【伝承から伝統へ】 新潟県燕三条地域の取り組み

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2019年5月号『アナログ技術は生き残れるか!?』に記載された内容です。)


ものづくりのまち 燕三条
燕三条地域(三条市・燕市)は新潟県のほぼ中央に位置し、中小企業が金属加工製品を中心に多種多様な品物を作り出している。

その産業としてのルーツは江戸時代まで遡り、和釘づくりが転機であったと言われている。鍛冶や鎚起銅器などの歴史ある技術はそのまま受け継がれると共に、三条市では作業工具や理美容器具、燕市では金属洋食器やハウスウェアへと発展してきた。生活様式や消費者の嗜好の変化に合わせたものづくりを脈々と続けてきた結果、国内だけでなく、明治時代からも海外に輸出する製品も多数ある。


しかしながら近年では、機械化や製品の低価格化、流通経路の変化などにより多くの企業で生産量が減少し、職人の高齢化や後継者不足などの問題を抱えている。地域全体の課題を解決する為に、企業と行政が一緒に取り組んでいる事例を紹介したい。


三条市 新規鍛治人材育成事業
新規鍛冶人材育成事業は、三条の伝統技術である鍛治を残していこうと2011年に始まった事業で、三条市から委託を受けて越後三条鍛冶集団が行っている。


研修生はまず3ヵ月間、午前中に三条鍛冶道場でベテラン職人から鍛冶の基礎を学び、午後は、三条鍛冶集団に所属する27企業を見学・体験。その後適性を見極めた上で、1つの事業所が受入先となって、その事業所で働くことになる。この間の給与、居住費、交通費は三条鍛冶集団から支給され、三条鍛冶道場での研修期間を含めて5年間受けられる。


これまでに新潟県内だけでなく、全国から8名が事業に参加しており、研修生の第1期生は、事業終了後に独立した。ほかにも、三条鍛治集団の中の製作所で修業を重ねる方もいる。今年新たに受入れたのは神奈川県出身の18才の男性で、その方を含めて現在は3名の研修生が研鑽を積んでいる。


燕市「磨き屋一番館」
金属加工産業の基盤技術の一つである「研磨」。大切な最終工程である「磨き」を行う金属研磨業者は、燕市の地場産業を支える重要な存在である。


しかし、1990年代後半から製造コストの安価な海外に仕事を奪われ、研磨業者は危機的な状況に追い詰められた。個人事業者が多い研磨事業所は、1970年当時に約1,700あったが、現在約400事業所まで減少した。残っている事業所でも社内で新人に技術を教えられる余裕があるところは少なく、大きな課題が後継者育成と金属研磨技術の普及であった。


そこで、深刻な人手不足を防ぎ、研磨技術を次世代に継承していくことを目的に、後継者育成、開業支援を中核的に行う施設として、「燕市磨き屋一番館」が建設され、2007年に開業した。運営や施設の管理は、市が燕研磨振興協同組合に委託している。事業の内容は、次の3つに分けられる。

■技能研修事業

金属研磨業の後継者や開業、就職を目指す人を対象に、3年間、金属研磨の技術を熟練の職人が丁寧に指導し、技術や知識の習得を目指す。研修生は、実際に商品となるものを題材として磨き、奨学金が支給される。技術を学ぶだけではなく、実際の製品の完成に携わることで、職人として「稼ぐ」ことへの意識も持って仕事に取り組んでいる。

技能研修生の定員は各学年約3名、2007年のオープン以来、26名の方が研修を修了し、自主開業、または企業へ就職している。現在は8名の研修生が指導を受け、日々技術の習得に取り組んでいる(平成31年4月末時点)。

■開業支援事業

研磨機、集塵機を設置した開業支援室を新規開業者に対する貸工場として安価に貸出しを行っている。

■体験学習事業

研磨技術への関心を深めてもらうため、一般の方や学生を対象に、工場見学や初心者向けの研磨体験を行っている。館内にとどまらず、研磨技術の奥深さや魅力を広く知ってもらうため、全国各地のイベントにも参加、出展を行っている。


