【第3話】革 - 価・蛻・解・換・捨・擬 -

漢字マンダラでは、金剛界マンダラの四仏に相当する”変”、“知”、“理”、“道”に対して、大小さまざまな仏菩薩と神々に相当する漢字を配置した(図1)。マンダラの右上部は “変”に繋がる漢字群である。“変”を起こすには、あるいは“変”に対応するには2つのアプローチがある。一つは“革”であり、もう一つは“創”である。そして、“革”を実現するのに必要な“価”、”蛻”、“解”、“換”、“捨”、“擬”という6つの要素(文字)を選んだ。今回は、“革”および、それに繋がる6つの要素について述べていく。

図1. 漢字マンダラ

“変”に対して、“革”と“創”を選んだが、“革”の話に入る前に、それぞれを象徴する言葉である「革新」と「創造」の違いを明確にしておきたい。
「革新」と「創造」という漢字で考えるよりも、「イノベーション」と「クリエーション」という横文字にした方がピンと来るかも知れない。「革新(イノベーション)」とは新しいモノやサービスを生み出し、また物事の新しい組合せをつくり、それをビジネスに結びつけることである。一方、「創造(クリエーション)」とは新しい物事を創り出すことそのものである。「革新」と異なるのは、創り出した物事がビジネスにどう結び付くかは直接関係しないところである。
言い換えれば、新しい考えや技術、アイデアを創り出すことが「創造」であり、そのアイデアを実現し成果として表れた結果が「革新」と言える。“革”には“創”が不可欠であるが、“創”だけで“革”は生まれないのである。それでは、“変”に対応するアプローチとしての一つである“革”の話に入ることにする。

 

“革”という漢字は、獣の頭から手足までの皮をひらいてなめした形で、生の皮とすっかり異なるものとなるので、「あらたまる、あらためる」の意味となる。革新、革進、革命、改革、変革、…といった熟語がある。『易経』沢火革(革命の機熟す)では、「革とは新しくなることだが、その新しさを旧態の上に加えるのではなく、古くて用いられなくなったものを捨て去って、新しい進歩を計る。」と記されている。

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現代は消費者の価値観が多様化し、もはや企業からのお仕着せの規格品を喜んで購入する状況ではない。消費者は、画一的な規格品ではなく、それぞれ自分の好みに合った商品やサービスを求めるようになった。つまり、量を求める時代から質を求める時代に変わったのである。

この「変化」に対応するには、企業の側も量を追求することから質を追求する思考に「革新」する新しい風を起こす必要がある。すなわち、新材料や新技術による新しい生産システムの構築、まったく新しい発想による新製品の開発及びそれによる新市場の開発、また旧来の製品でも何か新しい付加価値を付けて再生を図るなど、他社とは違う、独自の質を提供していく「革新」が必要なのである。そうした革新を起こすには、既存の概念にとらわれず、自由な発想で物事を考える必要がある。また、いわゆる定説の類や、過去の成功体験にこだわっていては、決して新しいものは生まれない。ハードだけでなく、ソフトの思考も重要だ。

歴史民俗学者の石井米雄氏は、「定説は『待ち針』にすぎない」と言う。裁縫で先へ先へと縫い上げていくには、ある程度まで縫い進んだら仮留めの待ち針を抜かねばならない。従来の発想や既成観念、過去の成功体験などは待ち針のようなもので、抜いてしまわないと先へ進めず、そこからは革新は生まれない。待ち針を抜いた先で新しい世界に出会うには、積極的に外の異質な人材やモノ、技術と接し、交わることが大事である。

外という意味では、市場は新しい気づきの場、新しい発見の場として見逃せない。市場にモノやサービスを出すことで、それらを介して企業と顧客との対話が始まる。そして提供する側も使う側も、そのモノやサービスが持つ本当の意味に気づいていく。「こんなこともできる」「あんなことも可能では」という気づきの結果が、ひいては世の中の仕組みまでも変えていくのである。革新には、まず目に見える、実感できるモノやサービスから取り組み、顧客に投げかけてみることが重要である。企業が市場で顧客と対話を重ねながら地道にモノやサービスに磨きをかけ、実績を積み重ねていくとき、その延長線上に「革新」が見えてくるのである。

