新型でいこう:「リアル」再考~対面の価値とは

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2021年1月号『新型でいこう』に記載された内容です。)

新型コロナウイルス感染拡大によって、3密回避、在宅勤務の推奨など、「人が集まること」に制限がうまれた。そのため、「リアル(対面)」の価値を再認識する機会となっている。日常のリアルはどのような状況になっているのか、体験的に書いてみたい。


出勤


 

新型コロナウイルス感染拡大数に関係なく、ほぼ出勤している。新たな働き方という意味での出遅れ感は否めない。緊急事態宣言のころは在宅勤務に憧れていた。

一方、密のない職場は快適な面もある。飛び石連休の出勤日、そして、時にお盆のような静けさは、仕事を効率的にするようにも思える。これは、「オンライン」での業務が一般的になっているからこそである。家で、時には他のフロア、他の建屋で仕事をする人たちと、対面しなくても、会議等ができる。在宅勤務は様々なメリットを生んだ。

この機会に、働く場を含めて多様な働き方を望む人たちは明らかに増えている。出勤を拒む人もでてきた。管理者たちのなかには、どう対応すべきかがわからない人もいる。管理側が新たな働き方に対して、考えが成熟していないのだ。

その一方で、業務を進める上では、対面が最善。出社大前提という「リアル至上主義者」もいる。やっぱり顔を合わせないと伝わらない」と彼らは話す。

確かに、何回かオンライン会議をしてみたものの、「お互い思っていることが合致しているかが不安」と感じたときには、今後の業務を効率的にするためにも、リアル会議は役にたつ。「その場の空気」が解釈に役立ち、よく知らない人同士の場合には、距離を近づける。OJTなどが中心となる技術・技能の伝承もリアルのほうが向いているだろう。

しかしながら、新型コロナウイルスとの付き合い方が定まったころ、リアル至上主義者たちが「やっぱり出社が大前提」と言い出す可能性は否定できない。しかも、リアル至上主義者は要職を占めている可能性もあり、「在宅勤務OK」といいながらも、裏の気持ちを持ち合わせる可能性が高い。

「在宅勤務で何も問題はない」「社員の働き方を大切にしてほしい」「コミュニケーションの基本は対面」と議論を戦わせても、おそらく並行線をたどる。

そのため、何のために仕事をするかを冷静に繰り返し心に刻まないと、目的を達成するために何が必要かは明確にならず、本当の意味での新たな働き方の許容には向かわないように思う。新しい働き方、生き方は、まだまだはじまったばかりである。

 


職場でのコミュニケーション



職場のコミュニケーションは大切であることは変わらない。現在、リアルの飲み会は、ある意味、感染との闘いでもあるため、無理せず少人数で行うか、自粛が多い。かわりに、オンラインでの飲み会を行う職場も増えた。開始時間は19時もしくは22時という設定が多いようだ。22時の場合には、お風呂にはいって、化粧も落として参加する。ある女性はいう。「25時まで続いたこともあり、気が進まない。全員で話すなんて無理」。

リアルとオンラインどちらがいいかといわれれば、「危険でなければ、リアル。リアルのほうが、時間制限もあるし、小さな単位で話せるので仲良くなりやすい」とも彼女は指摘する。個人や目的にあわせて、リアル、オンラインは選ばれていく。仕事と同じように、合理的に選ばれていくものなのだ。

 


おうち生活



「休みの日は、アマゾンプライムをみる。寝る。起きる。お酒をのみながら、またアマゾンプライムを見る、暇なので、実家で飼っている犬のLINEスタンプを作ったが、当然、家族にしか売れない。オンライン飲み会もあきた。素敵なおうち時間の過ごし方がわからない」と20代の独身男性が話す。

特にコロナ感染拡大下における「一人暮らし」のおうち時間は、生活を単調にするのかもしれない。私自身も、親には基礎疾患があるため、実家には帰っていない。友達にも会わない。毎日似たような日々を送っていく。Uber Eatsなどで食を楽しむといったこともできそうだが、ひとりではつまらないし、太るだけのようにも思える。お金もかかる。

単身者が増える状況下では、これまで周囲との絆が大切にされてきた。リアルに頼りすぎない暮らしはどうあるべきなのか。再考が必要となっている。

 


趣味



お稽古事も、同じ趣味の人たちが集まって取り組んでこそ、楽しみが広がるとされる。ライブ、スポーツ、舞台を見に行く人たちにとっては、「リアル」への制限は大打撃である。

現在は、その多くはオンラインでのサービス提供を余儀なくされている。サービスの提供側からみると、オンラインという新たな選択肢は、市場の拡大にもつながった。便利である一方、リアルほど満足にはつながらない人も多く、消極的な消費になる場合もある。満足できない気持ちをどうするべきなのか。時間の経過を待つしかないのだろうか。新たな暮らしに変化を遂げるのであれば、趣味をする側=推す側が変わるしかない。

どう変わるべきか。ちなみに、私の推しは今日「これまでの生活に戻ることをただ願うより、これからの生き方を練ったほうがなんだか楽しそう」と発言した。それだけで、ぱっと目の前が広がる。推される側は、推す側の気持ちをさらにマネジメントしていかなくてはならない。サービス提供側からの趣味を続けるモチベーションを維持向上させるための戦略が必要だ。

今後、くらしのなかの不要なリアルは廃れていくだろう。しかしながら、その変化のスピードは速くはない。時間をかけてもよりよい変化にするには何が必要なのか。そのためには、「あるべき論」ではなく、何のために必要なのかをもう一度振り返らなくてはならない。必要なリアルの在り方、実現の仕方はまだまだみえない。それぞれが少しずつでも、目的をもとに軌道修正をすると、新たな方法も見えてくるかもしれない。

 

中塚 千恵(なかつか ちえ)
東京ガス株式会社
日本女子大学文学部卒業、東京ガス株式会社入社。同社都市生活研究所で、約20年間、食、住まい、入浴、単身者、富裕層などのライフスタイル研究を行う。並行して、法政大学経営学大学院でマーケティングを学び、法政大学スポーツ健康学部では、スポーツマーケティング論を担当した。現在は、CSR、環境、コンプライアンス部門を経て、東京ガス地域企画部地域広報推進GM。著作に「できる人の書斎術」(新潮社)など。

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