無理の向こう側にある奇跡<後編>

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2018年6月号『無理上等!』に記載された内容です。)

女性型消費の時代へ。
2011年3月11日に発生した東日本大震災は世の中の消費を大きく変えた。

SPBSも、本の売れ方が変わった。以前であれば、建築、ファッションに関連する写真集やコンセプトブック、そして、洋雑誌などを会社の必要経費で購入するお客さまが数多くいたのだが、震災後は「領収証をください」という言葉を聞く機会が激減した。


そして、売れ筋も変わった。ファッション関連本やアート関連本など、エッジの効いた本は売れなくなり、松浦弥太郎さんや西村佳哲さんの著作をはじめとする「働き方・生き方」をテーマに編集された本、雑誌『&Premium』のような「ベストではなくベター」「量より質」「シンプル/ミニマルライフ」といったキーワードが編集テーマになっている本が売れるようになった。


加えて、世の中の消費が徐々に徐々に女性化していた。虚勢と見栄の消費=男の消費から、コストパフォーマンスに敏感で、ちょっぴりミーハーな消費=女の消費に移り変わっていた。つまり、地に足の付いたもの、コスパの良いもの、ライフスタイルと向き合えるものが消費のキーワードになっていた。


そんなとき、SPBSは、スタッフが女性中心の編成に変わった。狙ったわけではなく、自然と変わっていた。世の中の消費が女性化、中性化するなかで、スタッフが女性中心になったことはとても大きかったと思う。女性スタッフたちの頑張りと成長は目を見張るモノがあり、それはそのままお店の売り上げ増へとつながった。現在SPBSのお客さまは、6割~7割が女性である。これも小さな奇跡だった。


駅から遠く、人通りも少ない場所への出店。
私は『プレジデント』の編集者時代に数々の企業経営者に取材をさせていただいた。ビジネスの現場も見てきた。だからこそ、経営(ビジネス)における“セオリー”の大切さを理解しているつもりだ。そして、SPBSでやってきたことの非常識さもよく理解している。


しかし、人生とは面白い。セオリーだけでは奇跡は起きない。ときに、セオリーを無視した非常識がないと、奇跡は起きない。実際に、SPBSはセオリーを無視してきた。大きくは、次の三つである。


1.事業を大きく始めたこと。
2.創業間もない頃から経営の多角化に取り組んできたこと。
3.感覚を頼りに出店地を決めたこと。


本来事業は、小さくはじめて大きく育てるのがセオリーだ。しかしSPBSは資本金5,000万円、資本準備金も含めるともっと大きな金額を投入して事業を始めた。大きな金額は、内装・建築費や商品の買い入れなどに使われており、創業から10年を過ぎた今でも、SPBSは減価償却をしている。


また、本来経営は、選択と集中がセオリーだ。自社の一番強いところにヒト・モノ・カネの経営資源を集中し、一点勝負を試みる。しかしSPBSの場合は、創業当初から経営を多角化してきた。多角化し、経営資源はあちこちに配分された。できることには何でもチャレンジしてきたのだ。


さらに、本来出店は、きちんとマーケティング調査をし、じっくり計画を立てて実行するものだが、私は出店をあっという間に決めてしまった。しかも、渋谷駅からも、代々木八幡駅 / 代々木公園駅からも、神泉駅からも等しく遠く、人通りの少ない場所に、だ(神山町の本店を決めるまでのエピソードは先に書いたとおりである)。出店を決断したポイントは「感覚」にあった。


かつて近隣の元代々木町に住んでいたことがあったから、この街の土地勘があったのはもちろん、渋谷という繁華街からほど近いのに、どこか米国の西海岸のようなゆるい空気が流れていることも知っていた。街に伸びしろがある。そんな気がした。“何かいけそう”な感じがしたのである。


Stay hungry,Stay foolish
では、これらの非常識は何につながったのか? 大きな金額の投資は、ガラス張りのファサード、白い書棚、奥に向かってどこまでも続くテーブルとライトなど、一度見たら忘れられない特徴のある店舗をつくりあげた。

