“完璧な生ビール”はいかにして完璧になったか?

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2020年5月号『素晴らしい普通』に記載された内容です。)


「普通にいいもの」の価値

昔からビールが好きだ。毎日、夕方になれば必ず350ml缶を一本、空ける。ブランドはいつものサッポロ黒ラベル。これまでもいろんなビールを飲んできた。しかし最後に辿り着いたのはこれである。毎日飲んでも、また明日飲みたくなる。「飲みやすく、飲み飽きない」「ドリンカビリティ」、こんな言葉が黒ラベルにはぴったりだ。言葉を変えれば「王道的なテイスト」「ビール好きの気持ちをよく分かってくれる」とでも言おうか。あくまで個人的な見解だけれども、本当のビール好きが最後に辿り着くのが黒ラベルだと思う。

多くの消費者にとって、特に「食品」というのはコンサバな購買・消費をするものだと思う。典型的なのは「和食」。最近は和食離れや家庭での和食の味も忘れられようとしているかもしれないが、ある年齢になると、やはり和食が恋しくなる。イタリアンやフレンチも美味しいが、最後に行きつくのは「いつもの和食」ではないか。


同じく、スーパーマーケットや量販店で買う日々の食材や商品だって、そんなに目新しいものはない。いつもの醤油がなくなればそれを補充し、いつもの料理を作る。なぜなら、それが「自分らしく」ホッとするからだ。黒ラベルもそのような「いつものビール」だ。仮に新しいビールが出て、一度は試すかもしれないが、やはりここに帰る。それが「普通にいいもの」である。


ハイエンド・バリューとは何か

「普通にいいもの」は、そのカテゴリーのハイエンド・バリューを満たしているともいえる。美味しいワインには相応のコクや香りがある。シャンパンならキレの良いふくよかさと快活な泡立ちがハイエンド・バリューだ。黒ラベルもまたビールのハイエンドを満たしている。


良いビールが備える泡の口当たり、苦みとキレの味わい、麦とホップの香り、そして何杯飲んでも胃もたれせず、食前でも食中でも飲み続けられる程良い重さ。これらのバランスが素晴らしい仕上がりになった時、ハイエンド・バリューを満たしていると言える。そして世界を見回した時、ハイエンドを満たすビール・ブランドには星マークがついていることが多い。黒ラベルもまたそうだ。


マーケティングの世界ではハイエンドのような「ど真ん中」を狙うより、差別化されたユニークな存在になることを目指す考えもある。ビールはその典型だ。市場には国産、外国製を含め、星の数ほどビールはあるが、その多くはブランドのユニークさを強化するために、意図的にハイエンド・バリュー以外の特徴を持たせることが多い。


それらのビールにも旨いものは、もちろんある。アサヒ・スーパードライ、サントリー・プレミアムモルツも素晴らしい。これらのユーザーにとっては、これこそがハイエンドのブランドだ。私にとっては黒ラベルがそうで、そういう意味では(個人差はあるものの)毎日飲んでも飲み飽きないビールこそ、多くの消費者にとっては価値があるのではないか。


時間価値を持つロングセラー・ブランド

 一方、ブランドとしての個性よりも、後発でも良いからハイエンドを目指す考え方もある。一番わかりやすいのは量販店が販売するPB(プライベート・ブランド)だろう。ビールからスナック菓子から、ほぼPBのないカテゴリーはないのではないか。


セブンイレブンのセブンプレミアムなどは別として、PBの基本戦略は「普遍的な味・品質のものを低価格で」である。実際にNB(ナショナル・ブランド)と変らない製造ラインで若干のオリジナリティを加えて開発されることが多い。だから食品自体の風味は、ロングセラーのNBと大差なくそれはそれで十分なことも多い。しかし「なにかが違う」と感じるのは私だけではないだろう。


ここにあるのはハイエンドなブランドがもつ経験値、研究研鑽の重みである。市場との対話を通じた製品改良、時代から取り残されず「ちょっと先を行く」パッケージ改良やデザイン、または売り方も含め、マーケティングも改良してきた。そのような経験値がロングセラー・ブランドの本質だ。黒ラベルもまたロングセラー・ブランドだ。