以上のように、“革”を通して“変”に対応する、また自ら“変”を起こしていく話をした。次に、“革”を実現する6つの要素のうちの一つ、“価”についての話に移る。

 

“価”という漢字の正字は“價”。「人+賈(ものを売買する)」からなり、売買の「あたい、ねだん」、ものの「価値、ねうち」の意を表す。“価”を使った熟語には、価値、価格、評価、原価、物価、…がある。

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日本の企業は、優れた技術や製品を開発・製造する「モノづくり」力は高いが、付加価値や利益を創出する「価値づくり」が弱いと言われている。別の言葉で言うと、品質、機能といったモノのハードの側面は強いが、喜びや満足や幸せにつながるソフトの側面が弱いということである。この二面の評価が高い企業は、世間では「ブランド力」があると認知される。

ブランド(brand)の語源は、焼印を押す意味の”burned”で、自分の家畜と他人の家畜を区別していたことに由来する。それが、現在では識別のための「印」以上の「価値」となっている。ブランドに対しては、あたかもわが子を慈しみ、育てていくような感覚を持つことが大切である。幼いときには愛情をふり注ぎながら大事に育て、伸び盛りのときには十分に教育し、そして強く、立派な大人に育て上げていくように。

ここで大事なのは、ブランドを支えるのは「革新」であるということである。そして、商品には「こんなに素晴らしいモノが出たのか」と思わせる驚きがなければならない。常に新しい「価値」を付け加えていくこと、つまり従来の延長線上で考えただけの商品ではないという点がブランドには不可欠である。過去からの延長ではない、不連続性が革新性だとも言えるだろう。「革新」を商品に埋め込む商品づくりを長年続けることで、ブランドは育ち、生き長らえることができる。

また、プランドは顧客(消費者)と共に育てていくものである。企業の一方的な意図でできるものではない。その商品を介して、企業が顧客や市場と対話を繰り返すうちに、自ずと醸成されていくものなのである。企業は、顧客の声に敏感に耳を傾け、プランドにさらに新しい価値、驚きや喜びのある価値を付け加えることが大切である。そうすることで、さらなる信頼を得て、企業(商品)と顧客との絆をいっそう深めていくことができる。ただし、対話といっても企業は常に顧客よりも一段高いレベルで一歩先を行くことを忘れてはならない。企業と顧客が同じレベルで同じように歩んでいたら、顧客に驚きや感動を与えることは難しい。

冒頭で述べたように、日本企業は「価値づくり」すなわち、喜びや満足につながるソフトの側面が弱い。そうであるならば、新しい「価値」を考える上で、モノのハードな機能ばかりではなく、ソフトな機能を強く意識していく必要がある。もっと顧客の心に迫るような「心の付加価値」を意識する必要ということである。これが好きだとか、使ってみて気持ちが満たされるとか、幸せを感じるとかいったものである。すなわち、満足、幸せ、快適、安心、豊かさ……のような、感性に訴える「心の付加価値」である。これが今、日本企業には求められているのだと思う。

ここでのキーワードは、モノの「技」を超えた「心」である。心のモノづくりは、企業が製品やサービスを通して顧客や市場と対話することが出発点である。そして、顧客や市場に「革新」を問い掛け、新たな「価値」を認識してもらう。このようにして信頼を得ていくことで、その商品のファンを増やし、企業との絆を強めていく。このプロセスこそが、「ブランドをつくる」ということであり、企業の存在意義の一つにほかならない。

以上のように、“価”を通して“革”を実現するのである。次に、“革”を実現する一つの要素である“蛻”について述べる。

 