「燕三条 工場の祭典」での事例
「燕三条 工場の祭典」は、普段は閉ざされた空間であるものづくりの現場を10月初旬の4日間だけ一斉開放し、職人の手仕事や、各工場で実施されるワークショップを通して来場者がものづくりを自由に見学、体感することが出来るイベントで、2013年から始まった。


4回目の2016年からは、それまでの金属加工品を中心とする「工場(KOUBA)」の他に、野菜や果物、米を生産する農家を「耕場(KOUBA)」、さらに地場産品を購入できる販売店を「購場(KOUBA)」と3つの切り口に広げた。工場の見学だけでなく、食や販売といった新しいコンテンツを加えることで、燕三条地域全体の魅力がより伝わるようにした。


6回目の昨年は109の参加事業所に延べ53,000名を超えるお客様がお越しになり、初年度から比べると参加事業所は2倍に、来場者数はおよそ5倍に増えた。販売金額に至っては10倍となっている。アンケートによると、来場者数の内、20代と30代がおよそ4割を占め、同じく4割の方が新潟県以外からわざわざお越しになっている。


イベント開催前の目的としては、工場を起点に人と人を繋げ、価格以外の価値を現場でお伝えすることだったが、回を重ねる毎に私たちが想定する以上の反応があった。


最も分かりやすく、嬉しかった事例は燕三条地域以外からの職人への成り手が増えた事だ。「この環境で挑戦したい」「この技術を自分も受け継ぎたい」という熱い思いを持った若者が地域外から燕三条に来てくれるようになり、実際に職人になった人数は私が知る限りでも10数名にのぼる。


さらに、大勢の見学者を前に実演や説明をする職人の姿を見て従前の工場の暗いイメージが払拭されるなど、地域の子どもたちへの情操教育にも繋がっている。


大きなうねりを感じ取った事業所が毎年2~3社ほど設備投資をし、通年で工場の開放を行うようになった。今では15社程が常に見学出来るようになり、イベント時以外でもそれを目的に地域に足を運んでくださるお客様が増えてきた。


ほんの少し前まで、町工場が人を呼び込む素材になるとは誰も考えていなかったが、少し体裁を整えて、普段は閉ざされている空間を開けるだけで多数のお客様が来てくださるようになった。地域として点ではなく、面で人を呼び込めるように変化しつつある。


地域一体での取り組み
燕三条は長い歴史の中で無数の、無名の職人たちが歯を食いしばって伝統を守り、技術を受け継いできた土地だ。職人がいなくなれば、その技術も途絶えてしまう。


そうすると波及的に関連する複数の技術も途絶えてしまう可能性がある。先人たちから受け継いできた伝統を私たちの世代で終わらせるわけにはいかない。私たちは技術を次の世代に繋げていかなければいけない強烈な使命感を持っている。


昨年の9~10月にロンドンのジャパン・ハウスで開催された「燕三条 金属の進化と分化」展にて、「伝統とは、灰を崇拝することではなく、炎を絶やさないことである」(作曲家 グスタフ・マーラー)という言葉に出会った。「人材育成事業」や「磨き屋一番館」、そして「燕三条 工場の祭典」も、まさに伝統の炎を絶やさないための取り組みを地域一体で進めていく覚悟だ。

掲載写真:「燕三条 工場の祭典」実行委員会




山田  立  (やまだ  りつ)
「燕三条 工場の祭典」実行委員会  事務局長
株式会社玉川堂  番頭
百貨店勤務を経て、「ものづくりのまち燕三条」でも有数の鎚起銅器を世に送り出している「株式会社玉川堂」に入社。現在は創業200年の歴史を誇る同社で番頭を務め、今年で第7回目となる「燕三条 工場の祭典」では、初回から実行委員会で副実行委員長を務め、第4、6回は実行委員長、今年は事務局長を務める。今年は実行委員長を務める。

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