リスク管理という日常

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2021年1月号『新型でいこう』に記載された内容です。)

コロナで見えた大きな課題、どのようにリスクに対応するのか、について“リスク管理”、“リスク排除”という観点から考えてみたい。今までも我々はリスク管理しながら生きてきたが、それは、“いつか来るかもしれないものに備える”というタイプの管理であった。例えば、損害保険、生命保険、火災や地震保険に入る、防災グッズを備える、防災訓練をするという類の備えをしながら生活していた。

企業でも同様に保険や訓練等は取入れられているが、これらではカバーできない突発的なイシュー、例えば情報漏洩、不正、欠陥品、あるいは災害等起こってしまったことに対しては、“危機管理”という枠組みの元、危機状態からの脱出とダメージ最小化に力がそそがれる。イシューの中でも人的災害のように、防げる類の危機については、それらのリスクを排除するための防止策、つまりガバナンス体制の構築とモニタリングや教育、人事制度に力が入れられてきた。

さて、コロナは、起こってしまったイシューであり、多くの国で危機状態からの脱出とさらなる拡大を防ぐため、国境封鎖と国内での封じ込め策、つまりロックダウンが実施された。これは究極的なリスク排除の策であり、その結果感染者は減るが経済が大打撃を受けるというコンフリクトを生んでいる。

筆者が住むシンガポールでは、国も小さくリスク管理しやすい、と客観的には思えた。しかしながら、建設現場等単純労働に従事する外国人労働者の住むドミトリーで春以降感染爆発が止まらず、4月以降サーキットブレーカーと呼ばれるロックダウンに突入して、多くの商業/企業活動を制限した。最も厳しい時期であった4月から6月にかけては、生活必需品を買うのも家族で行くことは禁止され、外出は一世帯一人のみ。

エッセンシャルサービスに該当し、オフィスに行くことや工場操業を許可された企業も、オンサイトでの上限人数や出社できる時間が厳しく決められ、オフィスに行く個人のIDを特定して毎日申請が必要となった。スーパーや病院、オフィス等への出入りも個人のIDと照合されるエントリーシステムが採用され、これは今でも続いている。このようにあらゆる策を講じて“リスク排除”に踏み切った結果、本稿を執筆している2020年12月現在、国内コミュニティでのコロナ陽性者はゼロを続けている。

幸いシンガポールは国の財政状態が非常に良く、過去からのリザーブ資金も豊富にある。ロックダウンによる企業や個人への影響をできるだけ小さく抑えるための、手厚い政府援助があったため、比較的経済ダメージは少ないと言ってよいだろう。ただロックダウンのようなリスク排除策をずっと続けるわけには行かない。現状は経済活動の再開に向けた段階的な規制の緩和を行い、国境も徐々に開けつつある。リスク排除が経済および心理面に与える負の影響も大きいからである。
これからは、リスクがある日常、という現実を受け止めながら、それをどう管理していくのかが問われることになる。例えばこの11月以降、シンガポールではリスク管理へと大きく舵を切った一つの例として、瀕死の状況にあるツーリズム業界を中心に、オペレーション再開を目的とした市場へのテストを開始した。

その一つが、cruise to nowhere(行先の無いクルーズ) だ。ダイヤモンド・プリンセス号に端を発した閉鎖空間におけるツーリズムの恐怖は記憶に深く残っている。クルーズ船ビジネスの救済と経済再開を含めた、シンガポール政府の観光業界活性化策の一つで、乗客をシンガポール住民に限定し、シンガポール周辺を遊覧して戻ってくる、寄港の無いクルーズである。

クルーズ業2社が、数々の対策を取ることを前提に運航を認められ、そのうち一社ロイヤル・カリビアンのクルーズ船Quantum of the Seasは、国の観光局によって発表された「安全なクルージング」スキームの一部として、4日間のクルージング旅行のため、12月上旬にシンガポールの港を出発した。

このクルーズはコロナリスク管理に特化した様々な対応策をとっている。乗客は乗船前にPCR検査を受けるだけではなく、乗船中に人とのコンタクトを追跡するブルートゥース機能をもつリストバンドをつけている。また、健康チェックも定期的に行われる。ところが出発して3日目に、乗客の一人が下痢の症状で客船内クリニックを受信した際、コロナの陽性反応を示したのだ。

この乗客は陽性反応が出た後すぐに隔離され、その後すぐに親密な接触者が特定され隔離された。親密な接触者は、PCR検査で陰性となっているが、さらに接触のトレースは拡大して行われた。また、乗客との密接な接触を持っていた乗組員も識別され、隔離され、その後PCR検査で陰性が確認された。

しかし、運営会社はこの時点で中止を決定し、4日間クルーズの3日目にシンガポールに戻ってきた。下船地にはメディカルチームが待機し、陽性反応がでた当該乗客を受け入れた。他の乗客は、客室内に待機しながら、順番に下船することとなった。さて、これはリスク管理が上手く行かなかった例だろうか?

ロイヤル・カリビアンは、“私たちがこの一つのケースを確実に特定し、迅速な対応を取ることができたことは、リスク管理の仕組が設計通りに機能していることの証です”と述べた。“私たちは政府と密接に協力してテストし、すべてのゲストと乗組員をトレースし、公衆衛生のベストプラクティスに従う徹底した対策と仕組を開発してきました。万が一の事態に備えて、船はいつでもシンガポールに戻り、乗客が下船できるようにし、必要に応じて直ちに医療支援を提供することも、リスク管理の仕組に含まれています”。

また、下船した乗客の一人はメディアのインタビューにこう答えていた。

“運営側は、例えば、プールには何人の乗客まで入れるべきかなど厳格に管理していました。また、我々乗客は、ブルートゥース搭載のリストバンドを常につけてオンにしておくよう求められました。そのため運営側は我々の居場所を把握し、また特定の乗客が、どの場所やどの部屋に、何時に入ったか、も知ることが出来ていたのです。こうした数々の対策は、煩わしくもありましたが、もちろん、我々の安全を守るためだと理解しています”。

そしてロイヤル・カリビアンは、今後出発する予定の別のクルーズは、予定通り運航すると発表した。

日本は犯罪や衛生面で安全な国として名高いため、日本人は日常的に身を守ることに慣れていない。これはコロナにおける所謂“自粛”にも通じることで、既に夏前から自粛疲れといった言葉が良く聞かれるそうである。ただしこれからは、リスク管理をする日常というものを、我々も企業も受け入れていかなければいけない。リスク管理に長けた企業、社会、国が、これからは活性化した場所となるのだと強く感じている。

 

松風 里栄子(しょうふう りえこ)
株式会社センシングアジア 代表取締役
博報堂コーポレートデザイン部部長、その後博報堂コンサルティング 執行役員、エグゼクティブマネジャーを経て、2014年、アジアへの海外進出支援を行う、センシングアジア創業。海外市場参入時の事業戦略・事業計画・マーケティング戦略と実行支援、コーポレートブランド戦略、CMO、マーケティング組織改革、M&A、ターンアラウンドにおけるブランド・事業戦略構築、新規事業開発で多くのコンサルティング実績を持つ。現在、シンガポール在住。

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