マーケティングホライズン2022年8号

人の気持ちを 基軸とした、 未来に向けた クリエイション

手掛けていらっしゃる福田愛子さん。激動のキャリアを経て辿り着いた、イラストレーター&アーティストという生き方。そして今、世界的な大きな時代変化を感じる中でのクリエイションに込める思いと実践のアプローチ方法についてお話をお伺いしました。

───福田さんの作品は、手で丁寧に描かれたあたたかみが感じられると共に、ARなどの最先端のデジタルツールを取り入れられていてとても印象的です。経歴を拝見すると、海外の美術大学を卒業した後、企業のインハウスグラフィックデザイナー、そしてマニラ駐在でアートディレクターを経て独立されていらっしゃいますね。とてもユニークなキャリアですが、初めに現在に至るまでの経緯をお聞かせいただけますでしょうか。

 

自分の「好き」に向き合い続ける

福田 私はお寿司屋さんの家に三姉妹の末っ子として生まれたのですが、幼い頃から両親の丁寧な仕事をそばで見て育ちました。そして、洋服は基本的に全てお下がり。しかし、私はイヤイヤそれを着るのではなく、袖を切ってリメイクしたりして、いかに古臭くなく着れるかを考えるのが好きでした。今振り返ると、このような幼い時の記憶が私のものづくりの入口だったかもしれません。 5歳離れた姉が、ファッションデザイナーになるために服飾系の専門学校に通ったのですが、希望の職に就くのにとても苦労をしていました。当時、中学生ながらにクリエイティブ系の職種は狭き門だと肌で感じ、夢を追うことはかなりリスクなのだと思い、総合大学への進学を考えて大学受験をしたのですが、結果は全て不合格。まさにお先真っ暗な状態で、今後の人生をどうしようかと悩んでいたとき、家に偶然届いた留学の冊子が目に入りました。

そこで初めてグラフィックデザイナーという職業があることを知り、卒業後はファッション系の雑誌制作の道もあるのではと感じたのです。早速両親に相談したところ「アートの世界で食べていけなくても、英語ができれば可能性が広がるかも」と背中を押してもらい、トントン拍子に3か月後には留学が決まりました。語学学校も合わせると3校に通い、最終的にはボストンにあるブリッジウォーター州立大学を卒業しました。そこで出会った教授の存在が私のクリエイションの源になっています。

基本的にデザインは問題解決型のアプローチが多いかと思いますが、私が作るものはアート要素の強いものでした。カレンダーを作る授業では、私だけ紙で立体的なオブジェを作るなど、問題解決とはほど遠いものでした。しかし、教授は「すごくおもしろい!」と、突飛なものを作ってもよしとする土壌がありました。自分が表現したいものを作っていいと言ってくれる人がいることが本当に嬉しく、彼のおかげでクリエイティビティの扉が開き、グラフィックデザイナーになりたい気持ちが高まっていきました。

帰国後、就職するためにポートフォリオを企業に送ったのですが、就職活動でも全て落ちてしまいました。自分でなぜかを考えたときに、日本の美大生が培っているデッサンの基礎力が自分には圧倒的に足りていないことに気づき、帰国後はデッサン教室に通うことにしました。CM制作会社でアルバイトをしながら就職活動をしていて、アルバイト先の制作会社から正社員のお話もいただいたのですが、その会社の先輩女性から、「あなた、ここにいてやりたいことができると思う?グラフィックデザインの仕事はないのよ、流されちゃダメよ」と言われました。その言葉にハッとして、自分の夢に立ち返りました。

───悩んだときに前を向かせてくれる周りの大人たちの存在があったのですね

福田 そうですね。その後、無事デザイン系の就職も決まり、最初の会社で2年ほど働き、IT系ゲームアプリの会社に転職したのですが、入社3か月でマニラ拠点のクリエイティブ部門立ち上げに参画することになり、アートディレクターというポジションで駐在することになりました。そのとき、一人の現地女性クリエイターが面接しに来てくれたのです。彼女はアメリカの雑誌に掲載されるような化粧品系のビューティイラストレーションを描く方でした。私がアメリカに留学していたとき、現地の雑誌の写実的な挿絵が大好きで、イラストレーターへの強い憧れがあったのですが、私は絵が下手であることを自覚していたので、その気持ちを封印している自分がいたことをふと思い出したのです。彼女の作品を見たときに「やっぱり描きたい」「自分が好きだと思うイラストを描いてみたい」という気持ちが芽生えていました。その後、マニラ拠点が円滑に回り出したタイミングで帰任し、会社に辞表届を提出してイラストレーターに転身しました。

