自転車通勤が人気を集めたり、自転車レース漫画「弱虫ペダル」が大ヒットするなど、自転車が「来ている」のは間違いないのだが、それをデータで示すのは案外簡単ではない。
日本における自転車の世帯普及率は既に1980年代に8割に達しており※1)、以降は高止まりを維持したたまま今に至っている。人口100人あたり保有台数は68台と、オランダの109台、デンマークの78台などには見劣りするものの、ツール・ド・フランスの開催国であるフランスの39台、かつては自転車通勤ラッシュの風景が代名詞のようであった中国の31台などに比べると格段に多い※2)。活用度を表す指標である自転車分担率(自転車を代表的な移動手段とするトリップの割合)も、2000年の時点で東京23区が14%、大阪市が25%であるなど、日本の諸都市のそれは世界の自転車先進都市といわれる街と比べても非常に高い部類に入っていた※3)。
ブームといわれるはるか以前から、自転車は日本人の生活に根ざし、広く活用されていたのである。変わりつつあるのは、その中身だ。最大の変化は、ロードバイクやクロスバイクといったスポーツ自転車の台頭である。
自転車産業振興協会の調査によると、自転車販売店一店あたりの年間総販売台数が2000年は268.9台、2013年は200.8台と減少している一方で、車種別内訳を見るとスポーツ自転車の販売台数は2000年の4.4台から2013年は22.1台と、実に5倍強の伸びを見せている。総販売台数に占める構成比は1.6%から11.8%と、7倍ものプレゼンスを占めるに至っているのである※4)。
軽快車、いわゆるママチャリの主な使われ方が、近所での買い物、子どもの送り迎え、通勤通学時の自宅と最寄駅の往復といった「短距離」「日常」であるのに対し、スポーツ自転車の使われ方は、ツーリング、ポタリング(自転車で街や観光地をぶらつくという意味の和製英語)、自宅から職場までの直接の通勤通学など「中長距離」「非日常」が主である。
ママチャリのボリュームゾーンが2~3万円台であるのに対して、ロードバイクは初心者向けのエントリーモデルでも10万円以上は当たり前、上級者向けになれば数十万円台、百万円台のモデルも少なくない(スルガ銀行は、ロードバイクの購入資金として最大500万円までを貸し付ける「ロードバイク購入ローン」を提供している)。
つまり、現在いわれる「自転車ブーム」とは、ロードバイクを筆頭に趣味性の高い自転車がよりポピュラーになり、自転車を日々の移動のための「実用品」として使うのみならず、相応のお金をかけて「嗜好品」としての側面を楽しむ人々が増えている現象であると言い換えることができる。
ブームといわれる自転車とは対照的に、クルマの苦戦が伝えられている。特に「若者のクルマ離れ」といわれるように、若年層におけるクルマの人気低下が言われて久しい。
クルマの販売台数のピークは1990年の780万台、同じく縮小が目立つ自動二輪のピークはその8年前、1982年の320万台であった(近年はそれぞれピーク時の7割弱にとどまる500万台前後、同2割弱の40万台強)。日本人が、高度経済成長期からバブル期にかけて、自転車から自動二輪、さらにクルマへとステップアップしてきたことが見てとれる。その間、自転車は有用な移動手段として広く活用されながらも、「クルマも自動二輪も持てない者」の乗り物の位置づけだったのだ。
では昨今の自転車ブームは、日本がまだ貧しかった時代への「先祖返り」なのだろうか。いや、違う。バブル崩壊後の不況が長かったことは確かではあるが、前述のとおり、スポーツ自転車は決して安くない。クルマを持つ経済的余裕のある層が、自ら好んで自転車に乗っているのである。
この背景はなんであろうか。健康志向の高まり、地球温暖化をはじめとした環境問題に対する注目、東日本大震災時に公共交通の脆弱性が露呈したことなどがよく指摘されるが、筆者はこれらは直接的なトリガーでしかなく、より根底に、社会の成熟度の変化があると考える。
