日本工芸の沼にはまった一人の商人の話

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2019年3月号『恋に落ちる、沼にはまる 沼消費とは何か』に記載された内容です。)


「日本工芸の美」を感じる喜び

30年間器屋を営んできたが、思えば10代のころからアルバイト代を全額使って器を買っていた。毎日、三食、手に取る器の中に「日本の良さ」を見出していた。そして二十歳のころには茶道を始めた。


村田珠光、武野紹鷗、千利休の頃から受け継がれる茶器について、何故この器は500年近くに渡り引き継がれてきたのか、その魅力は、意味はなんだろう、どのように伝わってきたのだろう…と考えているうちに、気が付いた頃には日本工芸の沼にはまっていた。


日本は工芸の国だ。庶民が使う道具にも美が存在する。バーナード・リーチ1)は日本人の生活について「生活の中に美がある」と言ったが、私自身、日本の職人が作るはさみや箒などの道具を見て、まさにその通りだと深く共感する。


「雛人形」一つとってみても、布で作ったつるし雛、石で作られているもの、高貴な着物を身にまとっているものなど、農民から大名までそれぞれの階級・時代・地域の生活の中にそれぞれの文化があり、それが雛人形として具現化している。


山や、海や、街、それぞれに独自の文化があり、それぞれの美が育まれた。西洋の貴族階級の娯楽であったアートとは異なり、日本人は日常に美を見出す感性を自然と持っている。日常に美を見出し、形にして後世に伝えていくのが日本工芸だと感じる。


黒田泰蔵氏の白磁は、その日本の美の真骨頂とも言える。彼の器を買うためだったら、今住む家を売ってもいいとさえ思っている。彼の器は、器作りに傾けた“彼の人生”そのものであり、私にとってみれば、それを手に入れて世の中に見せて伝えることこそが「工芸」である。


それを伝えるためなら、たとえ家がなくて、路上で背負って売ったっていい。我々は、空間に囚われ過ぎなのだ。家がなくたって、店がなくたって、伝えるべきは器であり、そこにある文化であり営みなのだ。「日本工芸」を知れば知るほど、「日本工芸の美」を伝えることが自分にとっては幸せで、生きる喜びを実感する行為そのものとなっていった。


「自分自身を疑い続ける」こと
好きなことを仕事にするにはどうしたらいいのかと聞かれることがある。答えは簡単で、自分に正直になることだ。自分の仕事で言えば、本当に自分がいいと思うものを手に入れる努力をして、抱いて寝たくなるようなものを手に入れたらそれはもう売れたようなもん。


出張費がないから、時間がないからといってインターネットで最新の流行を見て、学んだような気でいる人が多いが、努力というのは自分の足で、“多くの”“一級品”を見て、自分自身を疑い続けることだと思っている。


そして見るだけでなく、使うことが大事。見ただけではわからないのが工芸だ。自分が使わないようなものを仕入れ、お客様に提供するようなことは肝に命じてしない。使わないものを売れば、そこに嘘が生じるからだ。我々商売人は、自分の目で「心からいい」と思えるものを追い求める努力をしなければいけない。


そしてもし無ければ、作り出せばいい。それが今作れなかったとしても、今の自分のベストのものを、後世に伝える。それが「技術」となり、脈々と受け継がれていく。


「使う」ことで受け継がれる文化と精神
漆塗りの大家、角偉三郎氏に「使えばわかる」と言われたことがある。漆塗りの器は、使い込んでいくと器の轆轤目(ろくろめ)の山が削られ谷が残る。彼の器はここまで使い込まれ、谷に漆が残ることまで想定して作られている。


彼の器は、日本工芸は長期の使用に耐えること、むしろ長く大切に使ってこそ本来の味が出るということを身をもって教えてくれた。まさに「使えばわかる」の精神が一つひとつの漆器に込められている。


角偉三郎氏の息子の角有伊氏も同じく漆工芸家である。あるとき、父と息子の同じ様な器の作品を見て「偉三郎氏の方がいい」と言う人がいた。アートの視点からはそうなのかも知れない。


