“民主主義”の国、デンマークで学んだこと ~多様性を認め、“対話“で築く社会~

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2019年11月号『見えていなかった大切な一面』に記載された内容です。)


行き詰まりからの脱却を目指しデンマークへ
大学を卒業し、新人社員として都内の企業で働いていた2017年冬、私はデンマークへ行くことを決意した。デンマークは人口約575万人、面積は九州と同じくらいの大きさのとても小さな国だ。消費税25%といったように、国民の税負担が高い国であるが、その一方で教育費や医療費は無料であるため高福祉国家として知られている。

また、最近では「ヒュッゲ*」いうデンマーク語が世界中で話題となり、ヒュッゲに関する本が出版されている。(*他言語に直訳される言葉はないとされているが、強いて言うのであれば英語の“coziness”がそれに当たる。日本語で言うと「ほっこり」であろうか?)


そんな小国デンマークに行くきっかけのようなものは、実は明確にこれというものはなかった気がする。ただ当時の私は仕事にも、慣れた東京での生活にも、何か違和感と、行き詰まりを感じていた。


そんな中で、デンマークに関わりがある人、行った経験のある人に話を聞く機会が度々あり、「日本とは全く異なる環境で自分の生き方を変えたい」「デンマークに行けば、何か新しい発見を見つけられそうな気がする」そんなぼんやりとしたワクワク感を次第に抱くようになり、それが私を突き動かした。

民主主義の思想を学ぶ学校、フォルケホイスコーレ
私がデンマークに行くにあたって興味を抱いたのは「フォルケホイスコーレ」(以下、ホイスコーレ)と呼ばれる北欧独自の全寮制の成人教育機関。デンマークに70校前後あり、学校によって教えるテーマはスポーツ、アート、政治、手芸など様々だ。


17歳半以上であれば誰でも入学が出来、試験や成績などは一切なく、対話を通じて民主主義の思想を育む学校と言われる。この一文だけを読んでも、なかなかホイスコーレがどんなものなのかを伝えることは難しい。私自身も「ホイスコーレってどんな場所なんだろう?」「民主主義の思想を学ぶってなに?」という疑問符だらけの状態で、デンマークへ旅立った。


デンマークでの滞在期間中は、実際はホイスコーレに通っただけではなく、現地の家族のお家でのホームステイ、workaway(ボランティアワークをする代わりに宿泊施設と食事が無料で提供されるサービス)を利用した滞在、デンマーク人の友人とのコレクティブハウスへの住居体験など数多くの人と場所に出会い、その度にデンマークという国を好きになり、「民主主義の思想とは何か?」という自分の中での解答が深まっていった。


自らへの問いかけが社会を動かす原動力へ
ヨーロッパの小さな国、デンマークで私が出会った“見えていなかった大切な一面”。それは、「自分の人生を生きているか?」「私はいま幸せか?」そんなシンプルな問いを日々、1人ひとりが自分に問いかけている、ということだった。


そして、そんな1人ひとりがその問いに「YES」を出すために、当事者として社会と関わり、社会を形成している国、それがデンマークだった。それは、“生きたい社会を国民が自分たちで選択し、創り出している社会”ということだ。


コミュニティ形成の基本となる“対話”のちから
私が約一年半、デンマークの社会で暮らす中で、そのような社会をつくりだすキーであると感じたものが“対話”である。この言葉はデンマーク、もしくはホイスコーレを説明する際に、よく用いられる言葉であるように感じる。では、具体的に“対話”をするというのはどういうことなのか?


いくつか私がデンマークで経験したことを例にあげよう。たとえば、ホイスコーレでの出来事。私が行っていたホイスコーレではその当時の校長先生と何人かの先生の学校の運営方針での意見が食い違い、先生方はストライキを起こしているような状態だった。


そのような場合、日本ではトップである校長や指導者である先生方が話し合い、問題を解決するのが常のように感じる。しかし、そこでは学校側が朝の集会時に生徒側に事情を説明し、生徒からも意見を聞くという機会が設けられた。


学校は先生たちのものではなく、生徒と先生が一緒に作り上げていくもの。だからこそ、生徒も学校の現状を知る必要があるし、意見をする必要があると考えられているのだ。そしてそもそも、ホイスコーレでは「先生は指導者である」という考えは正しくないように思う。


基本的には先生が一方的に教えるのではなく、生徒がどうしたいのか、どんな意見、意思を持っているのかを聞くことを重視し、双方向のコミュニケーションで授業が進んでいく。


また、ホイスコーレは全寮制の学校のため、生徒も先生も毎日多くの時間を共有する。学校の全てに関することにおいて、生徒側でコミュニティを形成し、運営するのが基本だ。毎朝の集会、授業、週末のパーティー、毎晩の夜の空き時間の利用の仕方、全ての運営に生徒が関わり、知恵を絞りあう。その全ての基本が“対話”だ。


そして彼らは、どんな時も楽しむことを忘れない。余談だが、私が通っていたホイスコーレには週末のパーティー用に大きな衣装室があり、パーティー毎に設定されるテーマに合わせて生徒皆が毎週仮装をし、セメスターの最初と最後のパーティーでは先生もが全力の仮装とパフォーマンスで参加をする。


