学生という“時代の存在”との向き合い方

シンプル故の学生の可能性
2009年に初めて大学で教鞭を執ってから、早いもので10年の歳月が経ちました。はじめの頃は勝手がわからず、自分の経験や知識を学生に「教える」ことが実務家教員としての私の役割だと思い込んでいました。私にとって幸いだったのは、初めて担当した講義が大教室での講義ではなく、ゼミ形式の講義であったことです。

ビジネスの世界では、同質の価値観や時代感覚を持った者同士で議論することが多く、それ故、アウトプットも予定調和の範囲内に収まりがちです。しかしながら、いい意味でも、悪い意味でも空気を読まない学生の発想には、予定調和を超えた新鮮な驚きと気づきがあります。


例えば、「バングラデシュでは靴を買うお金がなく、裸足で歩く子どもがたくさんいる。その為、ガラスなどの破片で足を傷つけ、傷口から悪い菌が入り命を落とすこともある。」という課題に対して、ヨーロッパの大手シューズメーカーでは、1ドルで買える靴の開発に実際に取り組みました。


私がこの話をドイツで直接聞いたのは、2009年のことですが、1ドルの靴の開発はその時点では出来ていませんでした。この話を、当時担当していたゼミで、学生に投げかけたところ「バングラデシュはお米を食べる国だから、藁を使った草鞋(わらじ)を教えればいい。」という発言がありました。


知識や社会経験がない、学生だからこその極めてシンプルな解ですが、実は「人に魚を与えると1日で食べてしまう。しかし、人に釣りを教えれば一生涯食べていける。」という老子が言ったとされる言葉にも繋がる、実に深い問いかけです。学生のシンプルな発想が、複雑な社会課題に応用できる可能性があることに気づけたのは、この経験があったからです。

就職活動から逃げ、現実逃避のレッテルを貼られた学生の真実
社会の制度やシステムは、設計当初は綿密にあれこれ考えていると思いますが、いざ動き出すと、なんとなく流れていってしまうものです。学生が直面する「就職活動」もおそらく、その類いのものだと思います。


今の学生を見ていて感じることは、現行のメジャーなシステムに乗っかろうとすると、どうしても「リスク回避思考」で、「念の為」のアクションに陥りがちだということです。まさに今の日本の縮図です。


「ゼミに入っていないと就職活動に不利になる」、「インターンには、念の為応募する」、「エントリーシートに書く為にボランティアに参加する」どれもが、学生と接する中で頻繁に耳にする話です。そもそも、就職活動を目的にしていること自体に違和感を覚えますが、現行の就職活動という社会システム上、そう考えてしまうことは、やむを得ないことかも知れません。


しかし、「大学卒業後、就職する」という現行の社会システムの中にいては、この問題に向き合うことは出来ません。もし、学生がこの問題と本気で対峙するのであれば、このシステムの外に出る必要があります。今、そんな覚悟を決め、敢えて就職活動をせず起業を目指している大学4年生がいます。


彼の視点はとても興味深く、現行の就職活動のシステムには疑問を呈していますが、真っ向から就職活動自体を否定している訳ではありません。また、彼自身が就職したくない訳でもありません。


この手の学生は、就職活動から逃げた、「現実逃避をした学生」というレッテルを貼られがちです。しかし、彼と対話をすると違った一面が見えて来ます。


彼の考えは、極めてシンプルですが、企業の視点からは見えてなかった一面であり、何よりも行動が伴っていることに大きな価値があります。彼曰く、「現行の就職活動のシステムには乗りたくない。しかし、文句を言っているだけでは仕方がないので、自分が納得できる仕組を提案したい。」ということです。

就職活動における、学生視点からの「見えてなかった大切な一面」
彼が就職活動の中で疑問を感じたことは、数知れずですが、中でも大きな違和感を覚えたのが「エントリーシート」でした。エントリーシートとは、企業が採用選考において参考にするものとされており、志望動機や自己PR、学生時代に頑張ったことなどを学生自身が書くものです。企業がどう思うかは別として、学生は当然のことながら、企業に評価してもらえそうなことを書くことになります。


その一例が、先に挙げたゼミの話や、インターンやボランティア活動になります。彼に言わせると「そんなことには、本当の自分は投影出来ない。」ということになります。


ならば、本当の自分とは、という話になりますが、彼曰く「本当の自分は、自分のクズな部分にあらわれる」とのことです。彼自身、相当な自称クズで、バイトもせずに、おばあちゃんからお小遣いをもらっています。バイトをしない代わりに、社会人が参加する様々なイベントに参加したり、興味がある講義には単位が取得できないのにフルで潜って履修生と同じ課題に取り組んだりしています。


さすがに、成人しておばあちゃんからお小遣いはまずいと感じ、バイトもしたことがあるようです。しかし、学業とバイトに時間を取られるようになると、自分のやりたいことが出来なくなり、「クズな学生から普通の学生になったこと」に相当な危機感を覚え(?)、結局、クズな学生に戻ったそうです。自分がクズであることを十分承知しているので、妙に義理堅く、おばあちゃん思いの優しい学生です。


私自身、ここまで書きながら、クズを賞賛するようで、何を書いているのかわからなくなりますが、彼と対峙し、対話を繰り返す中で、「クズも立派な個性で、クズな部分にこそ、人の本質が投影される」ということが理解出来ました。


ちなみに彼は、受験のシステムにも違和感を覚え、二部に進学した学生です。その一方で、自らの興味から、ゼミにはしっかり所属しており、周りからは「お前は決してクズではない」と言われますが、彼自身のアイデンティティが「クズ」であるようで、そのことについては全力で否定しています。


自分をさらけ出して生きることが難しい時代、常に普通もしくは優等生であり続けなければならない息苦しさ、そもそも普通って何なんだろう、さらけだせない普通って、そもそも普通なんだろうか、私自身の中でも、そんな禅問答が続きます。長所と短所、強みと弱みは表裏一体ということは良く言われることです。


一生とは言わずとも、「人」の人生にも関わる就職活動については、「入社後の教育、育成を見据えて、弱い部分を敢えてさらけ出してもらうことで、入社後のミスマッチを防ぐことにも繋がるはずである」という彼の考えは、現行の就職活動の中で見えていなかった一面であり、まさに当事者としての学生目線だと思います。


引き続き、迷走を含めて、しっかり学生と対峙、対話をして行こうと思います。それが、学生という“時代の存在”との、私なりの向き合い方なのだと思います。




見山  謙一郎  (みやま  けんいちろう)
本紙編集委員。
専修大学経営学部特任教授。フィールド・デザイン・ネットワークス代表取締役。環境省・中央環境審議会(循環型社会部会)委員。
専門は技術戦略論。産官学の枠を超え、「社会課題を起点とした、循環思考によるビジネス」の企画、実践、研究に奔走している。

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