座談会参加者
E氏(29歳・男性・2期生):マーケティングリサーチ会社勤務
M氏(29歳・男性・2期生):データ調査会社経営
S氏(27歳・男性・4期生):マーケティングリサーチ会社勤務
K氏(27歳・女性・4期生):自動車メーカー勤務
T氏(25歳・女性・6期生):外資系人材会社勤務
リアルな学びとは?
─── 学生時代を振り返って、リアルな学びで印象に残ったものは?
S バングラデシュ(以下、バングラ)での体験が一番リアルな学びだった。目の前で車とリキシャ(バングラの主要交通手段である人力車)が衝突した時、日本では先に人を心配すると思うが、バングラでは「車」を心配していたのが衝撃的だった。大変な環境の中で必死に生き、環境が違えば価値観が違うことを肌で感じた。
M 与えられた環境よりも、「そもそも、自分が本当にリアルになれているか?」ということが大切だと学んだ。日本人は、海外視察はするけど、自分がリアルではないから何も生み出せないし、4L(Look, Listen, Learn and Leave)と揶揄されることもある。適十塾としてもバングラに行って終わりでは意味がなく、何を持ち帰って、自分たちの行動にどう生かすかを考えた。
T 自分が関わった商品(布わらじ)を販売する経験がリアルな学びとなった。はじめて営業をした時、現実は厳しく、思うようにいかなかったが、それを受けて学生なりにPDCAを回す経験ができた。
E 仲間と一緒に0からプロジェクトを創り、進めていく経験が貴重だった。初代リーダーを任されたが、メンバーと意見をぶつけ合って、手探りで進めていくフラットな関係だった。時には、チーム内で不平不満が出ることもあったが、思ったことを言い合える環境を大切にし、そんな時は「なぜこれをやる必要があるのか?」と原点回帰した。対等な関係性の方が、ものごとがクリエイティブに進むのではないかと感じた。
大人から学び感じたこと
─── 学生時代に教員からリアルな社会フィールドを、自由に使っていい、と言われた時、どのように思ったか?
S 自分たちのビジネスプランを、実際の企業にプレゼンテーションする場を与えてもらった時、教員が学生だからと見下さず、互いの意見をぶつけ合うフラットな関係性を感じた。
M 適十塾の活動では、「教えて育てる」というより、「教えあって一緒に育つ」という姿勢を感じた。これからの教育者に求められることは、学生と一緒に夢を描いたり、フィードバックしあったり、モチベートすることだと思う。
T 社会人塾生が学生のために貴重な時間を割いてアドバイスをしてくれたのは、本当に有り難かった。適十塾に卒業がないことで、社会人がとても身近な存在に感じ、大きな支えとなっていた。
E 身近にいた大人たちが、真面目に熱中して仕事や研究に取り組んでいた。その姿がとても新鮮で、大人でも楽しんでいいんだ!と思ったし、一言で表すと「ピュア」。「全力でピュアな大人」がいたからこそ、自分自身もそういう大人になりたいと思った。
K 学生時代に「人生を自由に生きる大人」に出会えたのは本当に良かった。就職後も、会社をやめて海外に行ったり、また大学に通ったり、起業したり…生きていけるならなんでもありだと思えるようになった。
─── 学生時代の経験で今に生きていることは?学生時代の経験が社会人となった今、どのように生きていると思うか?
T バングラのパートナー企業との打ち合わせ経験が「海外でもビジネスができる!」という自信に繋がり、今の仕事に生きている。
K 「一次情報を持つ大切さ」を学んだ。実際に、人と議論する場面では、自分で経験したことを自分の言葉で話すと、説得力が増し、共感を生み出せた。社会人となった今も同じ。
E 「情報を持つ大切さ」を学んだ。2010年に適十塾の構想が生まれ、そもそもやるかどうかで悩んだ時、自分たちなりに情報を集め「まずはやってみよう!」と決意した。「わからない」という悩みを打破するのは、情報だと実感した。それが今の業界に就職しようと思った動機や、キャリアにつながっている。
S 私が入塾した時は、布わらじのブランドが確立していなかった。何も決まっていない中で「一つのブランドが誕生する過程」を仲間と共に体験できたのはとても大きかった。適十塾で得た「生み出す労力は計り知れない」という学びが、メーカーに就職した際に生きた。
M 「打席に立たないと学べないことと、自ら打席に向かうこと」 を学んだ。適十塾では、今までやったことがないことに挑戦させてもらった。(フライヤー・プレゼン資料・仕様書作成。バングラでの現地交渉など)社会人になっても、知らないことでも「できます!」と言ってから、自分で勉強してアウトプットしている。走りながら学ぶことは、今でも生きている。
後輩(学生)に「託すバトン」とは?