しかし、使われてこそ工芸であり、そこに受け継がれる文化や精神こそが工芸なのだ。こういったものを消費者が理解してくれないと嘆くのではなく、売り手側の「伝える努力」があってこそ、幸せな営みが生まれると思っている。


器のためなら家を売ってもいい。そう語る眼差しには、一点の曇りもなかった。日本工芸の沼にはまった一人の商人には、想像を絶する日本工芸への愛が溢れていた。自らを疑い続け、更新し、体験を通じて得た嘘偽りのない言葉でありのままを人に伝えていく。


その言葉を聞くために、国内のみならず、海外からお店に足を運ぶ人も少なくは無い。沼に落ちた人間が、さらにその沼に人を自然とはまらせる。その営みこそが工芸なのだ。その営みに人を巻き込んだ時、そこに古から連綿と続く日本の美とのつながりが生まれる。


人から人へ営みを通じてものが渡るとき、どんな価値があるのか。そこには”もの”の背景に存在する、人を「幸せ」に導くための売り手の絶え間ぬ努力の結晶と、嘘偽りのない等身大の姿を見出しているのかもしれない。





【話し手】
田口和幸氏について
1955年、群馬県高崎市新町生まれ。
器屋・画家・建築デザイナー。
34歳まで地元で公務員を務めるが、100年の歴史をもつ家業である「人形店」を再復興させるために辞職。販売時期が限られる人形に加えて、年間を通して扱える「器」に惹かれ、1988年に慶瑞(けいずい)あかまんまをオープン。現在では「陶器と暮らしの道具」をテーマに、日本国内だけでなく世界的に活躍している黒田泰蔵氏2)の白磁や角偉三郎氏3)の漆塗りの器も取り扱う。自身も墨と金箔を用いて画家として活動し、作品はアメリカ・ロサンゼルスのレストランや中国・上海のギャラリーに展示され、モンゴル・ウランバートル、韓国・ソウルにて個展を開催する。その活動の幅は建築デザインにまで及び、群馬県伊香保の老舗旅館の内装デザインや県内にある料亭の設計デザインなど多岐に渡る。


【書き手】
蛭子  彩華  (えびす  あやか)
一般社団法人TEKITO DESIGN Lab 代表理事
クリエイティブデザイナー/ライター
1988年、群馬県前橋市生まれ。2008年、立教大学社会学部に入学。在学中の2011年、「次世代人財塾 適十塾(てきとじゅく)」に第1期生として入塾し、「社会課題を学生の柔軟な発想と、ビジネスの手法で解決すること」を指針に活動。卒業後は、商社系IT企業に入社。2015年、夫の南米チリ駐在を機に退職し帯同。そこでデザイナー/ライター活動を開始する。2016年、学生時代から取り組んできた適十塾の活動をさらにスケールアウトさせるべく法人設立。
「社会課題をデザインの力で創造的に解決させる」を軸に、行政・企業・個人など様々なパートナーと組みながら、事業を展開している。



注釈
1) 黒田泰蔵:1946年、滋賀県能登川町生まれ。陶芸家。
1966年、フランス・パリに1年間滞在。その後、ニューヨークを経て、カナダ在住にてGeatan Beaudin氏に師事し陶芸を始める。1991年静岡県伊東市に築窯。その頃から白磁に拘った創作を始め、日本のみならず海外でも高い評価を受け、作品は東京国立近代美術館(東京)、ブルックリン美術館(NY)、ヴィクトリア&アルバート美術館(LON)などに貯蔵される。
2) 角偉三郎:1940-2005年、石川県輪島生まれ。漆工芸家。生涯に生み出した器は、1000種以上。15歳で沈金の修行を始め、38才という異例の若さで改組日展の特選を受賞。その作品は国内外で高い評価を得ている。
3) バーナード・リーチ:1887-1979年、イギリス人の陶芸家であり、画家、デザイナー。
日本をたびたび訪問し、白樺派や民芸運動にも関わりが深い。日本民藝館の設立にあたり、柳宗悦に協力した。

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