もちろん最初はコネクションもなく、意気込みだけはあるもののイラストレーターになる方法もわからなかったのです。Googleで検索してみたら、1件だけヒットして、「まずポートフォリオを作って、それを売り込みましょう」と書かれていました。ファッション誌の担当者に魅力的に思ってもらえるような内容を作ろうと思い、デッサン教室で描いていたモデルの似顔絵やルックブックのイラストを自分で編集し直して冊子にして送りました。封筒や紙の質にもかなりこだわったりして。出版社に事前にポートフォリオを送っていいですか?と手を震わせながら地道に電話を重ねました。

───真摯に自分の気持ちに向き合って、行動に移されていったのですね。

福田 しかし、送ってから3か月間、全く音沙汰がありませんでした。やっぱり私には才能がないんだと諦めていた矢先、ボストン時代にお世話になっていた教授がイタリアで授業をするから来ないか?と連絡をもらいました。大学生だった頃の純粋な自分を取り戻したいという気持ちのままにイタリアに向かい、シエナという町で2週間ほどタイポグラフィを作っていたのですが、その滞在中に『BRUTUS』から仕事の依頼が舞い降りたのです。自分でも本当にまさかという思いでした。そこから、イラストレーターとしてのキャリアがスタートしました。

後から知った話ですが、どこからも仕事がなく困りに困って友達に仕事の相談していたとき、友達がマガジンハウスのエディターさんとちょうどお仕事をご一緒していたらしく、そのエディターさんが「ちょっと彼女のこと見てあげて」と回覧板形式で私のイラストを熱心に宣伝してくれたそうなんです。それを見た別の担当者からご連絡をいただいたのですが、今でも助けてくれた友達やエディターさんに感謝しています。

それから立て続けに『ELLE』や『VOGUE』からもお声掛けいただきました。そうこうしているうちにフリーランス1年目が終わり、2年目に突入して仕事が仕事を生む状態になっていきました。その半年後、『BRUTUS』の雑誌を見てくださった広告代理店からウェブサイトに連絡がありました。車メーカーの広告イラストを描いてくださいというご依頼で、その後もご縁を広げていただけました。

───ファッションに限らず今では多種多様なジャンルの企業との取り組みが多い印象ですが、そういった個々の企業ブランディングをイラストレーションで表現していくとき、何を大切にされているのでしょうか。

「シェイプ・オブ・ラブ」の元ネタとなった友人
からプレゼントされたお花

 

自分との共通点を基軸にしたクリエイション

福田 お仕事をいただく際、クライアントの企業哲学や商品に私自身が共感できるか、という視点をとても大切にしています。共感や自分に馴染みがないのに引き受けてしまうと、アウトプットが中途半端なものになり、いい結果を生まないので、「自分との共通点」は引き受ける上での軸となっていますね。

2018年にニューヨークでの個展を開催したときに『シェイプ・オブ・ラブ』という題名で、 お花をモチーフにした作品を発表しました。そのお花は友達からプレゼントでいただいたもので思い出が詰まっているのですが、枯れていく姿がすごく儚く美しくて。そのときの感動や感謝の気持ちも絵に収めておきたくて。そもそもお花をあげること自体が愛情の表れですよね。だから、友達に対する感謝の気持ちなどいろいろな感情をイラストに込めました。今でもこのお花のプロジェクトは継続していて、ここ近年私の制作の軸となっていますね。

そこから日常生活の中で自分の心が動いたものや思い出に残っているものからインスピレーションを受けて描きたいと思うようになり、お花に限らず自分が好きなものを描くようになりました。自然モチーフのイラストレーションは、化粧品ブランドとすごく相性がいいのはイメージがしやすいですが、コスメだけではなく意外と幅広いブランドが欲する普遍的なモチーフだということに気がつきました。また、仕事の請け負い方も、ただ言われた通りに具現化するのではなく、クライアントと一緒にコンセプトやストーリーを考えてイメージを作り上げていく制作スタイルにシフトしてきています。

