【第6話】結 - 経・緯・斜・連・協・包 -

漢字マンダラでは、”変”、“知”、“理”、“道”に対して、それぞれに通じる漢字群を配置した(図1)。マンダラの右下部は “知”に繋がる漢字群である。“知”を生み出すには、あるいは“知”に対応するには2つのアプローチがある。一つは“考”であり、もう一つは“結”である。“考”については前話(第5話)で述べたので、今話では、“結”を実現するのに必要な”経”、“緯”、斜”、“連”、“協”、“包”という6つの要素(文字)の話をする。

図1. 漢字マンダラ

“結”という漢字は、「糸+吉(“口”=祝詞を入れる器+“士”=小さな鉞(まさかり)の頭部)」からなり、吉は「力を閉じ込める」意味から、「糸をかたくむすび合わせる」という意を表わす。“結”を使った熟語には、結合、結果、結論、団結、連結、…がある。

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“知”は人がいるところ、どこにでも小さな知として分散して遍在しており、人類は、その分散した小さな知の断片を、束ねて大きな秩序だった知に「結合」して来た。異なる知を結びつけることで新たな知が生まれ、小さな知の結合こそが“知”のはじまりである。経済学者シュンペーターの「イノベーションは新結合である」という言葉や「三人寄れば文殊の知恵」という諺もある。“知”には“結”が欠かせないのである。

今回は、知を結合していくうえでの考え方や、イメージの描き方を話したい。知を結合するうえで、もっとも大切なことは、知をどう組み合わせるかである。まずは、小さな知と知を結びつけることから始めるのだが、ただ知を並べるだけでは単なる寄せ集めにすぎない。小さな知を有機的に結びつけて、相乗効果を生みながら一つの知のシステムをつくり上げることが必要である。
この作業は、料理づくりに似ている。料理に使う素材と言えば、肉や魚、野菜になるが、同じ素材でも和食や洋食、中華料理など様々な料理ができる。それに、和食や洋食と一口に言ってもこれまた様々で、料理人の腕前によって出来上がったものの味や見映えが違ってくる。
知の結合も同様である。小さな知の断片は、いわば一つひとつの素材であり、それらをどう組み合わせて結合していくかは、料理と同じように人によって違ってくる。つまり、同じ知の素材であっても、その人の持つ価値観やものの考え方、また何を目指しているかによって大きく変わってくる。

では実際に、どんな素材(知)をどう組み合わせればいいのだろうか。そのヒントになるのが、中国の漢方の「君・臣・佐・使」という調薬(生薬の配合)の基本である。調薬の基本的な考え方は、効能の柱となる薬(君)、その効果を高める薬(臣)、副作用や発熱といった負の効果を抑える薬(佐)、そして薬の全体を調和させて飲みやすくする薬(使)の四種類の組み合わせである。 知を結合していくには、こうした漢方の調薬にならって、まず何が知の柱(君)となるのかを決める。次に様々な知の中から、知の柱を補足する知(臣)、別の観点からみる知(佐)、そして全体を調和させる知(使)を探し出し、これらの知を組み上げていく。こんな知の作法はどうだろうか。どんな素晴らしい知といえども、孤立させてしまっては、大きな効果や価値は生まれてこない。さまざまな関連する知をうまく組み合わせてやることが知の結合においては大事なのである。

こうした知を議論するとき、注意しなければならないのは、科学といった「理」の面からだけで捉えてしまうことだ。科学とは基本的に、物事を細かく分けて追究していくアプローチをとる。その結果、科学的であればあるほど、知も細切れになってしまいがちである。そうした細切りの知を繋いでやるには、人の夢や思い、志といった「情」に関わる知とも結びつけて考える、論理だけでまとめるのではなく、直観も大事にすることが大切である。
小さな知を結合し、より大きなものにしていくためには、理という縦串に、情という横串を差して、個々の小さな知を互いに関連づけながら大きな知に結合していく。そもそも、知とは人が生み出し、育てていくものだということを忘れてはならない。

 

経 → 結

“経”の旧字は“經”である。「糸+巠(織機にたて糸を張った形)」からなり、この「たて糸」は、ひいては「すじみち、おさめる」の意を表わす。“経”を使った熟語には、経緯、経過、経済、経営、神経、…がある。

