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ミス日本の軸

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2020年7月号『根力と軸行力』に記載された内容です。)

ミス日本は日本で最も古いコンテストだ。半世紀以上も続いているため一度は耳にしたことがあるかと思う。では「ミス日本コンテスト」がなんのために開催されるかをご存じだろうか。もちろん、見た目の美しさだけを競うコンテストではない。

主催団体の一般社団法人ミス日本協会は「日本らしい美しさで社会をよりよくする」を掲げており、出場者にリベラルアーツと社会工学に基づいた教育メニューを提供し、社会で活躍する女性リーダーの輩出に努めている。これまで800名を超えるミス日本を輩出し、学問、芸術芸能、スポーツ、政治経済など、夢の実現を後押しするコンテストとして展開されているのだ。


実際、応募してくる女性たちの半数以上の動機が「自らの将来のために学びたい、磨きたい、チャンスを得たい」と話し、前向きな向上心をもって挑戦してくるコンテストとなっている。


こうした目的や事業体制に行きつくまでに多くの変化があった。ただ、出発点はわかっている。この稿ではミス日本の歴史を振り返りつつ、現在掲げる目的の底流にある「軸」について紹介していく。


ミス日本の歴史と和田静郎

最初にも述べたが、ミス日本コンテストは国内で開催されるミスコンの中では最も歴史が古く、1950年から開催されている。太平洋戦争が終結し、戦後の苦しい時代にあった日本に、アメリカから贈られてきた救援物資「LARA(ララ)物資」が栄養失調にあえぐ日本の多くの子供たちを救い、日本復興への大きな救いとなった。これに対して1947年に衆議院本会議で緊急の感謝決議が行われた。


米国への感謝を行動に移すために、民間から親善大使を贈ることとなり、選抜のため1950年に開催されたのが、読売新聞社主催によるミス日本コンテストである。初代は「昭和の大女優」として名高い山本富士子さんが選ばれた。


彼女はアメリカにて二国間の友好を築くため、日本文化の体現者として精力的に活動した。その後、コンテストは1952年にも開催されたが、一連の親善の役目を果たしたミス日本コンテストは潔く中断する。


時代は変わり1968年。大阪万博を2年後に控えて「万博参加各国に親書を渡す」外交儀礼があった。これを民間の親善大使に担わせることとなり、選抜のためにミス日本コンテストは復活を果たしたのだ。開催権を持っていた読売新聞社と共にコンテストを主催したのは、当時「美人づくりの名士」として名を馳せていた和田静郎。私の祖父である。


静郎は生理学・生態学の研究者だ。お腹いっぱい食べて週に1回の体操で痩せる「和田式フィギュアリング」というダイエット手法を編み出し、日本最初のダイエット番組「テレビと共にやせましょう」を企画出演して世の中によく知られた人物であった。手法の紹介は省くが、現在の最新の保健学・生理学に照らしても極めて精緻に作られており、今でも何ら不自由なく理想の結果を得ることができる。


静郎がこの手法を生み出したのには理由がある。当時、牛や馬の生態研究に没頭するあまり、運動不足で自ら肥満になってしまったのだ。静郎は戦前から相撲をとるのが大好きで体力には自信があったようだが、鏡に映る衰えた肉体を見て「もっと活き活きと元気に暮らしたい」と考えるようになった。そこで牛馬での研究成果をヒントに、人間を健康にする方法を編み出していくこととなる。それも、薬や器具に頼らず、自らの力で健康を維持することを志向したのだ。


静郎がミス日本コンテストを主催するにあたり重要視したことは、心身ともに健康的であるかどうかだ。人の美醜とはとどのつまりは日常生活の選択の結果だ。何を食すか、学びに前向きか、どのように働くか、余暇をどのように過ごすか。こうした選択の積み重ねの先にいまの肉体がある。健康を手に入れる過程で、おのずと自らを律するようになり、けじめや分別を持った人間となっていく。


