定年女子が世の中を変えていく

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2019年10月号『インビジブル・マチュリエンヌ』に記載された内容です。)


「定年退職」のおなじみの光景がなくなりつつある。長年働いてきた職場で、同僚からの花束と拍手の中で、照れと淋しさで職場を後にする、というような風景だ。

そして、この見慣れたシーンの主人公は、間違いなく背広姿の男性であった。女性はと言えば、その夫を家で「お父さん、ご苦労様でした」とねぎらう専業主婦の妻という立場でしかなかったと思う。この定番の定年の光景も、早期退職や再雇用制度などによって、ここ数年で急速に消滅しつつあるが、それが男性であるという固定観念も実は正確ではない。


2015年2月に『定年女子 これからの仕事、生活、やりたいこと』という本を出すにあたり、定年を迎える女性たちについて調べたところ、なんと年間約10万人もの女性たちがそれに該当していた。彼女たちは、雇用機会均等法が成立する以前に会社に入り、産休はあったが育休がまだない中で、子供を産んで育てながらずっと勤め上げ、定年を迎えた女性たちだった。


女性の定年の存在を知ってほしい、その女性たちが、頑張って道を切り開いてきたこと、その道が今後さらに長く太く続き、そのことが社会の在り方を変えることにつながる、という希望がこの本を書いた動機だった。


その定年女子たちは、転職や再雇用でさらに仕事を続ける人々と、定年後はひとまず仕事から離れ、自分の生活を取り戻す人とに分かれていた。


いずれにせよ、実際の定年女子たちに会って話をすると、この世代の女性たちをひとくくりにした言葉、シルバー世代、シニア女性、アクティブシニア、熟年女性、などが、いかにも決まりきったステレオタイプに固まっていて、しかも現実とはズレているかを認識させられたのだった。


また、テレビのCMなどで、小さな子供が「おばあちゃん、ありがとう」と呼びかけるそのおばあちゃんの画像は、ひいおばあちゃんのこと?と思うほど、現実と合っていなかった。メディアの方が進みすぎているならまだしも、ひと時代以上も遅れている印象なのだ。定年女子たちの外見は、普通に無理なく若く、落ち着きと華があり、おしゃれであった。


というのも、この世代は、若いころ、女性誌の発展とともに年齢を重ねてきた世代なのであり、30代になると働く30代の雑誌ができ、40代になるとキャリアを持つ40代の雑誌、50代になると素敵な50代の雑誌が出て、最新の流行も、美容法も、健康法も、旅の宿も、レストランも、映画も、何でも知っているのだった。知った上で、自分に合うものを取捨選択しているのである。


もちろん、このような情報や知識は、仕事をする女性だけでなく、専業主婦の女性たちも等しく持っていることは断っておかなければならない。


また、この世代の女性たちは、子供や孫と同じようにスマホを使い、PCだって、若い世代と同様とはいかないまでも操作できる一方で、手書きの手紙やカードに親しみを持ち、社会常識を身につけ、アナログの良さも熟知している世代なのだ。また、彼女らは、30代の時にバブルを経験して、贅沢の楽しさを味わい、40代以降には平成の大不況に遭遇して、節約の大切さも認識している、そんな貴重な世代ともいえよう。


さて、このような多面的な要素を持つ定年女性たちが、これから先どんな生き方をしていくかについて、一つのキーポイントとなるのが、介護であると思う。今、介護を巡って、定年女子の生き方はわかれている。実際、定年間近に親の介護が大変になり、それで会社を辞めて、以後何年もずっと介護中心の生活を送っている女性たちは多い。


一方で、介護がない人、あっても負担がさほどでなかったり、長い介護から解放されると、女性たちは、自分がやりたいことへと向かっていく。ある人は仕事であり、ある人は社会貢献活動であり、またある人は趣味に生きがいを見出すようになる。今、私は、『定年女子  60を過ぎて働くということ』*¹を脱稿したところだが、この本は、定年後もさらに働く女性たちにスポットを当てたものである。


政府の、「人生100年時代」の方針とも相まって、企業も雇用延長に舵を切り、人々の意識も、「60歳を過ぎても働くなんて…」から「60歳過ぎても、働けるうちは働きたい」と変わりつつあるようだ。


それはともかく、定年間近の50代半ばから定年を経た60代の女性たちは、仕事を辞めた後に、もし介護がなかったら、どうするのだろうか。これは働く女性に限らないのだが、「なにかを極める」というよりは「あれもこれも楽しもう」というような「幕ノ内弁当」方式を採用しているように感じられる。


再雇用の下、週3日だけ会社に行き、その他の時間は、ボランティア活動をしたり、美味しいものを友人たちと食べたり、スポーツジムに通ったり、旅行したり、趣味の習い事を一つ二つやってみたり、という感じである。そして、その「幕の内弁当」の中身は、その時々の気分や、興味や、スケジュールや、人間関係や、そういったことで変わっていく。


それは、男性の、定年後はゴルフ一筋、将棋に夢中、マラソン大会を目指すといった単線的な時間の使い方とは、少し違うように感じる。おそらく男性は、仕事と同等の重みのある「何か」を探そうとするのだが、女性には、そのような発想はない。


大体において、現役時代、仕事一筋だった男性に比べて、女性たちは、仕事をしながらも、家事や子育てを(夫ではなく)自分がメインとなってこなし、そのほかの好きなこともずっと手放さずに何とか定年までやってきたのだ。常に、細かい時間配分の下に、同時進行の動き方をしていたのだと思う。


そして、その延長線上に、定年後の毎日があるのである。会社に行きながらも自分の生活はずっとあったから、それは定年後だってつながっているのである。だから、定年になって急に、「シニア向けのファッションはどんなかしら」と気になったり、デパートのシルバー世代のコーナーに立ち寄るといったこと事体、ちょっと不自然だし、魅力を感じるとは思えない。


女性には、それは仕事をしていた、いないに関わらず、その時々の「マイブーム」はあっても、押し付けられたイメージ(しかも、シニア?シルバー?)に乗ってみよう、そこにいれば安心、という発想はないのではないだろうか。


もちろん、女性の定年後は、楽しいことばかりではないだろう。孤独や、健康や、お金のことや、介護も含めた家族の問題など、個々が抱える問題は決して軽くはないと思う。しかし、仕事と育児と家事をこなしながら、何とか頑張ってきた現役時代と同じように、それらの問題も自分流で乗り切っていくのだと思うし、自分なりの楽しみはずっと手離さない気がする。


2024年には、均等法世代が60代になる。そのころには、定年は65歳に延長されている可能性が高い。そして、均等法世代のあとには、団塊ジュニアが続いていく。60歳以上の女性たちの公私にわたる活動は、今後さらに広がりをもって進んでいくと思われる。


【注釈】
*1『定年女子 60を過ぎて働くということ』(集英社文庫)
  2019年11月20日発売


岸本 裕紀子 (きしもと ゆきこ)
エッセイスト
慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、集英社ノンノ編集部勤務。
その後渡米し、ニューヨーク大学行政大学院修士課程修了。帰国後、文筆活動を開始。女性の人生を扱うエッセイのほかに政治・社会評論も手掛ける。
『感情労働シンドローム』『ヒラリーとライス アメリカを動かす女たちの素顔』『なぜ若者は「半径1m以内で」生活したがるのか』『定年女子 これからの仕事、生活、やりたいこと』など著書多数。
(写真右)
2017年にはNHKにてドラマ化もされた
『定年女子 これからの仕事、生活、やりたいこと』
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