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“経”は字源が「たて糸」であるように、「経糸」と書いて「たていと」と読む。それに対し「よこいと」は「緯糸」である。ここで「働くこととは仕事を通して他者と結び合うこと」という考えに基づき、“経”(タテ)、“緯”(ヨコ)、さらに“斜”(ナナメ)の3つの漢字の関連についてみてみよう。

まず、“経”を使った熟語である「経営」に触れておきたい。経営とは、もともとは仏教用語であり、経は織物の経糸の意から「筋道、道理を通す」こと、営は「それを実行する」ことである。つまり経営とは「何のために生きているのか」「自分自身をどう生かすか」など、菩薩に至る道を歩む生き方を、「タテに筋を通して」、日々の行動で実行することを意味する。
これが転じて、一般には、企業活動の意味で使われている。“経”が織物の経糸から来ていることから、経営はよく織物に例えられる。経営でいう経糸は、「何のために事業を営んでいるのか」「社会にとってどういう存在か」を示す経営理念、緯糸は、商品・サービス等の価値提供に相当する。また、不易流行という言葉を借りれば、経糸は不易にあたり、緯糸は流行にあたる。
このように、経営における経糸は、その企業における不変の原理・原則である。実際の織物においても、経糸がズレていたり、糸の張り具合が不揃いだったりすると、生地が波打ってきれいな仕上がりにならない。つまり、“経”というのは、筋であり、軸であり、芯である。

それでは、人と人の結びつきにおける経糸、つまりタテの関係はどうあるべきだろうか。企業におけるもっとも芯となる経糸は、経営トップと社員との関係であろう。冒頭で述べたように、企業という集団の力を高めるという観点で、この経糸をどうすればいいのか考えてみる。
まず重要なのは、経営トップと社員との距離を縮めることである。日本企業が元気だった高度成長期においては、トップと社員との距離は、企業の規模に関係なく、今よりもっともっと近かった。例えば、ホンダの本田宗一郎さんは現場を大切にし、社員に呼びかけ、社員の話によく耳を傾けていたという。ホンダに限らず、一般にどの会社もそうであった。
トップと現場との「タテの距離」を縮めるには、トップが現場に入るという行動そのものが重要なのではない。トップが現場の人たちとコミュニケーションを重ねることで、現場の考えや課題などを自分のものとして取り込み、同時に現場に会社が目指す方向やビジョンを伝えることに意味がある。トップをはじめ全員がコミュニケーションを通して、夢や思い、また悩みを共有する。このことによって、上下の信頼感が醸成され、「よし頑張ろう」と現場の人たちの気持ちも強くなる。

 

緯 → 結

“緯”という漢字は、「糸+韋(“五”+“口”+“ヰ”:“五”と“ヰ”は足を表わし、“口”=城壁を右へ左へと進む様)」からなり、「糸が左に行き、右に行く」ことから、「機織りの“よこいと”」の意を表わす。“緯”を使った熟語には、緯度、緯書、緯糸(ぬきいと)、経緯、北緯、…がある。

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“経”の項でも触れたように、“緯”は緯(ヨコ)糸を表わし、企業経営を織物に例えると、不易流行の「流行」にあたり、時代の変化に合わせた価値の提供である。ここでは、“経”と同様に、人と人との結びつきにおいて、組織の緯糸はどうあるべきかを考えてみる。

企業の緯糸といえる関係は、一緒に仕事をしている同じ職場の同僚、同じ商品やサービスを開発している他部門の人たちとの関係が相当する。集団の力を高める上では、経営トップと社員とのタテの距離を縮めることが大切だと述べたが、ヨコの関係でも同様に密にすることが重要である。
まず自分の周辺の人たちはどんな仕事をしているのか、他のグループや部門は何をしているのか、関心を持つことが大事である。ときには互いの仕事について話し合ったり、ときには遠慮なく口を出してみたりする。そんな雰囲気が職場に漂うと、組織の風通しは間違いなくよくなる。その上で、人と人、部門と部門の連携を深め、組織の一体感をつくり出すことである。仕事のタテのつながりに加えて、ヨコのつながりを理解できれば、部門間の距離も近づき、仲間同士の信頼感や一体感も生まれてくる。集団の中で協力や団結の重要性も自ずと認識するようになるだろう。仲間とともに働く幸せや喜び、苦労して頑張っているけど、楽しい。こんな雰囲気が職場に漂うと、おのずと仕事に充実感が湧いてくる。働く人は元気になり、組織にも活気があふれる。
つまり、企業は経糸(タテ)だけを強化すれば強くなるというものではない。緯糸(ヨコ)も大事なのである。きれいな織物は、決して経糸だけでは生まれない。経糸と緯糸とが織りなす絶妙な調和があってこそ、素晴らしい模様があらわれてくるのである。

