インビジブル・マチュリエンヌ

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2019年10月号『インビジブル・マチュリエンヌ』に記載された内容です。)


年寄り扱いされて喜ぶ人はいない
シニア層に注目した取り組みは随分前から行われているが、依然としてシニア・マーケティングの課題をよく耳にする。どうアプローチすれば良いのかわからない、実態が見えにくい、どのような調査手法が有効なのか。

そうした担当者の声の一方、当事者であるシニア年代とされている生活者からも告発めいた声が聞かれる。人を年寄り扱いした広告ばかりで気が滅入る、ネットを見ているとシミやシワ・たるみの汚い顔ばっかり広告に出てきて腹が立って気持ち悪くなる、(新聞朝刊を見せながら)朝っぱらからシニア向けの下着の全面広告で新聞を読む気がなくなる、などなど。「人を年寄り扱いして」と元気良く憤るその人が時に80代だったりする光景は既に珍しいものではなくなってきているが、80代でもうんざりするのだから50代60代ならなおさらである。何しろネット広告ではご丁寧に年齢をピンポイントで突いてくるのだから。


えーと…、そもそもシニア層って、何歳からでしたっけ?デスクリサーチでさまざまなデータを目にしていると「シニアの意識調査」や「シニアのスマートフォン利用実態」などのタイトルをしばしば見掛ける。


多くの場合、調査対象者は50歳以上だ。暗黙の了解として、50代からはシニア属性であるようだ。この原稿を書くにあたって数多くの「シニア調査」を目にしたが、そのたびに50代から70代までをひとくくりにして「シニアは~」と説かれることに強い違和感を覚えた。


しかし一方で現実を見ると、50歳は確かにひとつの境目であるようだ。吉永小百合が微笑むJR東日本「大人の休日倶楽部」は「ミドル」クラスの入会資格は満50歳以上、「ジパング」クラスは満60歳以上だ。カブドットコム証券の売買手数料(現物株式)は50歳以上が2%、60歳以上で4%OFF。ソラシドエアのスカイネットアジア航空は55歳以上で最大4割超の割引。シニアとはっきり明言するか否かは別として、世の中には50代以上を対象とした各種割引が存在している。


シニア扱いされると腹を立てつつも、割引の恩恵はちゃっかり手にしているわけだが、そんな時、「わたしもそんなトシになったのね」と、ふと我に返るのだ。…そんなトシ、ってどんな年齢?


3割超のマチュリエンヌ市場
孫がいたとしても、自分は「おばあさん」にはまだまだ遠いと思っている。「ばぁば」と孫に呼ばれるのは嬉しくても、「おばあさん」呼びにはそもそも自分のことだと思わないので振り向くことはない。おばあさんでも、おばさんでもなく、もちろん美魔女とも違う。そんなどっちつかずの年齢と気持ちを持つマチュリエンヌたちの概要を以下に示していく。


日本の人口1億2644.3万人のうち、女性は51.3%の6491.1万人。うち50歳~64歳の女性は1183.6万人、15歳から64歳の生産年齢女性(3726.9万人)の31.8%である。その後に控えている40代が926.7万人で同24.9%。マチュリエンヌへの理解を深めることにより得られる市場チャンスは決して小さくはないことがわかる(図1)。


「自分にご褒美」と「誰かにご褒美」
―― マチュリエンヌたちの消費パワー
団塊世代の後に続くマチュリエンヌたちは、まさに先人たちによって花開いた消費文化の真っ只中を歩いてきた。一般的に一生を貫く価値観が形成されるという思春期から社会人1、2年目のあたりの期間、その時期をバブル景気と何らかの関わりを持ちながら過ごしてきた彼女たちは、金額の多少に関わらず消費行動そのものが好きだ。


「自分にご褒美」文化を浸透させた人たちだと言っても過言ではない。新入社員であるにもかかわらず100万円近いボーナスを手にしていた時代、がんばった自分へのご褒美はラグジュアリー・ブランドのバッグであったり、海外旅行であったりした。


実際のところ新入社員が自分でご褒美を用意しなければならないほどがんばっていたわけではないが、バブル景気と男女雇用機会均等法による総合職女性の誕生の重なりは、男女を問わず誰もが仕事をバリバリやっているムードを味わうには十分であった。当時、お金は貯めるものではなく、遣うもの。しかも、それは自分が楽しむため、自分をランクアップさせるため、自分の時間を豊かにするために費やされた(図2)。


翻って今はどうであろう。「シニアはお金持ち」「逃げ切り世代」などと言われるが、それにマチュリエンヌたちは該当しない。役職定年による非情な給与明細や想像以上の教育費など、現実の厳しさも将来の経済不安も十分に味わっているのだから。