アメリカの心理学者マズローは「欲求段階説」で、人間の欲求を低次から生理的欲求・安全欲求・社会的欲求・承認欲求・自己実現の欲求の5つに分類し、人間は低階層の欲求が満たされると、より高次の欲求を欲するとした。
高級ブランド品は、主に「承認欲求」すなわち「人に認められたい、尊敬を得たい」という欲求を刺激することで成り立っている。その代表に、高級自動車がある。例えば、メルセデスベンツといえば高級自動車の代名詞であり、ベンツオーナー=お金持ちというコンテクストが社会に広く共有されている。
もちろんベンツには走行性や居住性などクルマとして優れた点も多くあるのだろうが、ベンツオーナー=リッチというシグナリング効果は、オーナーにとってベンツの最大の魅力のひとつであろう。ベンツに乗ることは、自分が経済的に豊かであるというシグナルを発することであり、承認欲求を満たす行為の一環にほかならないのである。
1960年代の高度成長期には、カラーテレビ、クーラー、そしてカー(自家用車)の「3C」が三種の神器とされ、1980年代には「いつかはクラウン」という広告コピーがあったように、クルマを持つこと、さらに小型車・軽自動車から大型高級車にステップアップしていくことは、オーナーの社会的なステイタスを示し、承認欲求を満たすツールとして機能してきた。
一方で、自転車は承認欲求を満たすには甚だ適していない製品である。数十万円、数百万円の高級ロードバイクであっても、よほどの自転車マニアでない限り価格の高低は判別できない。フレームとパーツ総額数百万円の自転車に乗っていたとしても、「この人はお金持ちだ」と認識されることは期待できないのだ。ではなぜわざわざ、クルマではなく自転車に乗るのか。
マズローが承認欲求より高次であるとする、自己実現欲求に突き動かされている人々が増えている、というのが筆者の私見である。平たく下世話に言ってしまえば、高額商品を見せびらかして地位や経済力をマウンティングし合うことに飽き(あるいはその虚しさに気づき)新たな価値観を見出す人々が、現代日本に増えているのではないだろうか。
このような現象は、実はお隣中国でも観察され始めている。中国人富裕層の間で、高級自転車が売れているというのだ。中国は今や世界最大のクルマ市場であり、高級自動車市場としても2020年までに米国を抜いて世界一になるといわれているが、健康や環境に意識の高い先端的な富裕層は自転車に注目し、新たなライフスタイルを模索しているのだ。
このため、中国の高級自転車市場は年率15%の市場成長を続けると予測されているという。筆者はこのような潮流を社会の成熟の進展とみなし、ポジティブに捉えている。自転車の地位が高いことに象徴される社会は、環境、景観、多様性、様々な観点で今よりも暮らしやすい、ハッピーな社会になるであろう。
ともあれ、自転車はすばらしい乗り物である。誰でも乗ることができ、環境にも健康にも良く、都市部では最速で、何より楽しい。自転車ファンとして、また自転車業界の端くれにいる人間として、きっかけはどうであれ、自転車を楽しむ人がさらに増えることを願ってやまない。
※1内閣府 消費動向調査
※2自転車産業振興協会 自転車統計要覧 2009年
※3国勢調査 2000年
※4 自転車産業振興協会 自転車国内販売動向調査年間総括
表 2000年/2013年
小林 正樹 (こばやし まさき)
株式会社イルカ 創業者/代表取締役
1970年生まれ。慶応大学商学部を卒業後、森ビル勤務を経て株式会社オプトに創業メンバーとして参画。取締役CFOとして、財務を中心とした管理部門全般、上場準備(2004年ジャスダック上場)などを担当。同社在職中に自転車通勤を始め、自転車の有用性と楽しさに魅了されたことをきっかけに折りたたみ自転車メーカーの起業を決意、株式会社イルカを設立。「連れて歩く自転車 iruka」を量産に向けて開発中。