また、ヨコを強くすることで、タテも同時に強くなるということもある。例えば、旧く栄えた街でよく見るアーチ型の石橋がメタファーとなる。これは石橋のアーチ部分に逆台形の“輪石”を並べ、タテ(垂直方向)に掛かる力をヨコで押さえる構造になっている。石橋を構築するときに重要となるのが、輪石をどう並べ、横の壁石をどう繋ぐかである。隣同士のヨコの石をしっかりと見ながら並べていくことで、結果としてタテに強い石橋ができる。企業で言えば、仲間同士のヨコの関係が強ければ、上司・部下のタテの関係もおのずと強くなり、しっかりとした組織になる、ということである。

最後に、“経”と “緯”を結ぶにあたり、経糸と緯糸に深い関係のあるグンゼ株式会社の創業者である波多野鶴吉の言葉を紹介したい。グンゼは製糸業から始まり、「善い人が良い糸をつくる」という創業者が貫いた人間尊重の経営哲学が、今日まで連綿と受け継がれている創業125年を超える老舗企業である。
「織物は経糸と緯糸とによって織りなすものであり、経糸と緯糸とがちゃんと揃っていなければならない。織物を織る際には、まず第一に善良なる経糸を選択致することが最も大切である。」といった仕事の話の後、「この点について大いに学びたいと思う」と、人生を重ね合わせた彼の人生観を述べている。
「われわれがその生涯を送るにあたりまして、第一に考えねばなりませぬことは、『人生を如何にして経緯するか』ということであります。しかして私はこの問題に対しまして、善良なる経の精神とそれに相応したる緯の知識とが、十分にそなわっておりましたならば、人生の極地たる永遠の生命に入り、その幸福を全うすることが出来るということを確く信じておるものであります。」(グンゼ株式会社資料より)

 

斜 → 結

“斜”という漢字は、「余(一本の柱の上に屋根がついた簡単な家屋の形)+斗(柄のついている柄杓の形)」からなり、「水を汲むとき、斗の柄を斜めにして汲む」ことから、「くみだす→ななめ、かたむく」という意を表わす。“斜”を使った熟語には、斜線、斜面、斜陽、狭斜、傾斜、…がある。

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これまで、“経”、“緯”の項で、集団の力を高めるには、組織における経糸(タテ)の距離を縮め、緯糸(ヨコ)の関係を密にすること大切であることを述べた。さらに、人と人を「結び」つけ、集団の力を引き出すには、このタテとヨコの関係を一体化するような仕組みが必要である。つまり、「斜め」の関係に配慮することが重要なのである。

ここで、斜めとは、利害関係が存在しない第三者のことで、世代を超えた先輩や後輩、他部署の上司や仲間などの関係にあたる。この関係は、仕事上で何か助言が欲しいとき、客観的な立場で気軽に相談に乗ってもらえる存在である。
この斜めの関係は、職場にある「喫煙室」で生まれるという話もよく聞く。そこでは職制や職位に関係なく、「同じ喫煙者である」という仲間意識が生まれる。「肩身が狭いね」という悩みを同じくする者同士、という要素もそれを強めているかもしれない。この「同じ仲間」という気持ちが、タテやヨコの関係を超えたつながりを生みだし、互いに打ち解けてしまうのである。タバコを吸いながら話が弾み、いろいろな愚痴や悩み、時には奇抜なアイデアが飛び出す。結果として、人と人とのつながりは確実に深まる。

