【世界と向き合う】日本の若者は、本当に内向きなのか?

「日本の若者は内向き思考」と言われて久しいが、それは本当なのだろうか?

確かに、日本から海外への留学者数は2004年の82,945人をピークに減り続けているとは言うものの、2011年の留学生数57,501人はバブル景気の1986年(14,297人)から1991年(32,609人)と比べると遥かに多い。我々のようなバブル世代やそれ以前の世代の大人たちが、今の若者を一括りにして内向き思考云々と言うのは如何なものかという気もする。


ちなみに、海外への留学生が減少している要因としては、就職活動の影響や、米国への留学生の減少、中国、韓国の勢いに押されている等々、様々な要因が取り沙汰されているが、これらは少なからず大人たちの責任によるところもある。


とは言え、こんなご時勢でも、海外に留学する若者は数多いる。大学で教鞭をとりながら、日本企業のバングラデシュ進出のコンサルタントをしている私のところには、必然的に開発途上国に興味を持つ学生が集まって来る。


こうした縁から、現在バングラデシュをフィールドに活動する適十塾と、インドをフィールドに活動するSIBPというふたつの学生団体の指導、監修に当たっているが、今回のコラム執筆にあたり、この二つの学生団体を中心に海外留学経験のある学生2名、現在留学中の学生2名、これから留学する学生2名の計6名にインタビュー調査を行なった。ここでは、彼らの生の声を紹介していきたいと思う。



<インタビュー調査を行なった学生>
1.海外留学経験のある学生2名(男女各1名)
 渡邉 真洋・立教大学⇒デンマークの大学
 畔柳 衿花・立教大学⇒ワシントン大学(米国)
2.現在留学中の学生2名(男女各1名)
 那口  誠・早稲田大学⇒ダルエスサラーム大学 (タンザニア)
 田村  真由香・早稲田大学⇒コロンビア大学(米国)
3.これから留学する学生2名(男女各1名)
 篠塚  大樹・慶應義塾大学⇒メルボルン大学(豪州)
 稲葉  圭・立教大学⇒米国の大学


留学を「漠然」と考える

まず、彼らの家庭環境を聞いてみた。
「父の仕事の都合で、ロンドンで中学生時代を過ごした(畔柳)」
「幼少期をタイ、インドで過ごした(田村)」
「父や祖父に海外勤務経験があったことから、幼少期から海外の話題に接していた(稲葉)」


このように、海外を身近に感じる家庭環境に育った学生もいたが、両親に海外経験がなくても、
「海外経験のない両親が留学をけしかけてきた(那口)」
「両親と一緒に美術館や博物館に行ったことや、本を通じて海外に興味を持った(篠塚)」
「マンガ偉人伝で、世の中には色々な人がいると知った(渡邉)」


など、様々な情報に触れる中で、海外に関心を持つようになった学生もいた。今の時代「海外」は日常生活の中に普通に溶け込んでいる。要はそれを、自分の興味・関心と結びつけられるか否かの違いなのだろう。


いずれにしても、日常生活の中で、「漠然」と留学を意識するようになったと答えた学生が多かったことが印象的だった。「漠然」と留学を考えるだけの学生なら、相当数いるはずだ。この点では、彼らは普通の学生と変わらない。


留学を「自分ごと」として捉える

次に、留学を「決意」したきっかけについて聞いてみた。
「バングラデシュに行き、アジアでの日本の存在感を知るとともに、伝えたいことが英語で伝えられないもどかしさを感じ、単位のためだけに大学に行っている場合じゃないと気づいた(畔柳)」
「身近に留学経験のある先輩がいて、具体的なアドバイスをくれたことが大きい(稲葉)」
「留学の動機が見えなくなったとき、友人から「アフリカに行っちゃえ」と言われて、途上国に関心があり活動していた自分の動機と留学とが繋がった(那口)」
「周りが留学していたことや、英語が話せない自分を「やばい!」と思った(渡邉)」


意外にも、「漠然」とした考えが「決意」に変わった瞬間は、外圧的なものが多かった。何かを実際に「体験」したり、自分でも出来ると「実感」したときに、「漠然」とした留学が「自分ごと」として捉えられるようになったということなのだろう。


「覚悟」を決める

では、彼らは、どのように留学先(国)を選んだのだろうか?
「行ったことがない国(米国)を選んだ(畔柳)」
「未知の世界(タンザニア)に飛び込みたかった。皆と同じことはしたくなかった(那口)」
「日本人が少なく、イメージの湧かない国(デンマーク)で1人挑戦したかった(渡邉)」


このように、未知の世界に飛び込みチャレンジしたかった、と答えた学生がいた一方、
「世界経済の中心(米国)で幼少期から興味があった国際関係学、開発経済学を学びたかった(田村)」
「宗教や民族の違いに関心があり、多様性のある環境(米国)で過ごしたかった(稲葉)」
「議員インターンで政治に興味を持ち、「義務投票制度(豪州)」に興味を持った(篠塚)」


など、興味のある分野を極める為にはどこがよいか、という視点から留学先を決めた学生もいた。


未知の世界に飛び込む“チャレンジ精神”と、関心のある分野を極めたいという“知への探究心”は、その厳しさや現実と向き合う「覚悟」を決めるという点で共通している。この「覚悟」がなければ、漠然と考えていることが「決意」や「行動」に変化することはない。それ故、
「勉強量の多さに圧倒されたけど、今では自分の限界に挑戦できる生活が楽しい(田村)」
「様々なことにチャレンジできる環境が刺激的で嬉しい(那口)」


など、「覚悟」を決めた若者は、自分自身で決めたチャレンジを今、満喫している。

当たり前のように存在する「世界」と向き合う

最後に、今後の働き方や生き方について聞いてみた。
「海外で生活したいという気持ちは当たり前にある(畔柳)」
「海外の大学院に進学したのち、インドで貧困問題解決を目指して尽力したい(田村)」
「どの国で働くかはわからないが、最終的には日本に自分の経験を還元したい(稲葉)」
「海外で働くことがハードルではなく、ひとつの選択肢になればよい(篠塚)」
「どんどん海外に出て、国籍に囚われず個人としてチャレンジングな道を選択したい(渡邉)」

このように、彼らの中には「海外(外向き)」と「日本(内向き)」という線引きは存在せず、当たり前のように「世界」がある。


「日本の若者は内向き思考」と憂う前に、こうした学生の生の声に耳を傾け、「我々大人たちはどうなのか?」、「我々は未来を担う若者たちに、どんな体験の場や環境を提供できるのか?」ということを自問自答してみる必要性を強く感じた。
 「日本の若者は、本当に内向きなのか?」この議論は、若者ではなく、今の日本社会全体に向けられているような気がする。




見山  謙一郎  (みやま  けんいちろう)
本誌編集委員
株式会社フィールド・デザイン・ネットワークス  代表取締役
次世代人財塾・適十塾 塾長、多摩大学経営情報学部 非常勤講師

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