2019 年には日本人女性初の「Adobe Creative Residency」に選出いただいて、海外のアーティストと一緒に活動することが多くなりました。みなさん目的意識を持って作品づくりをしているのが印象的で、自分自身も描きたいものを描いて美しい世界を作るということだけでなく、目的意識を持って作りたいと考えるようになりました。その後、コロナ禍やBlack Lives Matterなどの社会問題が表面化して、世界中のアーティストが自分のボイスを発信していたと思います。もちろん私も発信していたのですが、当時は自分の思いをどう伝えていいかわからず、作品と一緒に文章も載せて発信していました。けれど、その形式にとても違和感が残りました。私の発信する内容がプロパガンダのようにも捉えられてしまうし、伝え方が直接すぎる感じもしました。文章で伝えると誤解を生むこともあるし、文章が長いとメッセージが伝わらないこともあるのではないかと葛藤を抱く時期もありました。でも、その経験のおかげで、イラストのみで物事を伝える意義を再確認できたし、イラストを通じて表現することが自分に一番合う方法だと気付かされる機会となりました。

 

未来の子どもたちに人のあたたかみを伝える

───人の手で描かれたあたたかみのあるイラストに加えて、デジタルのAR技術も取り入れられていらっしゃいますが、それはどのような思いからつながったのでしょうか。

福田 イラストレーターになりたての頃、雑誌や新聞広告などの紙媒体の仕事が多く、自分の中で少しマンネリ化を感じていました。もう少し実験的な作品を自分のイラストで作りたいなと思い始めていたときに、大好きなアーティストのビョーク(Björk)の展示が日本科学未来館で開催されると聞いて行きました。そこでのVR体験にとにかく驚き、怯えました。あまりに現実すぎたのです。目覚ましいテクノロジーの進化を感じると同時に、未来の子どもたちがデジタルアートを体験したとき、人のあたたかみをどういったところで感じるのだろうかと疑問が生まれました。そして、これからさらにデジタル化が加速する時代に、私がイラストレーターとしてどう太刀打ちしたらいいのだろうか?という課題も生まれました。

そこからiPadで絵を描くようになりました。iPadはデジタルですが、いつも紙で描くように描き方を変えなければ手描き感は残せるという答えは自分の中で出せましたが、雑誌などの紙媒体が日々衰退し、本屋さんも無くなっていく状況を打破したいとも考えていました。そんなときに出会ったのがLAMYというドイツの筆記具ブランドが発行している『specs』というARを駆使したマガジンでした。それを手に取ったときに「紙媒体はテクノロジーと共存していくはずだ」と大きな可能性を感じたのです。紙媒体を未来にも残していきたいという思いがあり、紙媒体・手描きのイラスト・ARを組み合わせて、未来の紙媒体のあり方や紙を通じたコミュニケーションの提案と研究を行っています。

───福田さんのARのイラスト作品を拝見したとき、デジタルだけど懐古的な感情を抱きました。これからの新たな挑戦も楽しみですね。

 

人の気持ちを汲み取ったアートの形

───現在は東京に拠点を置かれていますが、海外を行き来された時期もあるかと思います。海外と日本の企業のアートの捉え方について、何か違いを感じていることはありますか。

福田 アーティストや作品が、なぜ世界で認められているのか理由を考えたとき、特にアメリカでは企業がアーティストをサポートしている関係性があると感じています。これはあくまで私個人の分析となりますが、例えばApple、Nike、そしてCoca-Colaなどは、Black Lives Matterの運動に対して即座に広告を通じてメッセージを発信した企業でした。社会問題に対して、企業は即座に反応すべきだと考える姿勢が根付いていると感じています。

企業がメッセージを発信することによって、社会にインパクトを与え、ブランド価値を上げていく形にシフトしているのがアメリカの広告産業です。6月はLGBT+月間ということで、Google Pixelはレズビアンの女性の恋愛模様をテーマに企業広告を発信していたのが印象的でした。企業が発するメッセージに消費者は共感して、その企業を応援したくなる社会構造が作られている良い例です。

日本の企業でもSDGsを掲げ、社会問題に対してアプローチをされているかと思いますが、本当に変えたいというよりも、マーケティングの一つの手段にしているだけなのではないかと感じることがあります。広告メッセージが世間の価値観になってしまうくらいパワーを秘めている媒体だからこそ、利益優先型ではなく、企業メッセージを打ち出し、社会をポジティブに変えていって欲しいなと思います。

