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「ゲコノミクス」を開拓せよ

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2021年6月号『アルコール・ダイバーシティ』に記載された内容です。)

日本人の半数以上は、実はお酒を飲まない。それなのに飲まない人は、いまだにハラスメントを受けていたり、飲食店でないがしろにされていたりする。しかしこのことを裏返して見れば、ノンアルコールの市場には、まだまだ開拓の余地があるとも言える。そんな「飲まない人の市場」を「ゲコノミクス」と名付けて、開拓を提唱しているレオス・キャピタルワークス代表の藤野英人さんにお話をうかがった。

 


「ゲコノミスト」が増えてきた理由


 

─ 藤野さんの著書のタイトルでもある「ゲコノミクス」、そして「ゲコノミスト」という言葉が、とてもキャッチーだと思います。どのようにしてこの言葉を思いつき、そして使うようになったのでしょうか。

藤野 金融という仕事柄、周りに「エコノミスト」とか「ストラテジスト」と呼ばれる人が、たくさんいるんです。「下戸(ゲコ)」(※以下「ゲコ」と表記)と引っ掛けて、お酒を飲まない自分のことを「ゲコノミスト」と、冗談で名乗るようになったのがきっかけですね。

─ ただの「ゲコ」ではなく、「ゲコノミスト」という言葉を耳にするだけで、何か新しさや面白さが感じられます。

藤野 ゲコは日本の社会では、長らく虐げられてきました。食事の場や宴会の席においては「お酒を飲むこと」が前提で、ゲコはヒエラルキーの下に位置しています。けれども、これからは「飲めるほうがいい」のではなく、「飲まないことが幸せ」という価値観に転換してもおかしくないと思っています。それを「下剋上」と引っ掛けて、「ゲコクジョウ」と呼んだりもしています。

─ この数年、「お酒を飲まない」というスタイルが、徐々に浸透してきたのを感じます。

藤野 最初にお伝えしておきたいのですが、厚生労働省の調査によれば、日本人成人の中で「ほとんど飲まない」「やめた」「飲めない」という比率を合計した55.1%の人はお酒を飲まないんです。飲酒の習慣があるという人も全体の20%しかいませんし、20代に限ってみれば、その習慣があるのは、たったの7.8%です。ですから、そもそもゲコは日本の中では決してマイナーなわけではなく、むしろマジョリティなんです。ただ、最近の風潮として確かに「飲まないこと」への注目が集まるようにもなりましたね。

─ 飲まないことを後押しする傾向が現れたのはなぜでしょうか。

藤野 いくつかの理由が挙げられますが、ここでは3つご紹介します。まず1つ目は「ダイバーシティ」です。性差もそうですが、色々な面でハラスメントに対して、厳しい目が向けられるようになりました。以前だったら「俺の酒が飲めないのか」なんていう上司や取引先もいましたが、それは今では完全にパワハラです。結果的に、お酒を飲まないというスタンスが多様性の観点からきちんと認められるようになりました。

─ 「アルコール・ハラスメント」、略して「アルハラ」なんていう言葉も生まれましたね。

藤野 2つ目は「働き方改革」です。以前は会社にはしばしば宴会というものがあって、それは全員参加が前提でした。けれども、もし全員の参加を求めるならば、それは業務になってしまい、会社としては残業代を仕払う必要も出てしまいます。会社からすれば、働き方改革も進めなければならない、そして宴会のために残業代を払うのもおかしいということで、そうした会は自由参加になって、出なくても良くなりました。結果的に、会社における酒の席というものが減っていきました。

─ 最近では誘う上司の方が気をつかうと聞きます。2019年末には「忘年会スルー」という言葉が注目を集めたりもしました。

藤野 3つ目は「健康志向」です。昔は「酒は百薬の長」という表現もありましたが、最近の研究では、アルコールは少量でも毒であることがわかってきました。となると、シニア層などは体調を気づかって飲まなくなっていきます。また、お酒を飲むと脳のパフォーマンスが悪くなりますから、それを嫌う若い世代もお酒を飲まなくなっていったんです。

 


ゲコノミストにも多様性がある


 

 

─ 藤野さんはフェイスブックで「ゲコノミスト」のグループを作って、メンバー同士の情報共有をされています。どのような場なのでしょうか。

藤野 ちょうど2年前の2019年6月に、そのグループを立ち上げました。すると予想以上の反響があって、メンバーがどんどん増えていきました。メンバー数はもう少しで5,000人に達します。ゲコは自身の体験や考え、あるいは役立つ情報をわかちあうような機会がこれまでほとんどなかったので、そうした場ができて歓迎されているのを感じますね。

─ メンバーはみな似たような境遇の人たちなのでしょうか。

藤野 飲む人からすると、「ゲコ」=「お酒が苦手で飲めない人」と思うかもしれません。けれども一口にゲコノミストといっても、実は非常に多様です。「お酒を飲める/飲めない」と「お酒が好き/嫌い」の2軸で整理するとわかりやすいです。