しかし、そうした不安を感じつつも、常に新しい消費対象が生まれ、拡大していった時代に形成された消費体質。もっとも好奇心に満ちていた年頃を、新しい消費文化を生み出してきた雑誌の創刊と歩みを共にしてきたのだから、体質改善は難しい。「今の暮らしをずーっと続けたいよね」、同級生同士の他愛ないお喋りで交わされる何気ないひとことに重さも感じる。


今の楽しい暮らし、満ち足りた暮らしを変えたくないという軽口は、その実、結構な重みを持つ。そんなに都合良く明るい未来が開けているわけではないことくらい、いくら楽天的なマチュリエンヌたちだって知っている。生活と、何よりも自分の意識をこれからどんなふうにアジャストしていくか。


そのひとつの表れにギフトがある。消費大好き体質ではあるが、「買う」という行為そのものやその時の気持ちが快楽なのであり、自分で所有することが目的ではない。ちょっとした手土産や相手の負担にならないプチギフトなど、誰かのためという大義を自ら作り続けながら、マチュリエンヌたちはこれからもダメージの少ない金額の中でお金を遣うことをやめはしないだろう。


50代女性の7割以上が働いている
女性の就業率を示すお馴染みのM字カーブのグラフ(図3)。通常は、子育てによる離職や休職する女性の多さや就労支援を問題にする際にこのグラフの凹部分が話題になる。しかし、よくよく見て欲しい、へこんだその先にある山の存在を。40代女性の方が就業率は高く79.6%、20代後半に次ぐ働きっぷりなのだ。次いで50代前半の79.2%と20代30代以上に働き手として存在感ある年代である。


もちろん、この就業率には正規雇用だけでなくパートやアルバイトも含まれているので、フルタイムでバリバリ働いている人ばかりではない。また、就業率が高いからといって独身の20代30代と同じような可処分所得があるわけではない。多くが家計の一部を担うために働いている。


が、もしもあなたが「50代以上で働いている女性の多くはパートのおばちゃん」、そう頭の中に描いているとしたら即座にその像を上書きして欲しい。40代後半では42.0%が、50代でも4割前後の女性就業者が正規雇用で働いている人たちなのだ(図4)。


しかも、岸本裕紀子氏も指摘しているように今後は定年を迎える女性が増えていく。これまで定年と言えば男性のもの、女性はあくまでも定年を迎えた夫の妻として描かれていた。が、今後は退職金を得る女性が描かれていく時代になる。


女性管理職の比率が著しく低い日本とは言え、多くの職場で多数のマチュリエンヌたちが日々テキパキと働いているはずだ。目の前の50代の女性がいくら稼ぎ、何にどのくらいお金を遣っているのか、何を楽しみとして会社以外での時間を過ごしているのか、お金を掛けない定性調査はいくらでもできる環境にあるはずだ。


マチュリエンヌ内のダイバシティ
ギャップのあるところに商機あり。その点から言えば「お年寄り未満」である50代60代は男女ともに商機の宝庫である。実年齢は50を超え、やれ細かい字が見えなくなった、髪が少なくなった、トイレが近くなった、そんな会話が同世代同士・同性同士では盛んに聞かれるようになる年齢。カラダは実年齢にもっとも正直である。


一方の生活年齢、これはどんな生活をしているかに影響される。たとえば、企業における定年年齢の変化も直接生活に影響する大きな要素のひとつだ。かつて定年が55歳の時代における50代の暮らしと今の暮らしが大きく異なるのは容易に想像できるだろう。


それと同様に、高齢出産(35歳以上の出産)が5%程度だった1970年頃と30%近い現在とでは50代女性の生活は大きく異なる。実年齢だけでは見えにくい生活がそこには展開されている。子育てと介護が重くのしかかるダブルケアが年々注目されるようになってきているのもそのひとつの表れだ。


同じ年齢のマチュリエンヌたちの生活も多様になってきている。初孫の写真をスマホのロック画面に設定している人がいる一方で、リーディンググラスをバッグに忍ばせつつ小学生の子どもの運動会競技に30代ママと並んで参加する、という風景もいまや珍しくはない(10年後の滝川クリステルもその一人)。


「おじいちゃんが来ているの?」とコソっと言われる男性の話はしばしば耳にするが、「おばあちゃん?…」と思われないためにマチュリエンヌ・ママたちも密かに必死である。外見の若々しさは維持しやすくなったものの、本人にしかわからないキツさを味わっているマチュリエンヌたちの思いはまだまだ救えるはずだ。


マチュリエンヌが持ついくつものペルソナ
先のM字曲線についての定型的な解釈同様、なぜか企業活動の中で描かれる女性像は驚くほど旧態依然として進化していない。いや、進化していないと言うより社会の変化や現実と乖離したところでステレオタイプの役割神話を大切にしているようだ。