静郎はミス日本コンテストを、出場者たちの鍛錬の成果発表、あるいは人間形成のステージと位置付けた。出場者たちにとって、自らを律することで手に入れた健康的な肉体、健全な精神こそ、活力にあふれた人生を贈る上で最高の贈り物であった。そしてこの考え方は現在にも脈々と受け継がれている。読者のみなさまにも今後はそうした視点でミス日本コンテストに触れていただけたら幸甚だ。


美しさを磨き、魅力を手に入れる

今日のミス日本コンテストの理念は「日本らしい美しさで社会をより良くする」だ。日本らしい美しさとは①内面、②外見、③行動の3つを備えた状態を指し、これらは一生かけて磨くものと定義している。


内面の美とはルーツのことである。自らを構成するものを良く知ることで規準を備え、自信を手に入れることができる。例えば日本の歴史や文化、出身の地域について調べることや、両親祖父母の性格や職業から、自らのDNAにどんな要素が多いのかを知ることも効果的だ。


外見の美とは鍛錬のことである。先ほど述べた通り、美は一日にして成らない。毎日の選択の積み重ねを通じて健康はもちろん、健やかな心を手に入れていく。


行動の美とは目的や志しを持つことだ。自らを挑戦する場に置き、実力を発揮し、失敗する。この繰り返しの先にしか達成はなく、工夫と努力の繰り返しが成長をもたらしてくれる。ちなみにミス日本コンテストで教鞭をとる先生たちは歴史や伝統芸能、道徳やメイク


ウォーキング、社会活動などの様々な分野で活躍する方々にお願いしている。顔触れは老若男女さまざまだが、いずれも活き活きと好奇心と探求心に溢れており、現在も挑戦している。


3つの美を磨くことで、周囲を巻き込む魅力を手に入れることができる。この魅力はとても健全で「あの人は頼もしい」「あの人なら信頼できる」「応援したくなる」という共感を得られるようになる。ミス日本コンテストではこの3つの美を磨くため、受賞前はもちろん、受賞後も勉強や成長機会を用意している。


魅力を手にする近道はない。逆に、健全に健康に心身を鍛え、学び、試し続ける地道な道の先に、誰しもが必ず魅力を手に入れることができる。ミス日本コンテストは、このようにして将来の目標をかなえることを後押ししているコンテストなのだ。


魅力を支える健康

人は誰しも美しく魅力的に生きたいと思うだろう。心の中に理想の自分を思い描くとき、体はすこぶる健康だ。魅力とは健康の上に成り立つものなのだ。



私は運営者として、応募する若者のニーズが時代と共に変化していると感じる。最初は栄冠のステイタスをもたらすコンテストであった。バブル崩壊、阪神淡路大震災、同時多発テロ、東日本大震災、そしてコロナ禍を経て、若者たちは「自分はなにができるか」を考えている。


だからミス日本コンテストは教育に力を入れている。彼女たちの魅力的な輝きが、共感を呼び、新たなことを成す力になっていくだろう。そして健康的な生き方は誰にもできることが伝われば世の中はもっと元気になっていくはずだ。


初代ミス日本コンテストの運営者が抱いた理想、それは健康的な生き方を広めることであった。その価値は共有され、継承されている。時代が変わっても、健康という軸は変わらないだろう。


さて、次回のミス日本コンテストは来年1月25日月曜日に、感染症対策を施した上で開催する予定だ。観覧はオンライン越しになると思うが、壇上に登る女性たちが重ねた努力や奮闘に賞賛を送り、社会をより良くする一員として成長する姿に期待を寄せていただけたら幸いだ。

クリックして拡大(図1~4)



和田  健太郎  (わだ  けんたろう)
一般社団法人ミス日本協会理事  ミス日本コンテスト事務局代表。
東京都出身在住、東京工科大学情報工学部卒。大卒後に社会人ゼミ「プラスワン・ルネ国際研究所」に通い、リベラルアーツと社会工学について学び続けている。学んだ知見を活かし、ミス日本協会の構想を「日本らしい美しさで社会をより良くする」に集約して展開する。趣味は日帰り登山と讃岐うどん。うどん専用箸を持参して、年に一度は香川県にいくことを20年続けている。

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