─ 4つのタイプに分類されるわけですね。

藤野 そうです。まず「お酒が嫌い」で「飲めない」というのは「真性ゲコノミスト」です。お酒を飲む人がイメージするまさにゲコですね。一方で、「お酒自体は好きだけれど、体質的に飲めない」という「酒好きゲコノミスト」もいます。それから「お酒は好きで飲めるけれども、飲まない」という人もいます。妊娠中・育児中の人などはイメージしやすいと思います。他にも健康の理由から飲酒をやめた人や、シラフで自分の時間を過ごしたいからあえて飲まないという人もいます。これを「選択的ゲコノミスト」と呼んでいます。

─ 海外の若者の中では、お酒を避けてシラフでいようとする「ソバー・キュリアス」というスタイルが定着していたりもしますよね。

藤野 そしてもうひとつのタイプは盲点だったのですが、「酒嫌いゲコノミスト」です。「体質的に飲めるけれども、酒の味が嫌い」という人たちです。考えてみれば当たり前ですが、お酒は嗜好品ですから、好きな人もいれば嫌いな人もいるわけです。調べていくと、このタイプの人も結構いることがわかりました。彼ら・彼女らは嫌いなお酒を勧められるのが面倒で、体質的に飲めないふりをしていることも多いんです。ゲコノミストといっても、その中に多様性があるということも、ぜひ知って欲しいですね。

 


お酒が人間関係に与える価値と増大するリスク



─ お酒を飲まない藤野さんから見て、「お酒の価値」とは何だと思いますか。

藤野 ひとつには、ワインに代表されるように「消費する楽しみ」はあると思います。特に高額なものになれば、文化としての深みも出てきます。フランスやイタリアは長年育んできたワイン文化が大きな輸出産業になってもいるわけです。それから、お酒には「場をつくる力」が昔からありますよね。一緒に酒を酌み交わすことで、お互いに心を開き、結束が強まるということは、確かにあると思います。ただ、お酒を前提としたコミュニケーションに関係構築を頼り切ってきた人にとっては、それ以外の方法がわからないということもあるかもしれません。

─ そうした人間関係の作り方一辺倒では、スタイルとして古いと感じますし、確かに限界がありそうです。

藤野 そうですね。これから先、会社や仕事という観点で「酒をベースにした結束」は難しいでしょうね。一方で、お酒はむしろプライベートな場所でこそ、より価値が高まっていくのではないかと思います。昔は、一緒に焼き肉を食べに行く男女は深い仲だなんていう話がありましたが、ひょっとしたらお酒もそのようになっていくかもしれません。本当に親しい人とだけ酒を酌み交わすというような感じですね。

─ 仕事や人間関係における、お酒のマイナス面はあるでしょうか。

藤野 今までは、お酒を飲めないことは出世にとってネガティブと見なされていました。一緒に酒を飲んで、腹を割って話ができないヤツとは仕事ができないというような考えです。でもこれからは、仕事においてむしろ酒を飲むことがリスクになる時代です。最近は会社として2次会や3次会を禁止するところもありますが、酒の場というのはセクハラやパワハラの温床になりやすいんです。酒の席での会話や行動が、売上などのプラスに繋がることよりも、ハラスメントや失敗に直結して、結果的に失脚するリスクのほうが高くなっていると言えます。

─ 食事の席における、飲む人と飲まない人の関係性はどうあるべきでしょうか。

藤野 私は昔から「お酒を飲めそうなのにね」と言われることがたくさんあります。似たようなことを言われたことのあるゲコはたくさんいると思いますが、そう言われてうれしい人はいません。というのも、この発言の裏には「飲めなくて残念」あるいは「期待外れ」というニュアンスがあるからです。この手の発言においては、セクハラやパワハラと一緒で、言う側に悪気はないんです。けれども、問題は受け取る側がどう感じるかです。大切なことは、相手が嫌がることは言わない、しないということ。ゲコのことを知識として理解していれば、こうしたハラスメントは減っていくはずです。私の著書『ゲコノミクス』はお酒を飲む人からすると、ゲコの話だから自分には関係ないと思うかもしれませんが、むしろ飲む人にこそ読んで欲しいですね。

 


飲食店で辛い思いをしているゲコノミスト達



─ ゲコノミストが色々なことを感じる一番の場所は飲食店だと思います。藤野さんは飲食店でどのような経験をしていますか。

藤野 例えば、きちんとしたフレンチレストランに行ったとします。すると、サービススタッフは当然のように、分厚いワインリストを持ってきますよね。そこで私がゲコだと伝えると、急に場の雰囲気が変わるのを感じます。一流店であれば、あからさまに嫌な顔をすることなどはありませんが、それでもスタッフが「あ、このお客は単価が低いな」と見定めたのを感じるんです。

