの世界でも通用する、フーディとして人気アイテムに変換させた。
 デムナが立ち上げたヴェトモン(フランス語で服を意味する)は、その名前も含め、どこかモードを嘲笑っているようにもみえる。同ブランドはストリートファッションブランドだが、ストリートファッションとは、オーバーサイズのシルエットが基本で、Tシャツにスウェット、パーカなどのカジュアルなアイテムを中心にしたスタイル。その名前の通り「街(ストリート)の若者たちから生まれたファッション」を指し、時代と共に変化し続けている。その成り立ちはストリートカルチャー(静脈)といわれる1970年代にヒップホップやスケートボードなどストリートから生まれた文化から派生している。当時、不景気だったニューヨークで、お金をかけずに楽しめることで多くの若者が夢中になったブレイクダンスやヒップホップから生まれたファッション。その背景は奴隷制度や黒人差別の歴史抜きでは語れず、彼らの損なわれたアイデンティティや自尊心を取り戻していくことにもつながった。
 そんなカルチャーの影響を受けたヴェトモンが2016年に発表したのは、DHLのロゴTシャツだった。ジャーナリストたちには、「単純すぎる」「アンチファッション」と叩かれたが、3万5千円と高級なTシャツは話題となっただけではなくトレンドに敏感な人々の間でヒットした。そうした試みは自身のブランドだけではなく、彼がディレクターを務めるバレンシアガでも行われた。例えば、2016年の米大統領選に出馬したバーニー・サンダースのロゴに似たポリティカルキャンペーンキャップや誰もが知るイケアの99セントの青のプラスチック製トートバッグから着想した2,145ドルのレザーバッグを発売した。「どんな平凡なものでもコピーする価値がある」と語る彼が就任して4年後の2019年、バレンシアガの年間収益は10億ユーロ(約1,400億円)を突破し、過去最高を記録した。彼はファッションの世界では注目を集めにくい、いわゆる平凡なもの=静脈を、ファッション的に価値のあるイケてるもの=動脈に持ち込み、多くの人をざわつかせることだけでなく、商業的にも成功をおさめている。

 

多様性について

ファッション業界はおそらく他業界に比べて同性愛を公言している人が昔から多く、そこに対する差別や偏見は少ない方だと感じる。イヴ・サンローランやカール・ラガーフェルドをはじめとする公言してきた数々の天才デザイナーたちの存在も大きいのかもしれない。だが一方で、未だにホワイトウォッシング(白人優位)傾向は根強く、いわゆるメゾンといわれるラグジュアリーブランドのデザイナーが非白人であるケースは非常に少ない。2018年3月、ヴァージル・アブロー氏が、ルイ・ヴィトンのメンズウェアのクリエイティブディレクターに黒人としてはじめて就任した。ダイバーシティが重要視される時代、広告キャンペーンで非白人やプラスサイズモデルを起用する事例などは増えているが、しばしば、儀礼的であると批判される。

そのような中、ファッションのメインストリーム(動脈)であるビッグメゾンのクリエイティブディレクターに黒人男性が就任したニュースは見せかけの多様性ではないとして注目を集めた。黒人に対する構造的な人種差別の撤廃を訴えるブラック・ライブズ・マター、通称BLM運動は、2020年にジョージ・フロイド事件などを発端として、全米的なデモ・暴動へと繋がったことは記憶に新しいが、その2年前のことである。彼は2013年にハイエンドのストリートブランドである「オフホワイト(Off-White)」を立ち上げ、世界中のセレブリティを中心に支持を集めた。ここからもファッションの世界ではそれまで、静脈と認識されていたストリートブランドのパワーは見過ごせない存在となっていたこともうかがえる。彼の在任期間は、2021年11月に病気で逝去するまでのわずか3年余りではあったが、世界中のセレブリティやインフルエンサーが彼のクリエーションに熱狂した。彼はかつて「私のモチベーションの一部は、自分の居場所がないような自分たちの世代が何にも属していない、という不安感から来ている」と語っていたが、世界から注目される存在になってもなお、マイノリティの感覚を失っていなかったことも支持される理由の一つであったのかもしれない。
 ファッションとは着飾る行為だから揶揄の対象にもなりやすいが、自分自身や主張を表現する手段の一つであり、小さな波紋が広がり世界を繋ぐ輪を可視化できる、時に他者に勇気や愛を感じさせてくれる存在だと思う。例えば、ウクライナへの連帯を示す青と黄のカラーリングがファッションショーに登場したように。ファッション業界だからこそ、これまで影となってきた静脈の部分に光を当て、良き方向に世界が進むための可能性を秘めているのではないだろうか。

 

吉田 けえな
コネクター

PR 会社や百貨店のコーディネーターなどを経て渡米。NY を拠点に世界中で、見て、着て、食べた、リアルな視点と独自の美意識、審美眼を大事に、マーケティング、リサーチ、バイイングなどを行う。現在は帰国し、持ち前のマーケティング、リサーチ能力を活かし、商業施設開発のプランニングアドバイスやブランドの開発、内装プランニング、パーソナルスタイリングなど多岐にわたる分野で活動する傍ら、人と人や物、場所を繋ぐコネクターとして活動する。

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