蛻 

“蛻”という漢字は、「虫+兌(かえる、とりかえる)」からなり、「ぬけがら。もぬけ、虫などが脱皮する」の意を表す。訓読みでは、蛻(ぬけがら) 、蛻る(もぬけ-る)、蛻の殻(もぬけ-の-から)、音読みの熟語には、蟬蛻(せんぜい)、蛻変(ぜいへん)などがある。

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「蟬蛻」は、蝉(セミ)が幼虫から成虫に成長する過程のなかで、地中から地上に這い出るとともに自らの殻を脱皮して大地に飛び立つ様のことをいう。また「蛻変」とは、セミに限らず、昆虫が幼虫から成虫になるときに脱皮しながら生態変化することである。

 このように、“蛻”を使った熟語は「脱皮して変化する」という意味として用いられる。ここで、脱皮して変化するときの前後の形態にも着目しておきたい。脱皮した後、姿形が変わらない生き物と大きく変わる生き物に分けられる。昆虫に限らず、ヘビやエビ、カニといった生き物も脱皮するが、これらの生き物は少し大きくなる程度で、脱皮前後で姿形は変わらない。一方、セミやトンボは、地中や水中から地上に出て、脱皮すると姿形が一変する。蛹(さなぎ)になって変態(完全変態)するチョウ、ハチ、カブトムシなども同様である。“蛻”を使った「蛻変」という言葉は、単なる脱皮というより「姿形を大きく変える」脱皮というイメージである。

このセミやチョウの蛻変的な生き方は、我々も多いに参考すべきである。例えば、チョウの場合、幼虫(青虫、毛虫)のときの行動範囲は、二次元の草や木の葉の表面に限られる。しかし、蛹を経て成虫(蝶)になると、羽根が生えることで三次元の空間を飛べるようになり、行動は二次元から三次元へと広がる。更に食べるものも草や葉っぱから花の蜜や樹液、果汁へと変わる。つまり、蛻変によって今までとは全く違う世界が開かれ、生き様ががらりと変わるのである。

企業も時にはこのように蛻変することが必要である。革新だ、改革だと言いながら、単なる脱皮だけに終わっていないだろうか。蛻変しないと真の革新、改革は起こらない。もし、蛻変せずに同じような仕事を、同じような人たちが集まって、同じような情報のもとで続けていけば、いつかは滅びてしまう。蛻変するためには、モノやサービス、今までやってきた仕事のやり方を自ら否定し、新しい仕組みを創り出すことが必要である。また時には外部から力を呼び込み、他社との協力、連携も必要であろう。蛻変することで、全く違う世界が見えてくる。新しい世界を知ることができるのである。その結果、企業の「革新」に繋がるのである。

言い換えれば、「蛻変」という不連続の変化を起こさなければ、企業は革新、改革することはできないのである。単なる脱皮という、形だけ大きくなる量的な変化を超えて、蛻変という質的な変化をおこさないといけない。それは、緩やかに坂を登るのではなく、まさに階段を一段一段上がるイメージである。セミやチョウといった生き物たちは、この蛻変を自然の環境のもとで本能的現象として行っている。しかし、企業は、変化する社会環境のもとで意識的に行なわなければならない。混沌とした時代のいま、企業もそして私たち自身も時には蛻変して大きく変身することが求められている。

以上、“蛻”を通して“革”に至るということを述べた。次に、“革”を実行するキーワードの一つである“解”について話を進めていく。

 

解 
“解”という漢字は、「角と刀と牛とを組み合わせた形」であり、牛の角を刀で切り取ることから「わける、わかる」の意を表す。訓読みには、解く(と-く)、解す(ほぐ-す)、解く(ほど-く)、解れる(ほつ-れる)、解る(わか-る)などがある。“解”を使った熟語には、解決、解析、解明、理解、分解、…がある。