私たちの生活はそんな「馴染みのブランド」で溢れている。ざっと我が家の台所を見ても、キッコーマンの醤油は1961年に発売。サンペレグリノは1899年、日清カップヌードルは1971年、タバスコは1868年。食品だけではない。デュラレクスの耐熱容器・タンブラーは1939年、ビアレッティのエスプレッソ・ケトルは1903年、ル・クルーゼのココットは1925年。ロングセラー・ブランドの価値は、物理的な品質価値というよりも経験を積み研究されてきた「時間価値」ともいえる。


黒ラベルの歴史

黒ラベルもまた時間をかけた経験値が生み出したブランドだ。誕生は1977年。当時は「サッポロびん生」として発売され、1989年に正式に「サッポロ黒ラベル」となる。実は1977年の発売当初から消費者はそのすっきりした味わいと印象的な黒いラベルに敬愛の念を持ち、「黒ラベル」と呼んでいた。愛称で呼ばれていたことからも、当時から消費者の生活の一部(自分の一部)だったことが伺い知れる。


しかし黒ラベルはそこにあぐらをかかず、品質の向上、顧客満足の追求を怠らなかった。1997年には作りたての鮮度をそのまま届ける物流革命、2006年には麦とホップの協働契約栽培開始、2011年には旨さ長持ち麦芽の使用、そして40周年になる2017年には、自ら「完璧な生ビール」を謳えるまでになった。現在も「更なる完璧な生ビール」を目指して研究と改善を繰り返している。このような取り組みがロングセラーを生み出す結果になったのだ。


リポジショニング戦略、リニューアル戦略、リファイン戦略

マーケティングではこれを「リファイン戦略」と呼ぶ。よく似た言葉に「リニューアル戦略」「リポジショニング戦略」があるが、実はリファイン戦略こそロングセラー・ブランドへの道である。多くの企業ではブランドの売上が悪くなると「リポジショニング戦略(製品の梃入れ)」で挽回を図ろうとする。この時、その製品ブランドはコンセプトも味・中身もパッケージ・デザインも広告表現もすべて変更してブランドの一新を図る。


一見、大胆な戦略で過去をすべて清算し一から出直すように見えるが、これでうまくいく確率は実は低い。まったく新しいブランドを市場導入するのと大して変わらず、マーケティング投資も相応にかかる。言ってみれば「ブランドの大手術」をするようなものだ。売上低迷という病気の原因を摘出して一から健康な状態にしようとする試みである。


それに比べると「リニューアル戦略」は「ブランドの人間ドック」といえる。売上もそこまで低迷しているわけではないが、時代の流れとともにブランドが「経年劣化」することがある。それを見つけ時代の流れに取り残されないよう味・中身、パッケージ・デザイン、広告表現などを必要に応じて変更する。ちなみにコンセプトは変更しないことが多い。黒ラベルも大きなリニューアルを1997年と2010年にしている。


最後の「リファイン戦略」は「ブランドの健康増進」といえる。順調に売上が伸びている時に「さらに売上を伸ばす」ために行うもので、主に味・中身の品質改良、パッケージ・デザインの微調整、ブランドの鮮度を保つキャンペーン実施などが中心になる。まるで日々のジョギングのようなもので、いまの健康状態を保つために日々、ブランドを進化させていく。


黒ラベルが42年かけてやってきたのはこれである。この活動の良いところはリピート客が増えていくことだ。要するにファンが増える。リポジショニングのように大きなリスクを取ることなく、日々の無理のない活動を通じてロングセラーになっていくアプローチだ。“完璧な生ビール”はこうして完璧になった。さらに完璧を目指すことを、私は期待している。



水野  与志朗(みずの  よしろう)
水野与志朗事務所株式会社 代表取締役社長
ブランド戦略コンサルタント
(一財)ブランド・マネージャー認定協会評議員
学習院大学経済学部卒。味の素ゼネラルフーヅ(現:味の素AGF)、マキシアム・ジャパン、ハーシージャパンでブランド・マネージャー、マーケティング・マネージャー、マーケティング・ディレクターを歴任。34歳の時に書籍「ブランド・マネージャー(経済界)」を出版しブランド戦略専門のコンサルティング・ファームを設立。独自のファシリテーションとワークショップ手法を駆使し、クライアントを支援する。

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