「宿は人なり」 伊香保・ホテル松本楼 :人を基軸に置いた、3本柱の経営戦略

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2021年5月号『土地の地力 魅力度ランキングかい? 実はすごいぞ群馬県』に記載された内容です。)


退職率35%、平均年齢58歳だった旅館が変われたきっかけ


 

「先輩たちが、人によって教えることがバラバラで、その人のやり方と違うと怒られる」これは今から約10年前、1年足らずで辞めてしまった新入社員に言われた言葉だ。親の代から引き継いだ旅館業。熱意を持って取り組んできたのだが、半年間で85人いたスタッフのうち30人が辞め、従業員の高齢化も進んでいたこともあり、倒産すると噂になるくらい悲壮感が漂う宿だった。

そんな時、2013年に「第1回旅館甲子園」*1が開催された。その舞台で、活き活きと自分たちの夢を発表する他旅館のスタッフを見て、私もここに出られるような宿を目指したい。そして「人は宝。日本一社員に優しく、お客様に優しく、環境に優しい旅館を目指す」と胸に誓った。その後、「宿は人なり」をモットーに、様々な改革にチャレンジし、今では憧れであった旅館甲子園で、3大会連続で決勝に進出するなど、自分たちの取り組みの成果と喜びを社員達と共に実感している。

 


皇族、そして文人墨客が愛した伊香保


 

伊香保には皇族の御用邸があり、明治・大正・戦前と夏目漱石、与謝野晶子、徳富蘆花、竹久夢二など文人墨客の避暑地であった。そんな伊香保で、1964年(昭和39年、ちょうど東京オリンピックが開催された年)に、私の祖父母が旅館業を創めた。

日比谷公園の松本楼で明治時代に曾祖父母が修業し、のれん分けの様な形で2代に渡って石段街で「西洋御料理松本楼」を営んでいた。戦後、御用邸が廃止されると、伊香保は社員旅行など遊興の温泉地として発展し、旅館が足りなくなり、洋食店から旅館「ホテル松本楼」へと業態変更をした。16室からのスタートだったが、私の両親が、51室の中堅旅館へと成長させた。

 


日本一の女将になるはずが、バカ女将になっていた



幼少期から旅館業を間近で見てきた私は、女将として働く母親の姿がキラキラと輝いて見え大好きだった。女性がこれほど活躍できる仕事はほかにない。小学3年生の時、私と妹の2人は女将に憧れていたので自分が継ぐと言って譲らなかった。仕方がないのでジャンケンで決めた。勝った私は、それからずっと自分が旅館の女将として家業を継ぐ、そして日本一の女将になるのだと心に決めていた。

経営を学ぶために、英国に語学留学、そしてホテルでの研修も経験。日本に戻り、いよいよ憧れの旅館業についたのだが、何かと英国での経験を引き合いに出す私に従業員は大反発。気がつけば全従業員を敵に回していた。ホテルでの経験はあったが、旅館での経験は0だった。

 


人を基軸に置いた、3本柱の経営戦略



結婚を機に入社した夫と、辞めていったスタッフの仕事をカバーしたが、朝から晩まで働いても30人分にはならず、社員の有り難みを痛感した。そんな時に旅館甲子園に出会い、私たちはまず松本楼の3本柱を決めた。「新卒採用」「人材育成」「従業員の満足度向上」だ。

「新卒採用」については、すでに2012年から始めていたが、改めて力を入れていく事に決めた。ただ人を入れただけでは、またすぐに辞めてしまうかもしれない。選考は1泊2日で行い、2食付きの宿泊体験を通し、職場の雰囲気や社員の様子など、より深く松本楼について知ってもらうことにした。学生の対応をする社員を若手で固め、リラックスした雰囲気で行うことで、学生との距離を縮め、普段の姿を引き出すことに注力している。

また学生のミスマッチを減らすために、内定後に最低1週間の体験入社の期間と、ご家族との宿泊体験を行った。旅館業は3Kと言われ、過去にご家族の反対での内定辞退や早期離職があった。学校を卒業して初めて入社する会社は、人生を大きく左右し、家族の影響も大きい。入社前に実際に働く・宿泊することで、学生本人も家族の意見としても、入社後のミスマッチや早期離職を防げると考えている。

「人材育成」については、新入社員一人に対して一人の先輩社員がつく「エルダー制度」を取り入れた。同じ先輩が公私ともに一人の新入社員を1年間サポートする形式に切り替えたところ、格段に離職が減った。また、配属された部署以外の業務も出来るように、一人が複数業務をこなす「マルチタスク」を進めた。なれない業務や他部署の人と一緒に仕事をする心理的ハードルを下げるために、新卒研修時には全ての業務を経験させ、そこで働く社員ともコミュニケーションを図れるようにしたところ、今では平均年齢が33歳となった。

「従業員の満足度向上」については、どんなに旅館のハード面をよくしても、結局サービスをするのは人。経営者から従業員へのトップダウンではなく、当館のおもてなしとは何かを共に考え、みなが幸せでいられる旅館作りを目指した。