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世の中の動くスピードがますます速くなり、そして驚くほどに物事が複雑化している。物事の考え方や価値観は、急速に変化し、従来の発想と物事への取り組み方のままで凝り固まっていては、世の中に取り残されてしまう。そうした変化に対して「革新」を起こすためには、身の回りの仕事、働く仕組み、組織のあり方など、様々な物事を様々な角度から、「解して」みる必要がある。この「解」という字、実は世の中の変化に適応するための解を与えてくれる言葉なのである。「解す」とは、外から内を、背面から正面を、裏から表を見てみることでもある。「革」を実行するキーワードの一つが「解す」なのである。

まずは分かりやすいモノづくりの現場での「解す」ことの例である。メーカーの新入社員研修では、自社の製品を分解し、再び組み立てるという作業を課すことがある(自動車メーカーに勤務していた筆者も車のエンジンを分解、再組立てした後、テストコースでその車を運転する経験をした)。その製品を構成している様々な部品の形状や役割を知るだけでなく、機械全体の構造と各部品との関係性を理解させるためである。また、製品開発、モノづくりのプロセスでは、リバース・エンジニアリングと呼ぶアプローチがよく知られている。これは、既存の製品を各部品にばらして、その形状や構造から機能を突き止め、製品開発につなげていく手法である。

物事の内部に隠れているものを要素に「解し」ていくと、要素間の関係性や全体の構造を理解できるようになる。そして本質が見えてくる。このことはモノづくりに限らず、広く一般に適用することができる。例えば、企業も「解し」てみれば、様々な部門・部署からなる「単位集団」になる。部門・部署の一つひとつは、様々な働きをする人の組み合わせで成り立っており、さらに一人ひとりは異なる個性を持っている。

ところが、企業にはそれぞれ固有の風土や文化、伝統があり、その下で社員が育つと物事の考え方や価値観が同質化してしまう。そうなると思考や行動に偏りが出てきて、型にはまって抜け出せなくなってしまう。これでは、「革新」など起きようがない。重要なのは、自分たちがいかに同質であるかを認識し、そこから抜け出すことだ。それには、組織や仕事のあり方を、一度、解して考えてみることである。解せば、様々な要素が一つずつ分かれて見えてくるので、必要か不要か、また要素を組み替えれば新しい価値が生まれるか、といった気づきが出てくる。

このように、「解す」ことで結果的に様々な気づきや発見につながり、物事に対して多角的な視点を獲得することになる。そこで見えてきた要素を新しくつなぎ替え、またそこに今までとは違う要素を加えて、新しい価値を生み出す。それが「変化する」ということであり、企業のなすべき基本的な活動なのである。
世の中はどんどん複雑化していくのに、経済も政治も硬直化している。こうした中、私たちは未来に向けた突破口を開いていく必要がある。そのためには、ちょっと立ち止まって物事すべてを「解して」みる。そこに新しい論点や切り口が、また次の時代を切り開くヒントが、必ず見えてくるはずである。

以上のように、“解”を通して“革”を実行するのである。次に、“革”を実現する一つの要素である“換”について述べることにする。

 

換 

“換”という漢字は、「扌(手)+奐(女性のしゃがんださま+手⇒女性の胎内から胎児を取り出すさま)」からなり、「とりかえる」意を表す。“換”を使った熟語には、換言、換算、交換、転換、変換、…がある。

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いま日本の企業は、既存の枠組みから脱却し、新たな価値を生み出す「革新」(イノベーション)が求められている。それは、20世紀にできあがった社会や企業の仕組みが古びてきて、この仕組みのままでは新しい21世紀の展望が開けないからだ。一般的に従来の手法では、対象となる物事を小さく分割し、ミクロな視点から分析的に見て改善や改良を積み重ねてきた。しかし、部分に焦点を当てて物事を見ていると、いつの間にか全体を見失ってしまう。このような要素還元的なアプローチでは、物事を本質から変えることはできない。だからこそ、1+1を2より大きくしようという発想ではなく、ゼロから新しいものを生み出そうという発想の「転換」が必要である。


