多様な森で生まれる未来

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2021年5月号『土地の地力 魅力度ランキングかい? 実はすごいぞ群馬県 』に記載された内容です。)


死は幸福なものなのだと感じた
だから群馬県高山村に移住した


 

自身の死生観や在り方に大きな影響を与えたのは祖父だった。ここは群馬県高山村。人口約3,600人の小さな村。 自宅の『カエルトープ』というお店を家族で運営しながら移住定住コーディネーターの業務を村から請けおっている。そして昨年の10月ごろ“在る森のはなし”というタイトルのプロジェクトをスタートした。

移住を決めたのは今から6年前。祖父のお葬式で6月に訪れたこの地で「そうか天国はここだったのか」と感じてその瞬間に私は移住を決めた。祖母が荷車を押してお墓へ向かう両脇には名前がわからない白い花が大量に咲き誇り、祖母を導いていた。私はその後ろをゆっくりとついていく。畑には祖父がインゲンの支柱を立てようとしたのか、支柱や紐がぽつんと残されて、インゲンは風になびいている。田んぼの向こうの方には骨だけになって壺に収められた祖父が、父に抱えられてお墓の方へと向かっている。

そんな景色の中で、「あぁ、おじぃちゃんは溶けていったんだ。今もここにいる」と感じた。その感覚は温かく、幸せなものだった。 そう、人間の視点でみれば死は悲しいが、全体の意識と繋がって感じたとき、死は幸福なものなのだと感じた。ここまで感動してしまっては、もう私の気持ちは揺るがなかった。仕事の整理をし、10年暮らした山形の地から迷いなく移住してしまったのだ。

移住・定住コーディネーターとして日々、移住相談を受けることが多いわけだが、「最終的には直感で決めてください。後は自分を信頼できるかどうかです」と伝えている。ちょっと冷たいようだが、それが一番信頼できる判断なのだと確信している。当の私が直感だけで動いてよかったといま感じでいるから。

 


自然>人間の世界


 

今、目の前にある景色はどんな景色ですか?今私の目の前には農作業小屋とそこにぶら下がった農具達。奥には桜が満開。私の後ろには田植え準備が始まった田んぼが広がっている。

日々何を見て、何を吸い込んで、何とかかわって生きるのか。そう考えた時に、生まれた土地に戻る気はしなかったのだ。 生まれ育った環境は、新興住宅地で右も左も正面も誰かの家。ちょっと歩いた所にあるのは3面コンクリートの川(というか用水路)。子どもだっから余白のある場所(ごみ捨て場や薮の中など)を探しては楽しく遊んでいたけれど、好きにはなれない場所だった。

人間が考えて作ったものではなく、それより大いなるものから影響を受け、生きて、死にたい。そう思った。自然がいいと言っているのではない、自分がどう感じたか、それに従うかどうか、という話しだ。

 


最大限に自分を発揮する生き方とは



それは本当にやりたいことをやること。本来の自分の役割に気づき、生きることだ。 そうは言われても、人間は自身の孤独感、不足感、無価値観からハリボテのように鎧を身に着ける。何かができる自分、世間に認められている自分、誰かに愛されている自分、そうでいないといられないのだ。そうなると本意とは違う言葉を吐き、行動をしている。そして、それはたいていの場合、本人は気づいていない。

運よく指摘されたとしても、まったく心当たりがない。そうなるといくら頑張っても、嫉妬や憎しみ、孤独感は大きくなるばかり…。自身がそんな状態にあることに気が付いた時には絶望した。

自然は私にとって美しく、本当の姿をして只生きている存在。そうなりたかったし、そこに本質を見ていた。その逆に私は人間にはその美しさを見出せなかったのだ。(見返すと過去のInstagramには自然の風景のみが並んでいる笑)

そんな私が本当に見たかった世界は、世が言う、役に立つとか、立派さではなく、人がそのままの自分を生き、血の繋がりを超えて本当の意味でつながり生きる世界だった。その景色に気がついた時に涙が出た。人間はこんなに尊いものだったのかと。自然を求めて移住した先で見つけたものは、人間が本当の意味で輝く世界だった。

それに気づくまでには、もがき苦しんだが、気づきあい成長する仲間がそばにいてくれた。だから、今度はそれができる場をつくろう、とイイヅカ観光という名前のチームを立ち上げ“在る森のはなし”がスタートした。人が本来の自分を取り戻し、そのままの自分を生きる森をつくろう、と。

 


1,200坪の土地を開拓



“在る森のはなし”の舞台は自宅から15分、山にむかって歩いったところにある。今ここにある里山の風景は、この土地に暮らす人々が手をかけているから在る風景。そして私たちはその恵みをいただき生きている。この原風景は、私たちに“ただそのまま生きていていいんだよ”と語りかけてくれている。

その一方、年々耕す人は減り、草に覆われ荒れた田畑は増えるばかり。今この場所の藪を刈り、水脈を整え土地の再生をしている。森の声を聴き、この土地がなりたがっている形と、人が心地よく過ごせる形の両方をみつめてデザインしていく。ここには焚火広場、畑や田んぼ、みんなで育てた野菜を料理する台所、食卓、今は荒れた大地だが、何年もかけて森もつくっていく。

 


在り方の更新



こうでなければならない。というベキ論が強く働くテーマとして“家族”があると思う。例えば産んだ親が子供をそだてる。というそれですらベキ論なわけだが、それが言いずらいほどに当然のこととして認識されているのではないだろうか。

きっとこの言葉を受けて、え?っと思う人も多いだろう。しかしよく考えてみれば、そうでなければならない理由がどこにあるだろうか。“在る森のはなし”は境目がなく家族という枠を広げていく挑戦でもある。

また中心メンバーとの対話、会議の時間も独特かもしれない。話し合うことといえば、その人自身の本当の言葉、本当の想いはなんなのか。それを発掘しあう作業だ。自分のなかの抵抗感、不安、それらの理由をみつめながら、自分で作り上げた自分を超えていく。プロジェクトを達成するために最短距離で進む癖がついてしまっていた私の当たり前は崩れた。

空き家や移住、過疎、子育て、貧困、自然破壊、世間の課題に対して、そこへストレートに頑張る必要はないと感じる。世界を見渡してみれば、もう本質が実現しない時代ではないことは多くの人が気づき始めているはず。本質を生きたとき、それが地球への最大限の貢献となるのだ。仲間たちとそのままの自分を生きる。そんな多様な森の中ではぐくまれる未来に希望をもっている。

図表 《クリックして拡大》

 

飯塚 咲季(いいづか さき)
森と人の媒介人・カエルトープ在住。移住・定住コーディネーターとしての活動を行うと同時に、カエルトープにて刺し子教室や地域資源を生かしたワークショップなどを開催。空き屋や使われずに放置された土地(1,200坪)を購入して“在る森のはなし”projectを開始。仲間と立ち上げたイイヅカ観光にて森づくりとコミュニティの在り方を模索、実践している。
Instagram:@iizuka_kanko、@saki_iiduka
在る森のはなしHP:https://iizukakanko.wixsite.com/site

このアイテムを評価
(0 件の投票)
コメントするにはログインしてください。
トップに戻る