サドルの上のサードプレイス

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2018年9月号『ふらり。 …隙間と自己調律』に記載された内容です。)

Googleで「スキマ時間」と検索すると、こんな検索結果がずらりと並ぶ。

「スキマ時間活用で人生が変わる」「できる人のスキマ時間の使い方」「スキマ時間使いこなし術」などなど。現代社会では、スキマ時間をスキマのまま無為に過ごすのは推奨されないようだ。


スキマ時間の代表といえば、通勤の時間だろう。日本人の平均通勤時間は往復1時間19分、東京圏では1時間42分におよぶという(NHK 2015年国民生活時間調査)。通勤時間を制す者はスキマ時間を制すと言っても過言ではない。


スキマ時間のラスボスである。スキマ時間を活用すれば人生が変わるのなら、通勤時間の使い方次第で人生は変わるはずだ。


と書いている僕は、通勤中は何もしていない。というかできない。自転車で通勤しているからだ。結婚して引っ越したのを機に折りたたみ自転車を買って以来14年間、自宅と職場の変転によってルートは何度か変わっているものの、天気が悪かったり出張などがない限り平日はほぼ毎日、往復約1時間の自転車通勤を続けている。


電車で通っていた頃は「なくせるならなくしたい時間」だった通勤の時間は、今や僕にとってかけがえのない「なくしたくない時間」である。自宅の隣に無償で豪勢なオフィスを用意しようとか、毎日最高級のリムジンで送迎しようという申し出を受けたとしても、僕は間違いなく断って自転車通勤を続けるだろう。


なぜだろう?と自問して、自転車通勤は僕にとって大切なサードプレイスとして機能しているのだと気づいた。自宅や職場の中間にある、居心地の良い第三の場所。


一般的にいわれるカフェなどのサードプレイスとは全く趣は異なるが、それ以上にリラックスし、かつクリエイティブにもなれる最高の時間・空間なのだ。特に、我々現代人がスマートフォンの普及などによってスキマ時間をより効率的に活用できるようになったのと引き換えに失いがちな、「深く思索する時間」として実に最適なのである。


これには脳科学的な裏付けがある。一定のペースでペダルを回すというリズミカルな有酸素運動を行うことで、脳内にはいわゆる幸福ホルモンと呼ばれるセロトニンが分泌される。全身の血液循環が活性化されて脳に運ばれる酸素も増える。


スピードを感じること(自転車は体が外界にむき出しになっているため実速度よりもスピードを体感しやすい)、景色の移り変わりで次々と新しい視覚情報がインプットされることなどでドーパミンが分泌され、精神活動が活発化する。これらの効能を自転車以外の通勤手段で得ることは難しい。


さて、路上で観察するかぎり、自転車通勤者は確実に増加しているように見受けられる。では、具体的にどれくらい増えているのか?近年の状況を示すデータは見つけられなかったが、1990年と2010年の通勤通学の交通手段の変化を表す国勢調査の統計情報があった(図1)。


東京以外のエリアではクルマが大きく伸びて自転車が減少していたのとは逆に、東京ではクルマが大きくシェアを落とし、逆に自転車が伸びていたのは興味深い。


日本における新車販売台数は1990年をピークとして以降は右肩下がりの、いわゆる「クルマ離れ」が進行しているわけだが、東京以外のエリアでは少なくとも平成最初の20年間はまだモータリゼーションの拡大の方が勝っていたわけである。


語弊のある言い方になるが、同じ期間で東京と東京以外とでクルマと自転車の構成比の変化トレンドが真逆になっているのは、現在中国やインドなどいわゆる新興国でクルマが爆発的に増え続けて自転車が軽んじられているのに対して、いわゆる成熟した先進国では逆にクルマの利用抑制と自転車再評価・自転車活用が進んでいるのに似た図式であるように思える。


図1の国勢調査は2010年が最新だが、以降の8年間ではすぐに思いつくだけでも東日本大震災時の自転車再評価や、漫画「弱虫ペダル」の大ヒットに伴う女性サイクリストの増加、シェアサイクルの普及といった動きがあり、日本において自転車活用がその後一段と進展しているであろうことは想像に難くない。


ちなみに2010年と2017年の自転車販売動向を比較すると(図2)、一般車(いわゆるママチャリ)がシェアを落とすかわりにスポーツ車(ロードバイク、クロスバイク)と電動アシスト車が伸びており、自転車を「近所に行くきっかけ」ではなく「より遠く、より速く」移動する手段として活用する層が近年増えていることが見てとれる。


「より遠く」ということは、自転車に乗って過ごす時間が「より長く」なることを意味する。自転車には健康に良いなどの実利的なメリットが数多くあるが、加えて、サドルの上に自分だけのサードプレイスを見いだす人々が増えているのではないかというのは、穿った見方であろうか。


冒頭の問い、通勤時間の使い方で人生は変わるのか。通勤手段を自転車に変えてみたら大いに変わった、というのが僕を含めた多くの自転車通勤者たちの実感だ。


もっとも僕のように、元はインターネット広告会社の財務担当役員だったのに、折りたたみ自転車の魅力にはまって会社を辞め、折りたたみ自転車ブランドを起業してしまうのは行き過ぎかもしれないが。




小林  正樹  (こばやし・まさき)
株式会社イルカ   創業者/代表取締役
インターネット広告代理店オプトの創業役員(取締役CFO)として、財務を中心とした管理部門全般、上場準備責任者などを担当。同社退社後株式会社イルカを設立し、近日の発売に向けて「モバイル変身自転車iruka」を開発中。

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