とは言え、みなが喫煙するわけでもなく、健康面から推奨するのも難しい。コーヒーでも飲みながら気軽に話し合える場所を設置しても、なかなか喫煙室のような“効用”までは結びつかない。そこで、新人・若手社員の成長を促す観点から、斜めの関係性を活かした「メンター制度」を導入している企業も増えている。メンターは直接の上司・先輩といったタテの関係ではなく、別の部署の先輩から選ばれる。そして、日々の業務から離れた支援や助言、企業精神や組織風土の伝承、仕事に対する動機付け、精神面のケアなどをおこなう。新人・若手からすれば、メンターは社内ネットワークそのものとなり、組織に属している安心感につながる存在となっていく。
このような、喫煙室での人間関係やメンター制度が生まれる背景には、企業という組織内で、タテとヨコの関係だけでは何か足りないと思う人間の本能があるのではないだろうか。直接には利害関係がない人と人の結びつきを求め、構築することで、結果として、組織に風通しのよさや一体化が作り出されるのではないだろうか。

では、この斜めの関係がタテとヨコの関係を一体化すると組織全体にどう影響を及ぼすかだろうか。家屋などの建物の構造を考えるとわかり易い。建物の骨組みを見ると、縦の柱と横の梁の間に斜めに筋交いが掛かっている。この筋交いが建物全体の強度(耐震性や耐風性)を左右し、筋交い一本の“片筋交い”の場合、(筋交いの太さにもよるが)強度は二倍前後に、二本の“たすき掛け”にすると三倍から四倍になると言われている。つまり、組織という建物の縦、横の関係に加え、斜めに筋交いを入れて組織全体の一体化を意識すると、集団が強くなるということである。

タテ・ヨコ・ナナメ(斜)に、人と人とがしっかりと結ばれるということは、人の「知」も斜めの関係で結ばれ繋がって強くなる。そうした組織は、たくさんの小さな知をやがて大きな知へと導いていく。優れた技術やアイデイア、またモノやサービスの根っこには、つねに知の繋がりがある。これまで話してきた組織における経糸、緯糸、斜めの関係性を大事にすることが、集団の力を高め、ひいては集団の知を高めることにつながるのである。

 

連 → 結

“連”という漢字は、「辶+車:“辶”の旧字は“辵”で、“彳”=行く+“”止=足)」からなり、「車が行列する」ことから、「つらなる、結ばれ繋がる」という意を表わす。“連”を使った熟語には、連続、連係、連行、関連、一連、…がある。

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“連”と“結”の関係であるが、上記の通り、“連”という漢字自体に「結ばれ繋がる」という“結”も含んだ意味を持っている。“連”と“結”は、”繋“を通して、切っても切れない関係といえる。ここでは、集団は、個々の「連なり」が繋がることで、仲間との「結びつき」が生まれ、成長していくことを話したい。

「連なり」を「結びつける」ゲームに囲碁がある。同じ色の碁石を繋げてできる連なりを、どう伸ばせば相手の石や陣地を囲めるかを競うものである。上手い人は、素人目には一見バラバラに石を打っているように見えても、それがいつの間にか自分の領地を獲得している。一つひとつの小さな石がほかの石と「連係」して大きな強い石となる。さらにプロともなると、石の連なりを通して,自分の考えを主張し,問いかけてくるともいう。それでは、この「強い石の連なり」をメタファーとして、どうすれば強い集団となるかを考えてみる。

企業における人について語る時に重要なのは、個人としての人よりも、集団または組織における人の存在である。高い能力を持つ人が大勢集まったからといって、組織は必ずしも強くはならない。一方、人並みの能力の人たちでも、上手な組み合わせと固い結束があれば、強く大きな力を発揮する。

1990年代後半以降、企業は個人に光を当てる成果・能力主義にシフトする企業が目立ってきたが、実際には、逆振れ現象がところどころで見られている。企業として問われるのは個人ではなく、あくまで集団の能力だからである。個人の能力・強さは組織を強くするための必要条件であって、十分条件ではないのである。
碁盤上の石の一つひとつは何の強さもないが、この小さな石が他の石と手を組んで連携してはじめて、大きな強い石になる。これと同じように、人も個ではなく集団でこそ強さを発揮するのである。

かつて哲学者の和辻哲郎は、「人間存在の本質は人間にあり」と述べ、人間を「にんげん」ではなく「じんかん」と読み、「人と人の間柄に意味がある」と説いている。またオーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーは、「われわれの周りには常に他者があり、われわれは他者と結びついて生きている」として、他者との結びつきを意識する感覚を「共同体感覚」と措定した。生きる喜びや幸せは他者との関係からしか得ることができない。そして自分自身の幸福と人類の幸福に最も貢献するのは共同体感覚であると言っている。