─ 居酒屋やバルなどに限らず、レストランを含めて多くの飲食店では、「お酒を飲んでもらって当然」という雰囲気が根強くありますよね。

藤野 飲食店では料理とお酒のマリアージュといって、組み合わせの提案をしているのに、ノンアルコ―ルドリンクには力を入れていないというところがとても多いです。美味しくて品の良い食事に合わせるのが、オレンジジュースや甘い炭酸飲料というわけにはいきませんから、結局、ウーロン茶と炭酸水しか選択肢がないなんていうこともしょっちゅうです。すると、ゲコにとって外食というのは「ウーロン茶のがぶ飲み大会」になってしまいます。

─ 確かに、ウーロン茶を何杯も頼んでいる人を見かけますが、決して飲みたくて飲んでいるわけではないですよね。

藤野 別にゲコはお酒を飲む人に比べて貧乏なわけではないのですから、魅力的なノンアルコールドリンクがあるならば、喜んで注文するんです。それなのにゲコにとって選択肢がないというのは、店側の怠慢といえるのではないでしょうか。オレンジジュースやウーロン茶をおいておけば良いと思っている店というのは、想像力が足りないと感じますね。逆に、ノンルコールドリンクを充実させて、ゲコをきちんともてなしてくれる店というのは、すべてにおいて目配りがきいた良い店であることが多いです。

 


巨大なゲコノミクスを開拓・攻略すべし



─ しっかりとゲコを取り込んでいくことは、ビジネスとしても大切な視点ですね。

藤野 ゲコの間では、自分たちをもてなしてくれる良いお店の情報はあっという間に広がります。ノンアルコールドリンクを充実させることは、飲まない人の単価を上げたり、来店客数を増やしたりするプラスの効果のほうが大きいはずです。特にワクチン接種が遅れて、当面はコロナ禍が続くであろう世の中においては、飲食店はあらゆる形で売上を獲得していかないといけません。そして、これからはどの店も必然的にノンアルコールに力を入れざるを得なくなります。その前に一刻も早く魅力的な提案をして、ゲコの支持を獲得しておくのが得策でしょうね。

─ ゲコに優しいお店について、もう少し具体的に教えていただけますか。

藤野 実は、飲まない人を一番大切に扱ってくれるのは、バーかもしれません。一流のバーテンダーは飲まない人を決してバカにしたりしません。こちらがゲコだと伝えると、ノンアルコールのカクテルなどで精一杯もてなしてくれますね。

─ バーテンダーには実はお酒を飲まない人も多いんですよね。そして、彼らからすると、お酒だけでなく、ドリンクに関する知識を総動員しなければならないので、自身のクリエイティビティが刺激されるのかもしれません。レストランではいかがでしょうか。

藤野 東京・代々木上原にある「sio」というレストランは素晴らしいです。こちらではコース料理に合わせて飲み物を順番に出す「ペアリング」が評判ですが、ワイン主体のアルコールペアリングとは別に、ノンアルコールのペアリングも用意しているんです。彼らはお茶やジュース、ハーブやスパイスなど様々な食材を組み合わせて、オリジナルのノンアルコールドリンクを開発して提供しています。ワインならばセレクトするだけとも言えますが、ノンアルコールドリンクの場合は、料理に合わせてベストな飲み物を作り出すわけなので、それはむしろひとつの「料理」とすら呼べると思います。

─ 色々とお話をうかがっていて思うのですが、「ゲコノミクス」という言葉が示す通り、藤野さんはゲコと飲み物の関係を、ひとつの「市場」として前向きに捉えていますよね。

藤野 自分自身が投資家だからというのもありますが、まさにゲコの周辺にあるのは「オポチュニティ(機会)」だと思っているんです。飲食店はゲコが来ると客単価が下がってしまうのではないかというようにマイナスに考えるのではなく、潜在的に高まっているニーズを一気に顕在化させて、それを獲得する絶好のチャンスだと捉えて欲しいです。

─ 藤野さんが一貫して主張していることはアルコールの否定ではなく、ゲコノミストにいかにアプローチしていくべきかという点ですね。

藤野 私はもっとゲコに優しい社会にすべきだと思って色々と発信をしていますが、決してアルコールを敵視しているわけでも、その市場を削りにいっているわけでもありません。お酒の市場はそれを楽しむ人を満足させて成熟していけばいいと思いますし、一方でノンアルコールの市場はみんなでもっと拡大させていけばいいと思っています。飲む人も飲まない人も共存して、垣根なく楽しい時間を過ごせたら良いですよね。結局のところ、お酒に関するダイバーシティを大切にしたいということに尽きるんです。

─ 今日は貴重なお話をありがとうございました。

(インタビュアー : 子安 大輔  本誌編集委員)


藤野 英人(ふじの ひでと)
レオス・キャピタルワークス株式会社 代表取締役会長兼社長
国内・外資大手資産運用会社でファンドマネージャーを歴任後、2003年レオス・キャピタルワークス株式会社創業。「ひふみ」シリーズ最高投資責任者。投資啓発活動にも注力する。JPXアカデミーフェロー、東京理科大学MOT上席特任教授。一般社団法人投資信託協会理事。
近著に『投資家みたいに生きろ』(ダイヤモンド社)、『ゲコノミクス 巨大市場を開拓せよ!』(日本経済新聞出版)【写真右】

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