こんな風に誰もが年齢に関係なく、自由な気持ちで楽しむことが出来る環境、それ故の人と人との心の壁の低さが、対話をしやすい社会の土壌を形成しているのかもしれない。


デンマークで毎日の暮らしにも根付く“民主主義”の価値観
また、デンマーク人の友人6人、私を含む日本人2人の8人で暮らしていたコレクティブハウス、ここでも“対話”の重要性を感じた。特に首都のコペンハーゲンは多くの人が集まることから住居費が高く、多くの若者が友人とアパートや一軒家をシェアして暮らしている。


だが、デンマークのコレクティブハウスではただ住居という空間をシェアするだけではなく、生活を共同で行うことにより家族のように友人同士が毎日の暮らしを送っている。


例えば、私が住んでいたコレクティブハウスでは、毎週月曜に家族ミーティングがあり、1週間の予定や家での生活における改善点がないかを話し合う。毎日の料理当番や週毎の掃除当番が決まっていたり、週末は家の改装作業や畑作りのために皆が集まる。また日々食事を共にする中で、彼らは自分たちの生きる上での価値観もシェアしあっているかのように見えた。


ある日の夕飯のこと。デンマークでは特に若者は家畜によるCO2の排出、それによって引き起こされる気候変動を懸念し、ベジタリアンやヴィーガンを選択する人が増えている。我が家も例に漏れず、8人中3人がベジタリアンで、その日の夕飯にもベジタリアン用の大豆ミート(大豆で作られた肉の食感に似せた食べ物)が出ていた。


それに対してある男子が「デンマークでは大豆は育たないから、他の国から輸入する際に排出されるCO2を考慮すれば、国内で生産されるお肉を食べる方が環境負荷は低いということはないかな?」と口にした。それに対してベジタリアンの女子は「そうだね。でも結局デンマークで飼育されている家畜の大半は輸入された大豆などの穀物を食べて育つから、そこでもCO2のコストは大きいよね。」、「なるほどね、たしかにそうだね。」こんな会話が食事中にされていた。


私はこの会話から、彼らの環境問題に対する当事者意識の高さ、相手の選択を認め合った上で“対話”により目的に沿った、より良い選択を共に考えていること、そしてそんな会話が自然に食事中に出てしまう程、彼らは様々な価値観を友人同士でシェアしていること。そのどれもに、デンマークの民主主義の草の根の在り方を見たような気がしたのだ。


デンマークの人々が追求する“心地よさ”というもの
今ここであげた私の見たデンマークでの日常は一部に過ぎないだろう。そして、幸福度ランキングで常に上位にあがるデンマークでも、全ての人が悩みや苦しみなく毎日を暮らしているわけではない。


しかし、私が出会った多くの人々が日々の生活を自分が心地よい状態で暮らすことを願い、時間をかけて自分に問いかけ生きているように思う。心地よさを求めるということは、決して自分が好き勝手に何をしてもいいということではない。


多様性のある社会の中で、他者を認め、そして自分自身を認め、自然をも含めた全てのものと共存する中での“心地よさ”である。自分にとって、自分の周りの人にとって、環境にとって持続可能な生き方を目指すという言い方もできるかもしれない。それが、私が彼らから学んだ1番大切なことだ。

多様性を認め、“対話”で日本社会を変える
もちろんその背景には高い税金と引き換えにある「高福祉国家」という社会制度の現実があることは確かであろう。日本に戻り毎日を過ごす中で、いかに多くの人が将来の生活に不安を抱き、自分の時間や夢と引き換えに何かを諦めながら生きているのかを感じることがある。


自分にとって、何が心地よいのかを社会の目を気にして問いかけ忘れてしまっている人も多い気がしてしまう。相対論の話だが、やはり高福祉国家のデンマークでは日本人程には生活に対する不安もなく、国家が自分たちの暮らしを保証してくれるという安心感のもとで暮らしていると感じた。


だからこそ、人生における仕事の立ち位置も毎日の時間の使い方も日本人とはかなり異なる。仕事は自分の人生を豊かにしてくれる手段の一つであり、時間と心に余裕があるからこそ社会への関心も高い。


もちろんデンマークはユートピアではない。けれど、生活が保証されていることの安心感が、心と時間に余裕を与え、人々を社会へと目を向け、社会を動かす原動力となっている。そんな良い循環がこの国では感じられたのだ。


私は正直この社会のあり方を外国人としてとても羨ましく思った。環境要因がそのひとの人生を制限することがない社会、誰もが平等に夢を持つ気持ちと機会を得られる社会、それを大人が社会の常識などという狭い檻に未来の人材を閉じ込めずポジティブな言葉と共に応援してあげられる社会。


今の日本はそんな社会なのだろうか?もしそうでないとしたら、どれだけの人々がその現状に気づいているだろうか。気づいた上で諦めず、「難しいよね」の一言で終わらせずに、社会の当事者の一人として思考し続けられているのだろうか。


デンマークで私が出会った“見えていなかった大切な一面”。それはとてもシンプルなことだけれど、それに気づくことで、私は自分が生きたい社会、未来の子供達に生きていてほしい社会に近づくためには、社会に関心を持ち、人と対話する必要があると気づいた。


そして何が間違いで正解かは誰もわからないが、それを若い人も大人も皆が互いを認め合い、ポジティブな言葉と共に対話し、答えを創り出せる社会を目指したい。

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Lei   (かわはら  れい)
北欧ライター
デンマークでの1年半の生活体験を経て感じた想い、経験をベースに、文化・教育・日本との繋がりなどから見える北欧社会、そして日本社会の新たな視点を提案していく。

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