企業における「人」も、まさに人と人との関係(間柄)に生きる存在、あるいは共同体感覚を意識した存在ということを忘れてはならない。強い集団にするためには、「一つひとつの小さな碁石がほかの石と連係して大きな強い石になる」ように、「個」をいかに上手く集団の中で結び合わせ、集団としての能力を発揮する仕組みづくりが重要なのである。

 

協 → 結

“協”という漢字は、「十(算木の10)+劦(力を三つ組み合わせた形)」からなり、「ひとまとめ+力が集まる」ことから、「力を寄せ集める」という意を表わす。“協”を使った熟語には、協力、協調、協働、妥協、不協、…がある。

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これまで、人は一人では小さな個に過ぎないが、たくさんの人と結びつくことで、集団としての大きな力となることを述べて来た。そして、人の価値とは、個と個がいくつもつながったその間、つまり「人間」(じんかん)に宿っており、人が集まるところにこそ価値が生まれるのである。ここでは、「協働」することと個と個の結びつきについて話したい。

「協働」という言葉から思い浮かぶのが、仏教法話の中の『三尺三寸箸』の話である。
――極楽と地獄では、食事の時はどちらも三尺三寸(約1m)の長い箸を使う。地獄に居る住人たちは、ご馳走を食べようとするが、箸が長くてうまく食べられない。イライラから怒り出したり、醜い争いごとまで始まったりする。一方、極楽に居る住人たちは、長い箸でご馳走をつかんで「どうぞ」と対面の人に食べさせてあげると、相手も「ありがとう」とお返しに食べさせてもらう。こういうことが繰り返され、みんなで感謝しながら、仲良く食事をして楽しんでいた――。
同じ食事を前にしながら、一方は、俺が俺がと先を争い傷つけあっている。もう片方は、相手を思いやり、相手から思いやられ、互いに感謝しながら食事を楽しんでいる。この法話の説くところは、「自分さえよければでは、幸せになれない。幸せの花は、他と自分との間に咲くからだ。」という教えである。

協働とは「同じ目的のために、対等の立場で協力して共に働くこと」という意味である。この法話でいうと、単に「食べる」という目的のために、ギブ・アンド・テイクで、お互いに箸を相手の口に差し出す作業をしていると捉えることもできる。しかし、協働という言葉には、この法話の教えのように、個と個とが、相手と自分の思いを汲み取り、精神的に結びつく作用がある気がしてならない。

そうした個と個との間にある「こころ」の問題を研究しているのが、人類学者の長谷川眞理子教授である。教授によると、ヒトは群れをつくって集まり、三項関係を理解しながら「協働」して生きる動物だという。三項関係とは、例えばある物体を別の誰かと一緒に持ち上げる時に、相手の動きや心を読み、タイミングを合わせて持ち上げる――といった関係のことを指す。

三項関係で大事なことは、共に同じ対象を見ながら、相手の心の働きを察して自分の行動を決め、協働するというヒトだけが持つ本性である。この本性を知れば、集団の中での働き方、協働作業のあり方などを考える時に大いに役立つであろう。

最後に、「協働」は企業の中だけでなく、作り手(企業)と使い手(ユーザー)との間にも必要である。作り手は、使い手が何を要望しているのかを想定し、その要望にそった解を出すとき、作り手側からの一方通行では、よい解になるのは難しい。ここでは、三項関係でいえば、作り手と使い手が一緒になって、同じモノを見ながら解を探っていく協働が鍵となる。作り手は使い手の懐に入り込み、使い手は作り手の懐に入り込み、両者の協働の中から独自なモノ(またはサービス)を創り出す企業は元気がいい。
最近は、消費者向けの商品を扱う企業は、SNSなどで自社製品について頻繁に発信するユーザーを、製品開発アンバサダーに迎えて協働する事例も増えている。この協働を通して、作る―使う、また売る―買う、といった新しい循環ができれば、作り手と使い手の結びつきも一層深まるのではないだろうか。

 

包 → 結

“包”という漢字は、「人の腹の中に胎児のいる」形。みごもる、ひいて「つつむ、いれる」という意を表わす。“包”を使った熟語には、包囲、包括、包摂、梱包、内包、…がある。

