マーケティングホライズン2022年8号

子ども目線のアートでつくる、心地よいみんなの居場所

“こどもと食”をテーマに、アートスクールなどの独自のプログラムを実施して幅広い世代が集う「景丘の家」。乳幼児親子や小学生の居場所、交流の場となる「かぞくのアトリエ」。多感な中高生にとっての、家や学校以外のサードプレイスとなっている「代官山ティーンズ・クリエイティブ」。渋谷区でこれらの施設を運営するマザーディクショナリー代表の尾見紀佐子さんに、次世代を生きる子どもたちのための心地よい居場所づくりについてお話を伺いました。

───今年の春、景丘の家で開催されるアートスクールに参加したことがきっかけでご縁をいただきました。正直「アート」というと、年を重ねるにつれて難しいなと身構えてしまうところが私自身あったのですが、こちらに来られるお子さんや親御さんたちは、難しく考えずに、日常的にアートを楽しまれているような軽やかさを会話の中から感じました。建物や内装といったハード面が魅力的なことに加え、居心地の良いソフト面を兼ね備えたこの施設は、一体どのような思いから誕生したのでしょうか。はじめに、成り立ちについてお話をお聞かせいただけますか。 

尾見 そう言っていただいて、ありがとうございます。私たち株式会社マザーディクショナリーは、現在、景丘の家を含めて渋谷区で3つの施設運営を行い、今年で10年目となります。私は教育や福祉の業界で働いていたわけではなく、もともとはメディアの出身なんです。20数年前、日本で初めてといわれるフリーペーパー『dictionary』の編集に携わっていたのですが、その中で「mother」という特集を組んだことが創業の大きなきっかけとなりました。

当時、子育てをする女性が参考にするメディアは限られていて、「3歳になるまでは、母親が責任を持って子育てするべき」といった考えが色濃く残る時代でした。私自身21歳で第一子を産んで早くに母となったのですが、パソコンも携帯もない時代、かつ両親が近くにいない都会での子育てを経験しました。自分が本当に求めている情報や、同じ価値観を持つお母さんに出会うことも大変で、急に別世界に追いやられてしまったような感覚でした。

その後、もう2人の子どもに恵まれて専業主婦を10年間していたのですが、親の経済力の有無で子どもの教育に差が出てしまうことに違和感を感じていました。特に都会での子育ては、受験などある程度の家庭環境のある人たちにしか選択肢が用意されていない社会のあり方に非常に疑問を感じていました。

 

人間力を育むために必要なマインドセット

尾見 上の2人の子どもたちは個性を尊重してくれる自由な校風の私立に通いましたが、第三子は、3人も私立では大変なので、ならば「お金をかけずにいい子に育てよう!」と決めました。幼児期は一緒に自然豊かな場所で遊び、自ら企画する自主保育を取り入れたり、地元のつながりを重視しながら公立一本で育てました。生涯が終わるまで子育てにおいて何が正解かはわかりませんが、偏差値よりも人間力を育むことが大切。さらには、これから少子化が進む中で、社会全体で公教育の充実をしっかりと考えていかなくてはという思いが強くなっていきました。

そんな自分自身の、同世代より早くに母になった経験をもっと活かしたいと思っていた矢先にmother特集の話が舞い込んできました。第三子が産まれたばかりでしたが是非参加したいと申し出て、出版後には想像以上の評判をいただいて、「今後も是非継続してほしい」「次回はこういった企画をしてほしい」という多くのリアルな声も届きました。

そこからウェブサイトを立ち上げ、新しい時代の魅力的な価値観を持った、アーティストのお母さんたちに子どもと暮らす中で感じるそれぞれの視点をエッセーとして発信してもらったり、お母さんたちとの会話の中からヒントを得て、布ナプキンや赤ちゃんのための仕切りのある木のお皿など、こんなものがあったら良いな、という声をカタチにするプロダクト開発にも取り組みました。お母さん同士が直接交流できる機会を作るために企画したイベントは年々来場者が増え、1日で1,000人を超えるようになっていきました。そんな中で渋谷区との出会いがあり、子どもたちの居場所と子育て中のお母さんたちが気軽に集まれる場を作りたいと、何の保証も誰の協力もない中でしたが、私が考える理想の施設プランを時間をかけて練り、採用いただくことができました。