たとえば30代40代のワーキングマザー。彼女たちは仕事と家事の両立に苦慮し、忙しいため、家事は時短で簡便志向という神話がある。そんなに単純な話ではないにもかかわらず。


同様に、50代60代の女性については次のように描かれることが多い。おしゃれなレストランで女性同士ランチ三昧。定年後の夫とではなく女友達と泊まりで旅行。あるいは、離れて暮らす親の介護のために飛行機で毎週往復、心身ともに疲労困憊…。


それら一つひとつの現象は確かにあり、そしてこの年代の女性によく見られるシーンでもある。しかし、それぞれがまったく別な人、というわけではないのだ。地方で一人暮らしをしている親を心配して月に数回通いつつも、ご贔屓のドームツアーには必死でスケジュールを調整する。

そうして心身のバランスを取ることだってあるのだ。あるいは、週4日、1日4時間のパートで得た中から自分用に貯めておいたお金で年に1 , 2回、学生時代の友人と素敵なお店で楽しくお喋りしながらランチを食べることもあるが、それが日常ではないのだ。マチュリエンヌたちはワーキングマザーたちに負けず劣らず忙しく、時間がない。自分のための非日常によって、誰かのための日常を支えている側面は丁寧に見ていきたい。


この世代に限ったことではないが、みんなそれぞれいくつもの顔を持っている。しかも女性の場合、一般的にその数は男性よりも多い。それぞれの役割に対して真面目に務めを果たそうとするからこそ、限りある体力、財力、そして時間をやりくりして、その時々の役割に集中する。だからこそ表面上は一件無関係な生活のあれこれが地下茎では繋がり関係し合い、その人自身を形成しているのだ。


その地下茎部分を理解した上で生活者と向き合わないと、当事者からは「まったくわかっていないわね」と相手にされない。マチュリエンヌたちにはいまだ子育て真っ最中の人もいれば、大企業の中で管理職を務めている人も、介護に携わっている人もいる。そして、それらの重なり具合も他の年代に比べて多い。楽しそうな「自分のため消費」の仮面(ペルソナ)の裏側にも複数の顔があり、どれもがその人であることを理解したい。


家事なんて、もううんざり?
  ――― いいえ、元からキライです
仕事柄、既婚女性たちの家事に対する意識や態度を調査する機会が多い。年代別にそれらを比較していくと、ある世代でスコアがへこむ。経年変化で見ていってもやはりその世代がへこむ。調査対象カテゴリーが異なっても、家事意識のネガティブさが目につく世代がある。


いわゆるバブル世代、である。丁寧な暮らし方に対する興味も他世代より低く、料理も含めて家事は概ね好きではなく、「家族のため」という意識も相対的に低い。


そもそも家事についての神話のひとつに「シニア女性はベテラン主婦で料理上手」という類いのものがある。間違いではない。しかし、なぜかこれが「家事が好き」と意訳される傾向にあり、さらに「家事は積極的にやりたいこと」だと曲解される節もある。


マチュリエンヌより上の世代になると意識的に手を抜きたいと思っていなくても、立ち仕事が多い家事は身体的負担が増すため、できるだけ楽に行いたいと思うものだ。ただでさえ、結婚以来40年近くも毎日毎日家族のために家事を行ってきたのだ。家事に定年はない。自らの意志で減らしていきたいと思う家事があっても何ら不思議ではない。


そうした「楽家事・減家事・省家事」の傾向が、マチュリエンヌたちにおいては身体的負担を感じる前から強い。彼女たちが30代40代の頃から、簡便志向や利己志向は前後の世代と比較して強く表れていた。職場でもプライベートでもちやほやされながら形成された自分の楽しみを大切にする外向き目線の価値観に揺るぎはない。


60歳だからといって、今までの神話で描かれた「料理上手で家事が好きなベテラン主婦」だと思ってはいけない。丁寧な暮らしよりも「(自分にとって好ましい予定で)忙しい暮らし」に魅力を感じる人たちだ。ようやく子育ても一段落し、夫も自分のことはそれなりにできるようになっている(一昔前の「濡れ落ち葉」ではない)、働くことで自分の好きに遣えるお金も少しは得ている。贅沢しないまでも、お金も時間もやっと自分のために遣えるようになったのだ。家事に時間を費やしている場合ではないのだ。


モテより仲間と一緒が楽しい
中高年のシングルも増えている。政府もその呼称を改めることになった「五十歳時未婚率(生涯未婚率)」は男女ともに年々高まっている。中高年向けの結婚相談所やマッチングサイトもネット上にずらりと並ぶ。男女ともにそれぞれの下心(男性は介護要員の、女性は経済要員の確保)を抱きつつ、それでもやはり「晩年をひとりで過ごすのは寂しい,不安だ」との思いとともに相手探しをする1)。