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昨今、企業経営おいて注目される言葉に、ダイバーシティ(多様性)とともに、インクルージョンがある。直訳すると「包括・包摂」という意味で、包括は全体をまとめること、包摂は包み込むことを指す。企業においては、すべての従業員が仕事に参画する機会を持ち、それぞれの経験や能力、考え方が認められ活かされている状態のことである。
ダイバーシティとインクルージョンはセットで語られることが多い。これは、多様性を取り入れることが目的化してしまっている現状に対して、ダイバーシティ・マネジメントの「多様性を取り入れ、かつ活かすことで、ビジネス環境の変化に迅速かつ柔軟に対応し、これを企業の成長と個人の幸せに繋げる」という本来の定義に立ち返るために加えた言葉とも捉えることができる。要は、集団を構成する一人ひとりの多様性を尊重しながら、同時に個を「結び」つけ、繋げて、集団の力(組織の力)に「包括」していこうという発想である。

では多様な人材を活用し、企業力を高めていくにはどうすればよいのか。これには大きく三つの要点があるように思う。第一は、多様・多彩な人材がその個性と能力を発揮できるような環境づくりをすることだ。人は本来それぞれに素晴らしい何かを持っている。問題はその個性をいかに活かすかであり、それを活かすのが経営である。多様な個性を活かすには、個に応じた柔軟な雇用体系を認めるともに、やる気と組織への帰属意識を高めることも必要であろう。また、管理職になることを望まず、仕事を面白く、生きがいを持ってやれるような環境を求める者や、現場の「職人技」を担う者に対する処遇の工夫も求められる。
第二は、働く人たちの個性を重視し企業の多様性を高めるためにも、逆説的だが企業の求心力を高める必要があることだ。言葉や文化の異なる国で生まれ育った多様な従業員を束ねるには、誰もが意欲を持って仕事に取り組めるような何か新しい求心力を創り出していかなければならない。そのために経営者がやるべきことは、大きな夢や熱い思い、それを実現するための行動指針を誰にでもわかりやすく言語化したもの、いわば「きらめく旗」を掲げることである。そうした旗印があってこそ、社員は自分の夢や思いと仕事とを重ね合わせて、存分に仕事に取り組み、充実した日々を送ることができるのである。
第三は、異質な人材を受けとめ、職場でほかのメンバーとの協働関係を築く方向に導く、人間的な包容力があり、同時に仕事にも厳しい現場リーダーを育てることである。かつて製造現場にいた、職場の仲間が何となく慕って一目置くような、気骨のある親分肌のおやじさんのイメージである。このことは、いわゆる日本的経営においてはきわめて重要なことであり、米国流の組織論にはおそらくないことではないだろうか。

以上、多様な人材を「結び」、集団の力に「包括・包摂」するためには、①個性を持つ多彩な人材が、目を輝かせて働けるような環境づくり、②「きらめく旗」を掲げ、企業の求心力を高める工夫、③多彩な人材を抱擁できる現場リーダーの育成、の三つを挙げてみた。もっと具体的なやり方については、それぞれの企業の実情に応じて講じるべきであろう。こうしたらよいというマニュアル的な答えはないのである。

 

連載一覧(過去掲載分は、タイトルをクリックしますとページに移ります)

連載にあたって  5月
第1話 漢字マンダラ   5月
第2話 ”変”、“知”、 “理”、“道” 6月
第3話 “革”(および “価”、”蛻”、…) 7月
第4話 “創”(および “夢”、“断”、…) 8月
第5話 “考”(および “観”、”望”、…) 9月
・第6話 “結”(および “包”、”緯”、…) 10月
・第7話 “和”(および “幹”、”芸”、…) 11月
・第8話 “調”(および “静”、”流”、…) 12月
・第9話 “想”(および “真”、”感”、…) 1月
・第10話 “徳”(および “悟”、”軸”、…) 2月
連載を終わるにあたって 3月



筆者プロフィール
常盤 文克(ときわ・ふみかつ)
元花王会長。現在、常盤塾で学ぶ。大事にしている言葉は「“自然”は我が師、我が友なり」(“自然”に学び、自然と共に生きる)。著書に『知と経営』『モノづくりのこころ』『楕円思考で考える経営の哲学』など多数。

丸山 明久(まるやま・あきひさ)
日産自動車技術企画部在籍時に丸の内ブランドフォーラムに参加、常盤塾に出会う。常盤塾・塾生。現在は、常盤塾での学びを果樹農業経営で実践中。

 

 

 

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