私はアーティストも自分を代表する会社と捉えていて、実は社会に悪影響を与える産業や企業とは絶対に仕事をしないと決めています。なぜなら自分のアートを通して、社会や人の身体に対して悪影響のあるものを取り扱う企業に加担したくないから。自分の価値観や信念は、仕事を請け負う時点で絶対に必要ですし、この感覚は世界的にスタンダードであると感じています。

───個人、そして企業としても矜持が必要ですね。

福田 アメリカの企業の事例となりますが、社員のマインドセットから変えていますよね。例えばダイバーシティ&インクルージョンのワークショップを社内で実施する際には、その分野のプロフェッショナルを招いた勉強会を全社員に向けて実施していると聞きました。内側から変わることで、企業メッセージや広告が消費者に届き共感を生む、という考えですね。

そして最近では、「透明性」という言葉も浸透しているように感じます。企業の取り組みを公にして、ブランドメッセージと実際の取り組みが合致している企業が信頼を獲得していますね。

───特にZ世代はよく「透明性」を観察しているだろうなと感じます。Z世代に合わせるというわけではなく、根本から変わっていく仕組みづくりが大切ですね。企業と連携し、社会的なメッセージを発信した具体的な事例をご紹介いただけますか。

福田 私はボディポジティブといった、どんな体型、見た目であろうとありのままの自分を愛そう、といった考えを持っているのですが、今年の3月に三陽商会様とコラボレーションした「国際女性デー」コレクションのお仕事では、自分のボイスとクライアントの思いがパーフェクトに重なった案件となりました。元々、ボディポジティブをテーマにした作品をInstagramで発信していたところ、ブランドのご担当者さんが私の発信内容に共感してくださり、プロジェクトがスタートしました。社会的なことに対するメッセージを絡めてファッションブランドがコレクションを打ち出すことは、とてもいいムーブメントだし、何度も丁寧にクライアントと対話を重ねて仕事を進めることも大切だと感じています。

───福田さんご自身、そして作品を見てくださる方々と共に「愛と美しさを信じ、守り抜く」ために今後どうしたらよいか。最後にメッセージをいただけますでしょうか。

福田 日本人だからという視点でお話ししたいのですが、私が活動拠点を日本にしたのは、やはり日本が好きだからです。私が思う日本人の良さは、当たり前のように電車に並ぶなど、人の気持ちを考えて行動できるところだと感じています。常に周囲のことを考えて行動できるのは世界を見渡しても日本人だけなんじゃないかと思いますし、だからこそ、この平和がある。なので、日本人アーティストとして私ができることは、人の気持ちを汲み取って攻撃的ではないアートが生み出せるのではないかと感じています。今起こっている戦争にもつながりますが、対話で絶対に解決できると信じています。平和ぼけ、綺麗ごとだと言われるかもしれませんが、この平和な日本で生まれた私だからこそ作れるアートがあると信じ、これからも世界に発信していきたいです。

───本日は、素敵なお話を本当にありがとうございます。

 

(Interviewer:蛭子 彩華 本誌編集委員)

 

福田 愛子(ふくだ あいこ)

イラストレーター & アーティスト
1986年生まれ。ブリッジウォーター州立大学芸術学部グラフィックデザイン学科卒業。帰国後企業のインハウスグラフィックデザイナーとしてキャリアをスタートさせる。その後IT企業のアートディレクター・マニラ駐在員と激動の4年間を過ごし退社し、イラストレーターとして自身の未知なる挑戦と人生の冒険に舵を切った。幼少時代からファッションに興味を持ち、母や姉から譲り受けた洋服たちを自分流にアレンジして着るのが好きな子どもだった。ものに宿る「世代を超えたタイムレスな美」の価値観が、後にアーティストとして生きる彼女のクリエイションの基盤となる。近年ではAR(拡張現実)を導入し、イラストとテクノロジーを融合させた表現方法を追求中。現在は東京と海外の2拠点で活動し、2018年にニューヨークで初個展、2019年には日本人で初めての「Adobe Creative Residency」に選出された。また最近ではAdobe Aeroを駆使したAR作品「AR VIRTUAL GARDEN」が DESIGN TREND 2021に選ばれている。

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