キレイなコトか、綺麗事か。

美意識について何かしら書く、ということがこれほど難しいとは。そもそも美意識について語ること自体が美意識に反するのではないかという過剰な自意識も邪魔をする。まずはいくつかの身近な例から美意識を一緒に考えていただきたい。

ひとつ目。最高に考え尽くされた完璧なデザインであろうiPhone。その美の完成品にスワロフスキー輝くキラキラしたカバーを付けるのは美意識がない証だろうか。


ふたつ目。道ばたで転倒し、救急車のお世話になった80歳を超えた女性。「いつ何があるかわからないから、これから出掛けるときはいつでもキレイな下着を着けることにするわ」。それもまた確かに美意識。


みっつ目。わたくし事で恐縮だが、かつて外車一台分相当のアート作品を一目惚れして購入した。当時はいつかこの作品が似合う家に住むぞ、と仕事のモチベーションになったものだが、いまだ実現せず。美意識にも身の丈が必要なのだろうか。考えるほどに、よくわからなくなっていく。それが美意識。


美意識に定型はない

それにしても世に言う「美意識が高そうな人」とか「美意識が高そうな企業やモノ」へのイメージは恐ろしく画一的ではないだろうか。なんとなくストイックで、シンプルで、なぜかモノトーンまたはナチュラルな印象で、言葉もデザインも饒舌ではなく、控え目で、無駄がない、そんな印象だ。著名なデザイナーやCEOたちがこぞってそうしたイメージの体現者であることも関係しているのだろう。


しかも、やはりそうしたモノは文句なくカッコいい。それらの世界観のモノを持つと、自分もそこに近付けるような、近付いたような、そんな気持ちを得ることができる。買っているのはモノではなく、間違いなくその美意識なのだ。


美意識の高さはそうしたストイックなスタイルで語られることが多いものの、実は目が眩むほど鮮やかな色彩の洪水である歌舞伎の世界も、マリー・アントワネットのドレスやアクセサリー、それらを包み込むベルサイユ宮殿の世界だって、それぞれ素晴らしく美意識の高い人たちによって生み出され、育てられ、多くの人に受け容れられてきたものだ。


何を美しいと思うか、どのような美意識を持とうが正解も定型もない。美しさの基準も、美意識の規範も時代や社会背景によって変化していく。もちろん時を超えて愛されるものもあるが、本来は「わたしにとっての美」に対する感じ方は一人ひとりにあっていいはずである。


企業の美意識、商品の美意識

しかし、誰かに理解や共感をしてもらわなければならない立場においてはその限りではない。企業には、そして商品には美意識が不可欠だ。それは見掛けの美しさについてではなく、姿勢のようなものだ。


日頃からコンセプト開発ナビゲーションの場で必ず念を押すことがある。その企業の「らしさ」や誇り・理念を真摯に、決してお題目としてではなく、具体的に表していきましょう、と。


生活者ニーズだけでは新たな価値を提供するモノづくりが難しくなり、一方で多種多様な情報が手に入りやすくなっている昨今、その企業がそのモノを通してどのような価値を提供するかが問われている、とまことしやかに言われている。それゆえモノではなくストーリーが重要であるとか、体験価値が意味を持つとか、マーケティング界隈では賑やかだ。


たしかにどこで何を買っても十分な品質のモノを手に入れることができる今、物語を重視することは大きな意味を持つが、安易なストーリーをまとったばかりに安っぽくなってしまうモノやサービスがあるのも事実だ。美意識の欠片もない、同じようなポエムの押し付けが氾濫していないだろうか。


企業の美意識とは、自社らしくないことはやらない、という矜持を持つこと。あえて手を出さない領域を持っていること。一線を越えないこと。たとえ世間で流行っていても、やってはいけないことややらないことが明確であること。


それらは単に伝統を守り、旧態依然と現状にとどまっていることとはまったく異なる。自分たちらしい取り組みや表現を知っていればこそ、冒険や刷新がいくらでもできるのだ。「らしさ」を感じる企業や商品の新しい取り組みに、人々は美意識を感じるものだ。


隠德は美に非ず。
そろそろお行儀の良さをアップデートしよう

同時に、ここで声を大にして言いたいことは、伝えたいことははっきり伝えないと伝わらない時代であるということだ。自社らしさやそこに宿る美意識に、そっと気付いてくれる人たちだけと関係性を結べば良い社会ではない。多様な人たちに向けて、堂々とその美意識に基づくメッセージを発信していく時代だ。もはや沈黙は金ではない。


そして、それは企業だけでなくわたしたち一人ひとりの行動についても言えることだ。言いたいことを、きちんと主張している人の姿は美しく、淀みがない。


忖度しすぎて身動きできないなど愚の骨頂。我慢は美徳などと信じていたら、我慢させている側がいい思いをするだけだ。控え目におとなしくしていることがお行儀が良いとされていた時代を終わりにしよう。昭和のおじさん文化に都合がいいことは、会社の中からも家の中からもすべて葬ろう。わかったふりをしていい人を演じることはカッコ悪い。意見をきちんと言えること、それ以前に自分の意見を持っていること。それが美意識の根幹だ。


高い美意識を持っている人や企業、モノやコトに人々は魅了される。その主張やメッセージが美しく、夢を見させてくれるからだ。その表現や伝え方が美しく、すみずみまで伝わる強さを持っているからだ。時代の波をうまく乗りこなす柔軟さやしなやかな体幹を有する所似である。


残念ながら、もっとも美意識が低い人たちにより執り行われているお行儀の悪い枠組みの中で、わたしたちは今、暮らしている。せめてわたしたち自身がつくり出す未来はアップデートされた美意識を駆使して形作っていこう。


そんなの綺麗事だと笑うだろうか。上等だ。綺麗事だろうが何だろうが、そこから生まれる新しい未来がキレイなら堂々と綺麗事を並べようじゃないか。いつかそれが当たり前のことになる日まで。




ツノダ フミコ(つのだ ふみこ)  
株式会社ウエーブプラネット 代表
生活者調査・研究からのインサイト導出、コンセプト開発を多数ナビゲーション支援。チームのインサイト・ナレッジを強化する協調設計技法Concept pyramidⓇの適用やインサイト・インタビュー手法の研修なども手掛ける。綺麗事を馬鹿にせず、愚直にとり組むことでキレイなコトは生み出されるとの信念で未来創造に向き合っている。

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