しかし、そうした生存のための下心があったとしても、実は人生のセカンドステージをともに楽しく過ごす相手が異性である必要はない。男性よりもコミュニケーション能力が高いと言われる女性たちは、元来趣味や地域活動などあちこちの「点」で繋がるのが得意である。


本来は男女の出会いの場としてもっと活用されてもいいはずの出会い系のリアル・コミュニティでも、楽しく会話が弾み次の約束を取り交わす相手は結局女性、という話を聞いた。つながりの数よりも多様な友達がいる人の方が幸福度が高いという調査研究結果もあるが2)、情報感度も高く、行動的なマチュリエンヌたちは各方面に多くのスポークを設け、自分時間を豊かに回しているのだ。


「介護脱毛」を巡る乙女の憂い
娘を真似するまでもなく、マチュリエンヌたちはファッションや美容が大好きである。美容情報サイト「@cosme」には3桁のプチプラコスメに対しても、年齢を隠せばまったく何歳か見分けがつかないクチコミが50代60代によって数多く投稿されている。


また、友達同士の口コミやアプリ検索でジェルネイルやまつエクのサロンを予約し定期的に通ったり、レーザーによるシミ取り状況の進捗確認と1ミリ平方単価を報告し合ったり。これらもモテのためではなく、自分の心地良い毎日のための投資である。


仕事をしていても家事をしていても手元は常に目に入るパーツである。また、お化粧をするしないに関わらず、鏡に映る素顔も朝晩幾度となく目に入る。そのたびに気分がちょっとでも上がり嬉しくなる、そのための投資なのだ。


もはやシミの一つや二つ取ったところで、誰も気付かないし、生活だって何も変わらないし、変えたいわけではない。あくまでも自分の気持ちを自分でちょっといたわってあげる、そのための投資なのだ。そんな気持ちが次に向かう先として、今後の行方が気になるのが「介護脱毛」である。


人生100年時代といわれても、そのうちの何年かは介護される側になるかもしれないという不安は誰にだってある。事実、女性の健康寿命は約75歳であり、平均寿命である87.32歳までの約12年は何らかの健康が損なわれている状態なのだ。もしかしたら介護が必要な状態になるかもしれない。女性は介護経験が男性より多いゆえに、実感を伴って切実に我が身を憂う。


誰に介護されるようになるかはわからないものの、「その時」の自分をリアルに想像すればするほど、介護される側の衛生・清潔問題を自分事として考えた場合も、介護側の負担を少しでも軽くしてあげたいと考えた場合も、アンダーヘアを予め処理しておく「介護脱毛」のことがちらつくお年頃である。しかも白髪になったらレーザー脱毛はできなくなるため、焦りも生まれる。今後はマチュリエンヌの頭の片隅にレーザーによるシミ取り同様に存在感を増していくかもしれない。


いずれにせよ、ここで気にしておきたいのは介護脱毛そのものの問題ではなく、「介護する側・される側の不安と恥ずかしさ」「少しでも介護負担を減らしたいという思いやり」によって新たな消費行動への関心が生まれている点である。「不安と恥ずかしさ」や「思いやり」、双方の気持ちの葛藤が向かう先は脱毛問題だけではないはずだ。


マチュリエンヌたちが生み出すスモールマス
年齢を重ねること=本物志向・上質志向が加速するわけではない。いくら消費好き世代であっても、いきなりラグジュアリー・ブランドをほいほい買えるほど銀行残高が増えるわけではない。


基本は変わらない。たとえ年齢を重ねても、価値観や好みが大きく変化することはない。性・年齢だけで生活者を見ることの不自然さを改めて自戒したい。目の前の50代60代は大学生や新入社員の頃と気持ちや好みは変わっていない。50になったらシニア属性、ではないのだ。生活の現場を丁寧に観察し、そのインサイトを拾い集めていくことで、マチュリエンヌたちに生まれているスモールマスをチャンスに変えていくことで、マチュリエンヌたちはもちろん、彼女たちが関わる市場そのものも今後ますます活性化していくだろう。

クリックして拡大<図1~図4>

【注釈】
1)オーネット「独身中高年の恋愛結婚に関する意識調査」
 (2018年)50~69歳の独身男女(全国)
2)前野隆司「幸せのメカニズム」(講談社現代新書)
 [松本&前野.2010]



ツノダ  フミコ  (つのだ  ふみこ)
株式会社ウエーブプラネット 代表
生活者調査・研究からのインサイト導出、コンセプト開発を多数支援。調査結果からインサイトまでをシームレスに構造化する協調設計技法Concept pyramidⓇやインサイト・インタビュー研修などの人材育成にも注力。

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