 

幸せの連鎖を生み出すための居場所

───何がそんなにも尾見さんを突き動かしたのでしょうか。
尾見 自分自身が当事者として都会での子育ての難しさを感じていたのかもしれません。仕事も子育ても家事も抱えているお母さん。多くの方が時間と心に余裕がないと感じていたので、お母さんの子育ての応援をしたい気持ちが強くありました。子育ては本当に大変です。自分の時間がほとんどない中でやらなくてはいけないことばかり。朝起きてから寝るまでフル回転、母として妻として責任だけがのしかかる。けれど、その子育て時期は本当に特別で、純粋な子どもの目を通して新しい世界を一緒に感じることができるかけがえのない時間なんです。

子育てで何かうまくいかないことがあったとき、決してお母さんだけの責任ではなく、一人ひとりの生まれ持った資質もあると思っています。お母さんが全部責任を背負わなくてはいけないと思わないで、自分のところにやってきてくれた子と関係を築きながら、親と子の両方が成長できるようにもっと子育てが楽しくあってほしいという願いがあります。

子どもにとって、お母さんが笑顔でいてくれることが、何よりものギフトなんです。お母さんに自分を受け止めてもらえている、という安心感が心の安定につながり、いろいろなことが自然と回っていくと感じています。お母さんが笑顔でいられる環境が、子どもの心の安定や健やかな成長につながって、お父さんにとってもいい風が流れ、家族が幸せになる。家族単位での幸せが増えると、ひいては学校、地域の幸せの連鎖が生まれます。この場所では、なるべく一人ひとりのお母さんの子育てに対する悩みや不安を取り除いてあげる手助けができたらいいなと思っています。

現在運営している施設は、渋谷区民に限らずどなたでも利用できる仕組みとなっています。区民の税金だから区民しか使えないという時代ではないと思いますし、施設そして子育てに関しての情報や知恵もシェアをする。こういった価値観をいろいろな地域に広げていくためには、まずはオープンにして、知ってもらうことが必要だと考えています。

代官山にあるティーンズ・クリエイティブは、小学生から大学生までが使える施設なのですが、中高生という多感な子どもたちに私が何を一番してあげられるかを考えたとき、魅力的な大人に出会える場所を作りたいと思いました。家と学校と塾と部活といった限られた世界で生きていて、その中で出会える大人が圧倒的に少ない一方で、将来の選択をしていかなくてはならない大切な時期でもあります。そして、自分の夢や希望を描くには、情報はあふれているけれど、どうやって取捨選択をしたらいいかわからない子どもたちが多いのが実情です。毎日平日の夕方3時間、様々なジャンルのアーティストに来てもらって、一緒にプログラムに参加したり、自由に関わりながら過ごしています。フリースペースにアーティストがいるようなイメージですね。

小中高校生向けのアートスクールやイベントが日々開催されている「代官山ティーンズ・クリエイティブ」

 

自分の心が満たされる 生き方と働き方

尾見 今は昔と違って、働き方を一つに絞っていない人が多くなってきていますね。自分の心が満たされる生き方、働き方を自分自身で見つけていく時代だと思っています。ですから、子どもたちが一番多感な時期に様々な種まきをここでできたらと思って取り組んでいます。そして、多様な大人と共に同じ時間を過ごし、その人の発する言葉や人となりに触れた経験が、後々その子自身の将来に何らかの影響を与えてくれるかもしれません。一人ひとり異なるバックグラウンドを持つ魅力的な人に出会うことで、日頃から自然とたくさんの価値観があることを感じてもらえたらと思うのです。

子どもたちにはそれぞれお気に入りのスタッフがいて、そのスタッフに会いに来るようなところもあります。子どもたちがふらっと私たちの事務所に入ってきて、隣に座ってゲームや宿題をする風景が日常にあり、卓球や工作をしながら話をします。見かけは一丁前な子たちも、内面はまだまだ子どもで、思春期で親には話せないようなことも話してくれたりします。スタッフ共々とてもいい場所に成長したなと感じています。

