一般社団法人ARTISAN日本である。このARTISAN日本の理事長で、著名な家具デザイナーとして知られる小田原健は、日本の素晴らしい木工技術を持つ建具職人の技を次世代に残していくために、その技術を家具作りに活かすプロジェクトを進めている。
小田原健は、幼少期に父親からオモチャの替わりにと鋸とナイフを与えられ、彼のもっぱらの遊びは木工だったという。そんな彼は、工業デザイナー「レーモンド・ロウエー」の1冊の本「口紅から機関車まで」と出会いデザイナーの道を志すが、それにはモノ造りの基礎を勉強しなければならないとのアドバイスで出会ったのが、昭和の左甚五郎と謳われた木工職人の名人「三輪磯松」であるという。その三輪との出会いが彼の人生を決定づけた。
弟子をとる三輪の試験は、ただ「手を触る」ことだけだったという。手の柔らかさのみ。それだけが三輪の試験だった。当時の三輪は西洋家具職人の名工と言われ、財界人や政治家など一流人ばかりが来客していたという。その三輪は小田原に職人としての様々なことを伝授した。
最も印象に残っていると話す小田原の言によれば、「素材の性質を勉強しろ」ということだった。性格も違うそれぞれの木の特徴を知ること、これが最も木工職人にとって重要なことだというのだ。人は工人とは違うと小田原はいう。工人はただ労働する人で、職人はその作品に最後まで責任を持ち、もしなにか不具合があれば自分の目の黒いうちは必ず直してみせるという責任を持つ人間だというのである。
その職人の中でさらに優れた職人はデザインができる職人で、三輪はそのことも小田原に教えたという。日本の職人は伝統を大事にし、それを大切にしていると小田原はいう。そんな修業時代を経た小田原は、日本の職人の素晴らしさを何とか次世代に繋げようと、デザイナーとして、また吉村順三から依頼された東京芸大の教員として、様々なプロジェクトを行ってきた。
職人という存在自体が無視されようとしていたバブルの時代も乗り越え、今こそ顔の見える職人の仕事を世の中にメッセージしたいと活動を始めた。デザイナーとなった小田原が建具職人とのコラボで思い出がある。それは上越の建具組合の依頼で技術指導に入ったときだ。雪国ゆえの根曲がり杉をデザインの力で素晴らしいモノに変える、まさに木の性質を活かしたデザインで、指導後の全国大会で農林水産大臣賞を獲得するなど成果が出た。
建具職人を家具職人として活かした結果だ。その後、長野県や神奈川県などの各地の建具組合に可能性を開いていった。そんな小田原が現在取り組んでいるのが、ARTISAN日本の活動だ。職人の顔が見えなくなって、消費者にとって顔が見える職人の技を伝える場が必要と、5月の一般社団法人の立ち上げと同時に、千葉県の木更津にある木加工会社㈱TSC内にショールームをオープンさせた。
このショールームには、小田原がデザインをして各地の職人が製作した一軒の家に必要な住宅のすべてがある。玄関、リビング、寝室、ダイニング、それらを機能的に使うための椅子やテーブルといった家具、すべてが計算されつくした配置で、家は空間が重要との考えが随所に反映されている。
小田原は言う。日本はアンティークという概念が理解されていない。職人が手間をかけて丹誠を込めて作った良いものがアンティークとなってさらに価値が高くなるのである。単に古いモノと古くて良いモノを区別できない人が多くいて、古いからという理由で捨ててしまうような愚かなことも平気でする人がいると。そんな現状に少しでも顔の見える職人の仕事をメッセージする場として木更津のショールームを作った。
さらにそれを全国にも広げていきたいと考えているという。いくら古くて良いモノでも時代の中での生き残りが難しい。しかし、古いモノの中にある良いモノを活かす知恵さえあれば、日本の素晴らしい良いモノを次の時代に繋げ、それを日本の強みに変えることが出来る。小田原の挑戦は、自身の年齢81歳にしっかり裏付けられた古きへのチャレンジである。
吉田 就彦 (よしだ なりひこ)
デジタルハリウッド大学大学院教授 / ㈱ヒットコンテンツ研究所代表取締役社長
自ら「チェッカーズ」「だんご3兄弟」などのヒット作りに関わり、ネットベンチャー経営者を経て現職。「ヒット学」を提唱しヒットの研究を行っている。木の文化がこれからの日本の再生には必要との観点から、「一般社団法人木暮人倶楽部」の理事長にも就任。著書に「ヒット学~コンテンツ・ビジネスに学ぶ6つのヒット法則」、共著で「大ヒットの方程式~ソーシャルメディアのクチコミ効果を数式化する」などがある。