たとえば、日本の名だたる観光地の1つである沖縄の国際通りは、地元の人にとっては敬遠すべき場所となってしまっている。何もないところから始めるのならともかく、観光振興による経済効果を期待するのであっても、それによってその街が伝統的に培ってきたものを投げうってまで人を呼び込もうとするのは、健全な方法とは言えないのではないだろうか。
この点、面白い話を読んだことがある。バリアフリー対策のために、歩道の段差をなくす取り組みを進めているところがあるが、本来のホスピタリティのあり方を考えれば、段差を前にして困っている人がいれば、すぐにその周りにいる人々がその人を助けるために自然に集まって行動するようにする方が、本当の姿ではないかというのだ。
形だけ整えて終わりというのではないという、こうした発想こそ、今後重視していくものではないかと考える。それに、その方が貴重な昔からの景観を損なわないようにすることにもつながるだろう。
もちろん、だからといって何もするなというわけではない。その土地・地域の良さをどのように観光客に分かりやすく伝えていくかをしっかりと考え、工夫していかなければならない。
特に昨今注目されている海外からの観光客(インバウンド)に期待するのであればなおさらである。各地の博物館などでは歴史的な解説がぜい弱で、インバウンドから不満の声が挙がることが多い。そもそも地元の人で自分たちが住み、生活している場所についてよく理解していない場合が多くなっている。
地方では、高齢化の進展と若者の地域離れによって、自治会組織などが維持できなくなり、伝統の継承を行う場がどんどん失われてきているからだ。街づくりの基盤となる歴史性、地理的特性などを、まずは地元で学びなおし、それを現代においていかなる形で維持・再生していくべきかの議論が必要である。
インバウンドを対象として考えた場合、言葉の問題はやはり重要である。日本人は自分たちのホスピタリティ(おもてなし)に自信をもっており、たとえ言葉が通じなくても、温かく観光客を迎え、満足して帰ってもらうことができるとしている。しかし、言葉が話せるにこしたことはない。
そうすれば、意思疎通にかかる時間は短縮化され、余計に費やしていた時間をより充実したサービスの提供に振り向けることができる。それに、日本人相手の時には「以心伝心」で理解されても、異文化の間では、どうしても誤解を生じる可能性をゼロにすることはできず、思わぬトラブルに発展しかねない。
筆者がインバウンドによる地方の観光振興策を考えていると知った、日本語の堪能なオーストラリア人の同僚は、それは簡単なことだといって「英語だよ」と言った。彼が直接地方の旅館やホテルに予約をとろうと電話をすると、外国人であるとわかるとすぐに電話を切られるというのである。
これはとても考えさせられるサゼスチョンである。「世界最高のおもてなし国家」という「幻想」のもとに、本来観光に携わるものとして当然行わなければならない努力を行わない言い訳にしていないか、ということなのだ。
また、外国人の誤解が他の日本人旅行客にとって不愉快な行為をさせるようになれば、そこは「外国人の街」になってしまい、他の日本人が敬遠する「隔離された場所」となる。先述の国際通りなどは、外国人ではないにせよ、日本人観光客自身がそのような雰囲気を作り出してしまった感がある。このような場所は、いずれ外国人にとっても日本人との触れ合いの薄い「面白味の欠ける場所」と見なされるようになり、客足が遠のいていくのではないかと思われる。
一方、日本人が行きたくなる場所というのがまず観光地として成功する大前提となるのではないかとも言えよう。筆者が最近訪れた観光地で印象に残ったのは広島県の尾道市である。繁忙期でもない平日に訪れたのだが、日本人観光客が老若男女問わず街を広くそぞろ歩きしていた。このことは市の行政担当者も自慢にしていた。
確かに旧繁華街はさびれており、その活性化をどうするかという課題を抱えながらも、インバウンドに過度に頼らない観光政策は、今時のインバウンド・ブームの中にあって、むしろすがすがしさを感じる。それは、一種の「自然体」で臨むという姿勢の違いからきているのかもしれない。
ただ、空前のインバウンド・ブームを前にして、これを積極的に取り込もうという姿勢を否定するつもりは全くない。日本の今後の人口減少に鑑みた場合、インバウンドの獲得に活路を見出そうとするのは極めて自然な流れである。それも含めて、今後の観光客誘致のためには、先に述べたような言葉の問題などと同時に、情報環境の整備、そして、相手側から見た需要の理解が重要となる。
インバウンド観光客に対してアンケートを行った場合、必ず上位に来る不満としては情報環境が諸外国と比べて整備されていないということである。ハード面で言えばWifiの整備・普及度合いであり、ソフトで言えば、公的なサイトから「欲しい」情報が手に入りにくいということである。
このところ、よく「プロダクト・アウト」「マーケット・イン」という言葉が使われるようになってきた。自分たちがいいと思ったものを市場にアピールするのが「プロダクト・アウト」であり、市場、つまり顧客となりうる人々が欲しいだろうと思われる情報・商品・サービスを提供しようとするのが「マーケット・イン」である。日本の場合、まだまだ「プロダクト・アウト」の発想に基づいた情報政策がなされているところが多い。
筆者が以前ビジネス・スクールで教えていた時、留学生に全国の自治体のインバウンド向けのホームページを調査させたことがあるが、日本語のサイトと外国語のサイトではコンテンツの充実度に大きな開きがあり、総じて外国人から見て欲しいと思われるような情報がないということだった。一方、その反面として、韓国のような外国を強く意識している国の観光に関するホームページは、日本と比べて何を見てほしいというのが明確なメッセージとして示されている。
日本のように、「あれもこれも」と、何でももれなく入れ込もうという姿勢との違いについても考えてみる必要があるだろう。実際、韓国のK-pop、韓国映画など、日本から見れば、韓国の文化輸出戦略はとてもうまくいっているといっても過言ではないのではないだろうか。
また、公共交通手段、宿泊施設など、ハード面の受け入れ態勢の充実についても、さらなる努力が求められる。前者については、より利用しやすいよう、言葉面での対応やピクトグラムなどの整備を進めなければならない。後者については、ホテルが供給不足の状態にある中、「民泊」がインバウンドを迎え入れ、日本の文化を紹介し、文化交流を促進しているという役割が高く評価されている。
そして、この「民泊」は地方の古民家再生など、地域の再生にも大きな可能性をもたらしている。しかし、その反面、消防法への対応など、宿泊者の安全性がきちんと守られているのかという問題も広範に指摘されている。「何でもあり」という安易な発想での街づくりの姿勢には、一定の歯止めをかけなければならない。
戸崎 肇 (とざき はじめ)
首都大学東京 特任教授
1963年生まれ。京都大学経済学部卒。京都大学大学院卒、経済学博士。日本航空株式会社、明治大学、早稲田大学、大妻女子大学を経て、2017年4年より首都大学東京、特任教授。著書に『1時間でわかる 図解 これからの航空ビジネス早わかり』 (2010年、中経出版)、『タクシーに未来はあるか』(2008年、学文社)などがある。