今までのように、ミクロな視点で細かく分けた小さな部分だけを見ていては、物事の全体像はつかめない。物事の全体を俯瞰して、包括的にマクロに捉えようとするものの見方が必要である。例えば、環境問題やエネルギー問題について、起きている事象一つひとつに部分解を求めて取り組んでみても、全体解は出てこない。全地球レベルで人々の価値観を変え、生活に対する意識も改革しなければ、解決には近づけない。「革新」を起こす場合も同じで、部分的思考からの脱却と、全体的思考への転換が求められている。これは、よく言う「ホーリズム」(全体論、統体論)と相通じるものである。全体は部分の総和以上のものであり、部分をバラバラに理解していても全体を理解できるものではないという考え方である。

全体思考といっても、単に部分部分を一つにまとめただけ、技術や知識、人材などを寄せ集めただけでは新しいものは生まれない。こうした寄せ集めではなく、部分部分が互いに生き物のように繋がり、全体で見ると一つのシステムであるような仕組みが、「革新」を起こすには必要である。ちょうど、様々な臓器や器官などで構成されている人間の身体のイメージだ。これは「全体」ではなく「統体」と表現するのが適切かもしれない。統体とは全体を部分の寄せ集めではなく、生きている一つの全体と捉え、物事を考え、物事に取り組む発想である。言葉を換えれば、物事の本質は部分にあるのではなく、部分と部分との間にあるという考え方である。

こうした発想の「転換」を前提に、20世紀に細かく分けてしまった部分(全体の切れ端)を集めて、もう一度創造的な発想の下に新たに結合させ、新しい統体を創り上げなければならない。経済学者・シュンペーターは、「イノベーション(革新)とは新結合である」と定義しているが、まさにその言葉通りなのである。

考えてみれば、物事をマクロな視点から再構築するやり方は、日本人に向いているのではないかと思う。そもそも日本人には、個人プレーよりもチームワークを重んじる傾向が強く、個(部分)を超えて集団(全体)の中に大きな価値を見いだす考え方が精神文化として心の中に宿っている。一本一本の木を見るより森全体を見るように、物事を大きく捉えて議論することが、「革新」を起こす第一歩になる。そのためには、まず欧米流から脱して、頭を日本的な思考に「転換」しなければならない。

グローバル社会で生き抜いていくには、他の国々と同じような視点で革新を議論し、取り組んでいても勝ち目はない。日本人らしい発想や強み、得意技を確認し、これを拠り所として日本らしい「革新」を起こさねばならない。それを他の国の人たちの革新と世界を舞台にして競い合うのが、真のグローバル時代の姿なのだと思う。勝ち残れるか否か、この“換”に関わっている。

以上のように、“換”を通して“革”が実現されるのである。次に、“革”を実現する一つの要素である“捨”について述べていく。

 

捨 

“捨”という漢字は、「扌(手)+舎(祝詞を入れる器を把手のついた長い針で上から突き刺すさま)」。祈りの働きを傷つけ、祈りの効果をすてさせる行為を示す「手ばなす」の意を表す。“捨”を使った熟語には、捨象、捨身、捨離、取捨、喜捨、…がある。

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 「捨てる」の反対語は「拾う」または「取る」である。前者は「引き算」、後者は「足し算」のイメージである。どちらも世の中を「変革」していくためには必要不可欠であるが、実際のところ、私たちの周りは、役にも立たない、新鮮味のない情報やモノで溢れている。このような状況になったのは、欲しいものを何もかも継ぎ足す「足し算」でやってきたからであろう。しかし、今までのような足し算ではなく、そこには「引き算」の発想が求められる。なぜなら、その方が物事の本質に近づけるからである。

