この背景には、ひとり暮らしの増加など世帯あたりの人数が減ったことで入浴のコストが割高になったり、娯楽の多様化によって時間のかかる湯船での入浴の優先度が下がっていることがあるだろう。実際、筆者の周りでもひとり暮らし・実家住まい問わずシャワーのみで済ませる人が多く、「湯船に入る時間があったら少しでも長く寝たい」、「湯船に浸からないから浴槽のスペースがもったいない」、というような声も聞かれる。若者の約40%が自宅の湯船に全く浸からないというデータもあり、若者の間で深刻な入浴(湯船)離れが進んでいると叫ばれている。
「しあわせ」のスタンダードとも言えた家庭での入浴
日本では長らく、家庭の内風呂や銭湯において湯船に浸かる文化が育まれてきた。このことは日本の総温泉地数が3000を超え、数百か所に留まる2位以下の国々を大きく引き離していることからも明白である。いわば「衣食住“浴”」と言ってもよいほど日本の生活に馴染んできたこの入浴文化は、様々な文化が欧米化した戦後にあっても決して廃れることはなく、反対に日本独自に進化を遂げた家庭用バスタブが全国的に普及したことでより強固なものとなった。各家庭においてバスタブのお風呂で沸かし湯に浸かるという文化が定着し、云わば「しあわせの」のスタンダードが出来上がったのである。
実はお風呂好きな若者たち
このように湯船での入浴が日本の生活習慣に深く根付いてきたからこそ、シャワーのみで済ませてしまう若者が問題視されるわけであるが、本当に「シャワー派」の増加を以って若者の入浴離れと言えるのであろうか。
実は、温泉やスパなどの外湯の人気や若者向け入浴剤の進化・細分化に見るように、若者の入浴習慣への関心はむしろ高まっている。㈱ノーリツが行った調査では、外湯好きかどうかを尋ねた質問において、30代以上が約60%に留まったのに対して20代の若者世代は約80%が「好きだ」と回答した。実際、筆者の周りでも友達同士やひとり旅で温泉を訪れたり、頻繁に銭湯・スパなどに赴く若者は多い。草津や箱根などの代表的な温泉地に行くと驚くほど若者が多いのに気づいていただけるはずだ。若者が家庭内の内風呂離れしつつあるのは確かなのだが、その要因は湯船に入るという習慣自体の不人気にある訳ではないのだ。
若者のあいだで入浴が「高級化」している
では、なぜ若者は家庭で湯船に入らなくなっているのだろうか。その答えは、若者が入浴するにあたっての目的が変化していることにある。
本来、湯船に浸かるという行為は【①汚れを落とす②気分をリラックスさせる③体を休ませる④体を温める⑤楽しみを得る】など様々な目的・効果を持つ。日本人は長らく湯船での入浴によって入浴のこうした恩恵に預かってきた。しかし、一方で現代における家庭の湯船での入浴には【①時間がかかる②面倒くさい③コストが高い】といった明確な負のインセンティブが存在する。汚れを落として体を綺麗にすれば十分だという人にとっては、コスト・負担面を考えれば湯船での入浴が日常的な習慣として選択されないというのも、改めて考えてみれば全うな話なのだ。入浴の良さを理解してはいれども、日常的な習慣として入浴するまでには至らないというのが、多くの若者の本音にある。
ひとり暮らし世帯で毎日湯船に入る人の割合が約5%に留まっているように、一部の若者の間では【シャワー=汚れを落とす日常的な行為、浴槽に浸かる=リラックスや楽しさを求める非日常の行為】という図式が出来上がっている。言ってしまえば、湯船での入浴が日常の習慣から非日常のイベント化しつつあり、入浴がよりラグジュアリーなものに変化しているのである。家庭用バスタブが普及して湯船での入浴がスタンダードになっていった時代とは反対に、今度は入浴が「高級化」しつつあるのだ。
新しい入浴文化
若者は入浴に対して大きな関心を抱いているのだが、その影で入浴という習慣は日常的な側面を弱めつつあり、入浴の「高級化」というある種の回帰現象が起こっているのである。「シャワー派」の増加は確かに起きている現象だが、入浴文化そのものが廃れかけているわけではないのだ。
最後に、これからの入浴文化はどうなっていくであろうか。依然として家庭での内風呂は健在であろうが、その一方で若者のあいだで起こりつつある入浴習慣の変化は様々な動きを生むだろう。例えば、風呂無し物件(シャワーのみ)の拡大があるかもしれない。都市部では普段使いとしての銭湯が再び脚光を浴びる可能性もある。家庭内の沸かし湯は日本の入浴習慣を象徴している文化ではあるが、何もそれだけが入浴の形ではないのだ。これからの時代は、各人が自分に最も合う入浴習慣を叶えられるような、ある意味合理的な入浴文化が形成されていくのではないだろうか。入浴習慣の多様化が進み、入浴の仕方も選択できる時代が来るはずである。
比護 祐介 (ひご ゆうすけ)
東京大学 経済学部3回生