質の高い建築デザインは、本屋に行くこと=お買い物に行くこと=非日常を楽しむということを、改めて認識させるのに充分だった。この建築がなかったら、現在のSPBSの盛況はなかったであろう。セオリーから言えば“カネのかけ過ぎ”なのだが、この過剰さは確実にお客さまを非日常に誘った。


経営の多角化については、多角化して走ってきたおかげで、逆に、本屋がダメなら編集で、編集がダメなら雑貨店で、雑貨店がダメなら……と、一つの事業が倒れても別の事業が支える、足腰の強い企業につながっていた(金融機関からも評価された)。


そして渋谷区神山町という場所への出店は、周囲に競合がいないという意味で、SPBSが本屋としての地域一番店の座に就くということを意味した。そして、後に盛り上がることになる「奥渋(奥渋谷の略)人気」の恩恵にも預かることになった。


経営者の仕事は先を見通すことであり、見通した未来を社員に見せていくことにある。だからSPBSは、「そこでつくってそこで売る」という未来も、地域に密着して商いを行っていくという未来も、建築デザインを通じて見せてきた。いま振り返ると、人通りの少なかったこの神山町に本屋をつくって経営しようなんて、相当バカなことをしたな、と思う。


でもこういうバカがいた方が世の中は面白くなるし、バカをやれたからこそ、現在のSPBSがある。「Stay hungry,Stay foolish」で締めくくられたスティーブ・ジョブズの有名なスピーチじゃあないが、真剣にバカをやる。脇目もふらずに自分の考えた事業に夢中になって取り組む。それが、不可能を可能にするパワーを生むと思っている。


「まさか自分が……」。指定難病に。
その後SPBSは、渋谷ヒカリエShinQsへの出店、大阪のルクア イーレへの出店が続き、企業規模が大きくなった。いつの間にか、年商5億円を視野に入れるまでになっていた。しかし、好事魔多しとはよく言ったもので、2016年の新年早々、私にとって想像だにしていなかった出来事があった。


国の指定難病になっている「パーキンソン病」であることが発覚したのである。モハメド・アリやマイケル・J・フォックスも愛されてしまったあの病気、といえばお分かりいただけるだろうか。


当たり前だった日常が当たり前でなくなったとき、人は、日常のありがたさを知る。私の場合、日常とは“仕事”であり“SPBS”であり“SPBSで働く仲間たち”であった。皮肉なことだけど、病気になったことで、それに気づくことができた。


「同じ病気で苦しんでいる人を勇気づけるためにも、情報をオープンにして働いていこう」。これから先の自分の新しい役割に自覚的になったなら、気持ちを切り替えるのは早い。すぐさま取引先、社員、株主などには自分の病気のことを伝えた。ネガティヴな反応は何一つなかった。涙が出るほど嬉しかった。


おかげさまで私はいま、元気だ。毎朝4時30分に起き、風呂に入って、リハビリを兼ねた簡単なトレーニングをし、9時過ぎに出勤、19時まで会社勤務をし、その後23時くらいまで会食に出かけたり、勉強会に出かけたり、仕事が溜まっているときは、自宅作業などに充てている。病気のことを自分から話さなければ、福井が特定難病患者だと思っている人はいないのではないか、と思う。


「病は気から」という。私は病気になったことで本当に大切なものを知った。大切にしてくれる人の存在も知った。だから身体は病に冒されても、心まで病に冒されることはなかった。身体は心の入れ物にすぎない。だから、心が健康でありさえすれば、まだまだいける。いま、エレファントカシマシの新譜『Easy Go』を聴きながら、改めて仕事人生のアクセルを踏み込んでいる。

前編はこちら>>https://www.jma2-jp.org/article/jma/k2/categories/475-mh180604



福井  盛太  (ふくい  せいた)
SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS,LLC. Founder/CEO
1967年愛知県生まれ。91年早稲田大学社会科学部卒。 ビジネス誌『プレジデント』の編集者などを経て、2007年9月、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS)を設立。現在は、本のある暮らしを提案するセレクトショップ《SPBS》、毎日を特別なものにする、ときめくアイテムをあつめたセレクトショップ《CHOUCHOU》の経営、webメディア、雑誌・書籍の編集や店舗プロデュース、イベントやセミナーの企画立案を行っている。

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