つまり、古いものを捨て、新しいものを取り入れる「新陳代謝」が求められているのである。新陳代謝は、生物が生きていくために必要不可欠な基本的な仕組みである。この仕組みがうまく働かなければ、あらゆる生き物は死んでしまう。会社という組織にも同じことが言える。この組織は、多くのヒト(人)が集まった一つの大きな生き物なので、ヒトに言えることはすべて組織にも当てはまる。会社(=組織)も日常的に新陳代謝が行われていないと、滅んでしまう。ただ単にエネルギー(食物)を供給しても、新陳代謝がないままでは未消化物が溜まって、やがて老廃物となってしまうばかりである。

新陳代謝とは、すなわち「取捨選択」することである。必要なものは残し、時には外から取り込み、不要なものは捨てる。当たり前の行為だが、それが毎日の仕事の中に組み込まれていないと、前に進むことはできない。では何を基準に取捨選択するのか。それは、その会社の経営の軸(理念や哲学)であり、生き方という軸だと思う。その軸を基準に物事を取捨選択してこそ、初めて経営戦略が生きてくる。取捨選択のプロセスがなければ、いくら立派な戦略を立てても全く意味がない。既存の商品群をはじめ、仕事の仕方や組織の運営などを見直し、仕分けていくことが必要である。

世の中が大きく変化する時には、必要なものと不要なものとの振り分けが起きる。今まで必要だったものが不要になったり、新しく必要なものが現れたりする。これこそが変化なのである。成長と発展の原動力が変化なのだとすれば、変化するには「捨てる」という決断が伴う。「捨てる」ことが、変化をプラスの方向に変えていく力となって、「革新」を起こす可能性を生み出す。はっきり言えるのは、「捨てる」ことで物事の本質が見えてくる、新しい視界が開けてくるということである。逆に捨てないでいると、それに縛られていて新しい世界は見えてこない。

ここで、「捨てる」対象は単にモノや仕組みに限らず、心の面も見逃せない。自分の傍らに「心のゴミ箱」を置いておき、心のゴミやガラクタを投げ入れる。そうすることで、物事の本質がよく見え、新しい発想も湧いてくる。企業が「革新」を起こし、成長を続けていくには、こうして過去のしがらみから解き放たれることが必須なのである。ゴミを「捨てる」をキーワードに、自分たちの仕事や事業を省察し、物的な、また心的なゴミを一度大掃除してはどうだろうか。そこには何か新しい発見があるはずだ。

以上のように、“捨”を通して“革”を起こしていくということを述べた。最後に、“革”を実現する要素の一つ、“擬”についての話をする。

 

擬 

“擬”という漢字は、「扌(手)+疑(杖を立てた人が後ろを向き、進むか退くかを決めかねて立ち止まっている形)」からなり、どのように行動するかを思いはかり、行動に移ろうとする前段階。「かりに、なぞらえる、にせる」の意を表す。擬似、擬態、擬人、比擬、模擬、…といった熟語がある。訓読みは、擬える(なぞら-える)、擬物(まがい-もの)、擬(まがい、もどき)となる。

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私たちの勉強会では、毎回、「こころ」に関する書籍を選んで輪読をしているが、この“擬”という漢字は、その中の一冊である松岡正剛著『擬 MODOKI』1)のテーマである。この書で学んだことの一つが、「世界を“擬”(もどき)で捉えることを積み重ねることで、本質に近づき、革新、改革が生まれる」ということである。この言葉だけでは意味を図りかねると思うので、「擬」について書かれていた内容に簡単に触れておく。

まず、「擬」とは何か?である。世の中、大抵の現象や事態にはノイズやゆらぎが含まれる。そして、それらは現象や事態がその本質に向かうにつれて発現し、簡単には排除できない。たとえ排除できたとしても、それらを捨象することは本質そのものではなく近似したもの、すなわち「擬」となってしまう。つまり、本質を求めていても、結果得られるものは、実は「擬」なのである。