─── 今も学生の活動を見守りながら、プロジェクトに関わっているが、今の学生に是非、託したいと思うことは何か?
T 自分が次の世代に託すバトンは、適十塾の「理念」や「原点」。そして、彼らにはそのバトンを持って自分たちで新しい適十塾の時代を築いてほしい。
E 「ピュアさ」を託したい。ピュアな大人が、大学生にピュアを託す。
S 適十塾には卒業がないので、託したという感じがしない。先代たちの思いが詰まったバトンを学生たちに掴ませるけど、離さずにそのままひっぱっているイメージ。
M バトンを託すという感覚がなかった。どちらかというと、みんなで足を結んでムカデ競争(笑)。
K 今の学生たちが、やりたいようにやってもらいたい。ただ、活動が始まった時の元々の思いや理念というバトンは、ずっと受け継がれて、そこだけブレなければ良いなと思う。
バトンの託され方、託し方
─── 現在進行形の適十塾の活動を踏まえ、若者視点でバトンを託され、託す、とは、どんなことだと思うか?
T バトンというと運動会のリレーを思い出す。バトンは非常に重要で、落としたり、うまく引き継がれないと、順位が1位から最下位になることがある。そういう意味で、バトンとは前の人、先代の思いを責任を持って受け取り、それを同じように次の人へ、次世代の人を信頼し、その思いをつなげることじゃないかと思う。
E 自分がこれでもかと頑張り、次のふさわしき者に託す。「託す」ということは、自分はふさわしき者を見つけないといけないし、託される側はふさわしき者にならないといけない。ふさわしき者は「why(なぜこれをやるのか)」をわかっている者でなければならないと思う。
K 時代・人・やることが変わっても、どうしても譲れない信念や思いは、ちゃんと受け継いでいくということだと思う。
S 先人からの思いが込められたバトンは、次に託された人の代で、長さが伸びたり太くなったりなど、形が少し変わっていいと思う。それがその人にとっての成長だと思う。
M 自分としては、競技で例えるならバトンに代表されるリレーよりも、組体操的な社会になると良いなと思う。同じ10人でも、組み方で色々な形を表現できる。小さくて身軽な人は上でたったり、大きい人は下で支えたり。個性の組み合わせ。それぞれが自分の強みを生かしながら、よい価値がだせるとよい。その意味で、自分の父母世代には「バトンを渡す気はないし、まだまだバリバリだよ!」という気概をいつまでも持って欲しいし、そういう社会になるといいと思ってる。
世代を超えた循環が、未来を創り続ける
学生時代は教員や大人から「場=リアルな社会フィールド」というバトンを託され、主体的に活動をしてきた。そして、その活動を通じ、自身が挑戦したい方向性を自ら見出した。若手社会人となった今、後輩へは場で培った「理念」をつなげる。そして、大人(教員)から託される、というより託され続けているのは「次の若い世代と互いに教えあって一緒に育つ姿勢」というバトンだ。
適十塾には卒業がない。そのことによって、学生と若手社会人と大人(教員)という三者が、バトンを託され、託す循環が生まれる。それが互いの未来を創造する原動力になるのではないだろうか。
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2019年6月号蛭子さん
秋田でわらじの技術を学ぶ
バングラデシュに技術伝承する
現地の企業にプレゼンテーションをする
布わらじという形で商品化
布わらじをバングラデシュの雇用創出につなげる
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蛭子 彩華 (えびす あやか)
一般社団法人TEKITO DESIGN Lab 代表理事
クリエイティブデザイナー/ライター
群馬県前橋市出身。立教大学社会学部に在学中、次世代人財塾 適十塾に第1期生として入塾。卒業後はIT企業に入社。2015年、夫の南米チリ駐在に帯同し、そこでデザイナー・ライター活動を開始する。翌年、適十塾の活動をさらにスケールアウトさせるべく法人設立。「現代の社会課題を、デザインとビジネスの循環の仕組みで解決すること」を軸に、事業を展開している。
2010年に、立教大学の学生十数名を中心に創設された学生団体。現在は、立教、専修、上智、津田塾、明治、成蹊、大妻女子、東京農業大学の学生が所属している。卒業がない学生団体で、社会人塾生を含む塾生は50名を超える。「現代の社会課題を、学生の柔軟な発想とビジネスの循環の仕組みで解決すること」を目指し活動中。日本の伝統技術のわらじをバングラデシュに技術伝承し、フェアトレードの仕組みで布わらじ(ルームシューズ)を輸入する「わらじプロジェクト」を0から立ち上げた。1名からスタートしたバングラデシュのわらじ職人は、現在10名まで増えている。