 


コロナ禍でも貫いた「宿は人なり」の姿勢



コロナの影響で休館を余儀なくされた昨年4〜5月。全社員を集めて「お給料は100%保証」「この大切な時間を有効に使い、旅館を磨き、自分を磨こう」と未曾有の事態を共に乗り越える意思を共有した。週5日9時から18時で研修を開始し、「松本楼学校」と呼んでいた。

365日24時間営業の私たちにとって、全社員が顔を合わせて研修を行うのは、初めてだった。一番に取り組んだのが、SDGsの宣言書の作成である。私たちのあるべき姿を全社員で共有し、テーマ別に5グループに分かれ、旅館業初の「エコアクション21」取得を目指している。有難いことに今年3月に群馬県のSDGsの先進的な取り組みを行う企業としても選出された。

さらに惣菜販売免許を取得し、ホテルの名物であるハヤシソースや牛舌シチューのレトルトパック化に成功し、ECサイトの販売も始めた。そして研修中、特に力を入れたのは「防災」だ。事業継続力強化計画を経済産業省に提出し、災害用自動販売機の導入と、宿泊者100名、社員100名、近隣住民50名の避難受け入れを想定し、その3日分の食料と水の確保を行った。その様な取り組みが関東経済産業局の認定施設6000社中の10社に選ばれ、宿泊業・飲食サービス業のモデル事例としてホームページに掲載いただいた。

今後はIT化を進め、従業員は人でないとできないサービスに特化する仕組みを推し進めたいと考えている。既に導入している具体的なものとしては、お掃除ロボットや、客室にタブレット端末を設置し、非接触で飲み物や貸切風呂などの注文を受けられる仕組みも整えた。同時に大浴場の混雑状況も、各客室から見られる様になっている。この2ヶ月間の研修の成果が、昨年11月のGO TOキャンペーンの繁忙期には、十分発揮され、一昨年より10名少ない人数で乗り切ることが出来た。

 


自分たちのDNAを伝え広め、旅館業全体が輝くために



自分たちが培ったことを、伊香保の地域、そして他旅館にも広めるべく新しいチャレンジも試みている。具体的には、旅館業界ではできっこないと言われていた「中抜け勤務」(一組のお客様を同じ客室係がチェックインからチェックアウトまでお世話する為、休憩時間が4時間と拘束時間がやたら長い)を完全に辞め、賃金テーブルなどを整備して、働きやすい職場づくりを推進することだ。

コロナ禍でまだまだ宿泊業は厳しいが、今こそ良い人材を確保するチャンス。当館には、国公立大卒も2年連続計4名就職してくれるようになった。旅館は地域を担う重要な存在でもあるので、若い力を借りて伊香保の街づくりにも貢献したいと思っている。

最近、嬉しいニュースがあった。昨年2月、「人手不足だが、新卒なんて来ない」と言っていた旅館仲間を全国各地から募り、弊社の就活担当がセミナーを開催した。そこで学んだ通りにやった旅館が、今年4名の新卒を採用出来たのだ。しかし、今度はその新入社員を教育するノウハウがないので、研修の依頼がきた。

先方は、「コンサルタントは沢山いるが、社員と同じ視点で教えてもらう事で、みんなの目標が出来て有難い」と、弊社のスタッフを指名してくれた。旅館の悩みは骨身に沁みてよくわかるため、私たちの経験を活かして、他の困っている旅館を助け、業界全体が人気の就職先に選ばれてくれればと心から願っている。

図表 《クリックして拡大》

 

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〈参照元〉
*1 「旅館甲子園」
全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会に加盟する2万もの宿泊施設の頂点を決める祭典。東日本大震災後、「旅館から日本の復興を目指す」をテーマに、2012年からスタートし、2年に1度開催されている。ファイナリストに残った3施設がビックサイトの大舞台で、独自のもてなしや企業理念を伝えるパフォーマンスで競い、会場の審査員と参加者の投票でグランプリを決める。審査基準は「宿泊業で働く魅力」「経営理念」「おもてなしへの想い」「業界の地位向上」「お客、地域、日本を元気に」の5点。https://www.rurubu.travel/theme/ryokankoushien/

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松本 由起(まつもと ゆき) *本稿タイトル写真の右から3人目
ホテル松本楼若女将。1969年、群馬県生まれ。県立渋川女子高等学校卒業、産業能率短期大学で経営能率を専攻(経営者二世コース)、産能大学経営情報学部経営学科編入。英国ウエストミンスターカレッジに語学留学。1993~95年までロンドンのThe Tower Thistle Hotel、コッツワルドのThe Lygon Armsで研修を終えたのち、95年から家業のホテル松本楼に若女将として勤務。97年には、カップルや一人旅など少人数でも伊香保を楽しんで頂きたいという思いから、留学経験を活かし洋風旅館ぴのんを創業する。
ホテル松本楼ブランドサイト https://brand.matsumotoro.com/

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