また、心の面からの「擬」について論じられている。著者の松岡氏は、蕪村の句「凧(いかのぼり)きのふの空のありどころ」に強く惹かれてきたという。いま見ている空には凧(たこ)はもうなくて、ただ空だけがある。しかし、その空には、きのう見た凧が目に浮かぶ。いま「ほんと」の空には凧はないが、心の中の「つもり」の空には凧が揚がっているのである。この「きのふの空」がそこに見えるという見方を、世を「擬」とみなすということだと言う。そして「世」というものに対して、普遍を目指し過ぎると、何か大事な忘れものをしてしまうのではないかという警鐘も込めている。

そして、世の中には、本物があって「擬」があるのではなく、両者は混じり合っている。「ほんと」(本質そのもの)を捉えようとするより、(ノイズやゆらぎを含んだ)「ほんと」と「つもり」のまじった「擬」という状態でしか捉えられないのである。そして、「つもり」があるからこそ、「ほんと」が生まれると述べている。例えば、科学の分野では、今まで「ほんと」であったニュートン力学が、量子力学という「つもり」が進歩することによって量子力学が「ほんと」になり、「ほんと」と「つもり」が入れ替わった。たくさんの「つもり」の積み重ねがあったからこそ、我々は、「ほんと」を手に入れることができたのである。

このように「擬」というものを捉えると、「革新」「改革」に対しても同じことが言えるのではないかと思えてきた。真に革新的なモノは、合理性だけを追求していても生まれない。こんなモノが欲しいとか、これは楽しいとか面白いといった「つもり」が始めに必要である。凧が揚がった「きのふの空」をそこに見ないといけないのである。そして、「ほんと」と「つもり」の混じり具合を試行錯誤し、「擬」をより本質に近づけていく。そうした世を「擬」とみなすプロセスこそが「革新」を生み出すのである。

社会に首尾一貫性を求めても、そんなに世界は合理的にできあがっていない。世を「ほんと」と「つもり」のまじった「擬」と認識することからはじめ、そうして「擬」を捉えることを積み重ねていくことで、少しずつ本質に近づき、「革新」が生まれるのである。このようにして、“擬”を通して“革”を実現するのである。
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1)松岡正剛『擬 MODOKI -「世」あるいは別様の可能性』(春秋社、2017年)


以上、“変”を起こすには、あるいは“変”に対応する(または適応する)アプローチとして“革”があること、そして、“革”を実現するには、“価”、”蛻”、“解”、“換”、“捨”、“擬”という6つの要素があることを述べてきた。
次回は、“変”に対するもう一つのアプローチである“創”、および“創”に繋がる“夢”、”断”、“質”、“転”、“技”、“異”という6つの要素について話を進めることにする。

 

連載予定(過去掲載分は、タイトルをクリックしますとページに移ります)

連載にあたって  5月
第1話 漢字マンダラ   5月
第2話 ”変”、“知”、 “理”、“道” 6月
第3話 “革”(および “価”、”蛻”、…) 7月
第4話 “創”(および “夢”、“断”、…) 8月
第5話 “考”(および “観”、”望”、…) 9月
・第6話 “結”(および “包”、”緯”、…) 10月
・第7話 “和”(および “幹”、”芸”、…) 11月
・第8話 “調”(および  “静”、”流”、…) 12月
・第9話 “想”(および  “真”、”感”、…) 
1月
・第10話 “徳”(および  “悟”、”軸”、…) 2月
・連載を振り返って 3月



筆者プロフィール
常盤 文克(ときわ・ふみかつ)
元花王会長。現在、常盤塾で学ぶ。大事にしている言葉は「“自然”は我が師、我が友なり」(“自然”に学び、自然と共に生きる)。著書に『知と経営』『モノづくりのこころ』『楕円思考で考える経営の哲学』など多数。

丸山 明久(まるやま・あきひさ)
日産自動車技術企画部在籍時に丸の内ブランドフォーラムに参加、常盤塾に出会う。常盤塾・塾生。現在は、常盤塾での学びを果樹農業経営で実践中。

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