“こどもと食”をテーマに、あらゆる世代が集まり、寄り添う居場所「景丘の家」

 

───尾見さんが生まれ育った環境から、何かインスピレーションを受けているのでしょうか。

尾見 私自身は箱根生まれ・伊豆育ちで、ごく普通の家庭に生まれ育ちました。人前で話したりパフォーマンスすることが得意ではない控え目な子だったように思います。親になって初めて自分がどれだけ守られていたか、静かで深い愛情をかけてもらっていたかを痛感しました。そして、豊かな自然が身近にありました。当たり前に草花があって、学校帰りにお花を摘んだり、葉っぱでピーッと音を鳴らして遊んだり。そういった幼少期の記憶が、自分の中にあったかいものとして残っています。

私の根っこには、循環や再生といった自然への敬意がテーマとしてあります。施設や活動内容、そしてアーティストも華やかでおしゃれ、というイメージに見えるかもしれませんが、硬派に、次世代の子どもたちのために大切に守っていきたいことを、地に足をつけてやりたいと思っています。一つひとつのプログラムについても、ここで何を伝えたいか、そして何が伝えられるかを話し合い、実際のワークショップでは、感じてもらうことを大事にしています。

例えば、アジの三枚おろしのワークショップを定期的に開催しているのですが、家庭の食卓に出されるお魚は、スーパーできれいに切り身で盛られているものが多いです。子どもたちにそこに至るまでの想像をする機会になればと思っています。実際に魚を触ってみると、鱗はこんな風についているだとか、一回のワークショップだけでもたくさんの学びがあります。魚をおろせる技術を身につけることが目的なのではなく、魚をおろすという行為を通じて、命の営みを感じる機会になればと思います。感謝して命をいただくという気持ちにもつながると思っています。

 

子ども目線のアートで心地よい居場所をつくる

───尾見さんのお人柄や譲れないものに共感し、一緒に取り組みたいと思う魅力的な大人がこの場所に集っているのだろうなと感じます。

尾見 自分の思いを丁寧に相手に伝えることは大切にしていて、講師を依頼する際にも背景と理由を丁寧に伝えると、皆さん真摯に考えてくださいます。

子どもたちの未来や希望を表現して感じてもらいたいときに、やはりアートは大事な要素だと思っています。アートという概念は難しいですが、芸術や崇高なものというよりも、子どもの目線でのアートは、美しいものを感じる力であり、クリエーションしたいことに取り組む姿勢そのものであると感じています。そういったアートの解釈の基、子どもたちだけでなくアーティストやスタッフなど、ここに関わる全ての方々の五感を豊かにする機会をこの場でつくるお手伝いができたら嬉しいです。

───最後に、次世代を守っていくためにどんなことを一番大切にされているのでしょう。

尾見 気持ちのいい風が吹く、心地よい居場所をつくることです。空間のことだけでなく、スタッフが気持ちよく働ける仕組みも含めてですね。そうするとその場所の空気が自然と整い、施設に訪れた人たちも気持ちよく使ってくださる。それが目に見えない幸せの連鎖につながっていると思うので、心地よい空間、プログラム、そして人との関わり合いをこれからも大事にしていきたいです。

───本日のお話自体がとても心地よい時間でした。貴重な機会を本当にありがとうございました。

 

(Interviewer:蛭子 彩華 本誌編集委員)

 

尾見 紀佐子(おみ きさこ)

株式会社マザーディクショナリー 代表
1970年、箱根生まれ。3人の子育てと専業主婦を経て、株式会社マザーディクショナリーの代表に。東京都渋谷区のこども・親子支援センター「かぞくのアトリエ」、青少年に向けた「代官山ティーンズ・クリエイティブ」、全世代交流の場「景丘の家」の運営を手がけるほか、旅と手しごとをテーマにしたイベント「TRACING THE ROOTS」の主宰、マネージメント、出版、などで新しい視点を発信している。https://motherdictionary.com

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