「MEN FOR OTHERS」という美意識

イエズス会が運営する教育機関

昨年11月末にローマ教皇が38年ぶりに来日した。被爆地である広島・長崎への訪問、東日本大震災の被災者との交流、そして東京ドームでの5万人規模のミサなど、その精力的な活動と情報発信は大きな話題となった。

現在のローマ教皇はキリスト教、カトリック教会の会派のひとつであるイエズス会の出身である(ちなみに、日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルが所属していたのがイエズス会だ)。


実はそのイエズス会は日本国内で上智大学をはじめ、いくつかの教育機関を運営しているのだが、私の母校である栄光学園もそのひとつである。栄光学園は神奈川県・鎌倉市にあり、創立から73年目を迎える中高一貫の男子校だ。世間の一部からは、俗に言う「進学校」として知られている。


まったくの偶然ではあるのだが、ローマ教皇の来日直後に母校の同期による同窓会が、実に十数年ぶりに開催された。同窓会といえば、まるでタイムスリップしたかのように「あのときの感覚」が蘇るのがつきものである(とは言え、男子校なので甘酸っぱい思い出とはまったく無縁なのが残念だ)。そんな中、旧友との久々の再会で感じたのは、同じ時間を同じ場所で過ごしたことによるノルタルジーだけではない。心の深いところで「同じ価値観」を共有しているという、まるで同志のような感覚であった。


「MEN FOR OTHERS, WITH OTHERS」という教育理念

私の母校には明快な教育理念がある。それは「MEN FOR OTHERS, WITH OTHERS」というものだ。そのまま訳せば、「他者のための人であれ、他者とともにある人であれ」となるだろうか。この理念は遥か昔からずっと変わらずに継承されていて、私が在校していた30年近く前でも、それこそ耳にタコができるほど聞かされていたのを覚えている。


始業式や終業式など、式典とあれば校長先生が「他者のための人でありなさい」と言い続けるのだ。ちなみに、進学校の校長が「良い大学に行くことが、よい人生に繋がるとは限らない」と言っていたことは、私の記憶に強く残っている。


校長による「MEN FOR OTHERS」の話自体は覚えていても、果たして10代の自分がそれに対して何を感じていたかについては、正直定かではない。おそらく、「まあ、そりゃそうだよなぁ」とか「ふーん、また綺麗事を言っているな」と聞き流していた可能性は高い。けれども、中学高校という多感な時期に、繰り返し耳にしていた言葉、そしてその意味するものが自らの潜在意識に強く入り込んでいるのを、年々感じるようになっている。


ちなみに、母校で使っていた「PROGRESS IN ENGLISH」という英語の教科書があるのだが、それはイエズス会の神父がつくっただけあって、道徳的で、利他的なエピソードが多数盛り込まれていた。画家が病人のために自分を犠牲にして壁に本物のごとき蔦の葉を描く「最後の一葉」や、夫婦が相手への贈り物のために自分の大切なものを売ってしまう「賢者の贈り物」(いずれもオー・ヘンリーの作品)などの物語は、「MEN FOR OTHERS」の精神を強化するのに一役買っていたのは間違いない。


仕事観と美意識

自分自身のことを、自分より他人を優先できる高尚な人間だなどとはまったく思わない。しかし何かの仕事をする際に、「これには一体何の意味があるのだろうか?」、「誰のためになるのだろうか?」ということを自問するクセがあるのは自覚している。


もちろん仕事である以上、お金が大事なのは言うまでもない。けれども、そこに「意義」や「自分以外の誰かにとっての価値」を感じないのならば、そのプロジェクトには正直あまり興味を覚えない。そして仕事に対するこうしたスタンスは、母校によって育まれたであろう価値観と無縁だとは思えない。


実際、同級生たちの職業選択を見ると、そこには何か似たような「仕事観」を感じるし、それが先日の同窓会で改めて感じた同志のような気持ちに繋がっている気がしてならない(なお、医師と弁護士が極端に多いのだが、それは利他精神と経済的報酬が両立しやすい合理的な結果なのかもしれない)。


私は同窓生に共通する「MEN FOR OTHERS」の精神に、自分たちの「美意識」を強く感じる。美意識とは文字通り、「美に対する意識」のことであるが、少なくとも私はこの言葉を「美的センス」や「審美眼」というニュアンスで使うことはない。私にとって美意識とは、「何を良しとするのか」、「何を評価するのか」ということである。そういう意味では、実際に「MEN FOR OTHERS」になれているかはさておき、少なくともそうあろうとすることが、自分たちの美意識なのだろうと思う。


今こそ求められる「利他精神」

2008年のリーマンショックあたりから、資本主義の「強欲さ」が問題視されるようになった。もちろん数多くの問題はあれども、現時点では資本主義が社会にとって有効なシステムであることは間違いない。


しかし大きな問題は、そこに「利他的な視点」が欠如してきてしまったことなのではないかと思う。言葉では「WIN-WIN」などと言いつつも、本心では自分さえ儲かればいいと思っている。資本主義のそんな悪しき一面が暴走をはじめ、それを社会が制御できなくなってきたように感じる。そんな中、これから改めて求められるのは利他的な精神や態度なのだと思う。


あるいは年々注目度が上がり、企業経営にも多大な影響を及ぼしているSDGsも、一人ひとりがこのまま「利己的な行動」を続けた先には未来がないことに警鐘を鳴らしていると言える。ここでも求められているのは、自分のエゴを抑えてでも、大局的な観点で社会の総体利益を追求するべきだという、利他精神の推奨に他ならない。


「MEN FOR OTHERS(他者のための人であれ)」。極めてシンプルな言葉であり、ともすれば青臭い理想論に聞こえてしまうかもしれない。しかし、自分の身の回りからだけでもこうした態度で接していくことこそが、社会を少しでもベターにしていくきっかけになるのではないだろうか。



子安 大輔(こやす だいすけ)
株式会社カゲン 代表取締役
1976年生まれ。東京大学経済学部卒業後、博報堂入社。マーケティングセクションにて食品、飲料、金融などの戦略立案に従事。その後2003年に飲食業界に転身。飲食店や商業施設、ホテルなどのプロデュースやコンサルティングに数多く関わる。著作に「『お通し』はなぜ必ず出るのか」「ラー油とハイボール」(ともに新潮社)など。食について多様な角度で学ぶ社会人スクール「食の未来アカデミア」主宰。

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