教養を磨く “ものまね”

『ショア』という映画がある。ユダヤ人絶滅政策に関わった人々への淡々としたインタビュー集で、上映時間9時間30分という大作だ。

その中に「ユダヤ人は聖書を読む民である」というセリフがあった。それを聞いたとき、この「ユダヤ人」を「日本人」に変えたらどうなるだろうかと考えた。私たち日本人が国土を奪われ、言語も奪われ、名も奪われ、数千年間に渡って世界中を放浪し続けなければならなくなったとき、日本人は何をもって日本人たり得るのか。


これは日本人が単身、外国に滞在するときにも直面する問いであるし、そしてそれは日本文化とは何かを考えることにもつながる。日本文化の特質のひとつに「ものまね」がある。文字をはじめとして、日本には独自の文化は少ない。多くが外国の文化の「ものまね」である。しかし、ものまねは猿マネとは違う。たとえば私は能の舞台に漁師の役で出ることがある。


そのときに着る能装束は高度な技術によって織られた高価な着物だ。漁師はそんなものは着ない。リアリティという点でいえば失格だ。だが、「ものまね」という点ではまったく問題ない。「ものまね」の「もの」ということばは英訳が難しい語のひとつだ。本居宣長は『源氏物語』を評して「もののあはれ」といった。その「もの」である。


「物の怪」なんて言葉もあるし、「もの思い」という言葉もある。「もの思い」をしている人に「何を考えているのか」と問えば「別に何かを考えているわけではない」と答えるだろう。「もの」という言葉は、「これだ」とはいえない、ある漠とした状態をいう。言語化される以前の状態、それが「もの」である。そして、それこそが「本質」なのである。


能の漁師はリアルな漁師ではなく、漁師であること、漁師の本質、それを演じる。日本人の「ものまね」は本来、それであった。この「ものまね」は誇るべきものであり、そしてそれによって日本人は日本文化を築き上げ、近年でいえば近代日本・現代日本を造ってきた。


高密度・高質量な文化の形成へ
このような「ものまね」が可能なのは、日本に高密度な文化を築く土台があったからだ。日本人は外来の文化を輸入するときに、独自の方法を取った。仏教という壮大な宗教体系が入ってくる前に、我が国には「カミ」を中心としたやんわりとした宗教(のようなもの)があった。聖徳太子らは仏教を日本に輸入したが、しかしそれまであったカミを抹殺することはなかった。


カミのレイヤーの上に、仏教という新たなレイヤーを重ねたのだ。しかもそのレイヤーの地は透明で、下が透けてみえる。そうしてカミと仏とのゆるやかな共存関係が生まれた。これは宗教だけではない。文化にしろ、建築にしろ、政治手法にしろ、新たなものを入れるときに、私たちの祖先たちは前代のものを抹殺したり、絶滅させたりはせずに、その上に新たなレイヤーを重ねたのだ。これが日本文化である。


日本はユーラシアの終着点である。さまざまな文化が、これまたさまざまな文化のふるいにかけられて最後に到達する淀(寄止)である。前代のものに新たなものを重ねる手法は、無数の文化のレイヤーを積み重ねていった。その積み重なった透明レイヤーは(比ゆ的にいえば)質量をどんどん増していく。


結果、日本という狭い国土に、きわめて高密度・高質量な文化が出来上がったのだ。まるでブラックホールのような高密度・高質量の文化は、さらに多くの文化を引き寄せ、そしてそれらは既存の日本文化に取り込まれて日本流に変容し、新たな日本文化となっていった。日本の文化は、このように自然に生成する文化である。それはユダヤの神が「創造する」神なのに対して、日本のカミが「自然に生成する(成る)」カミであることにも似る。


常に変容し、常に生成する
前代の文化を破壊しない日本文化は、これまた日本独自の継承文化を生んだ。私のしている能は、650年以上前から現在にいたるまで一度も途切れずに演じ続けられてきた世界に類がない芸能だ。能がこんなにも長く継承されてきたのにはいくつかの理由があるが、そのひとつに「初心」というアイディアがあった。


「初心忘るべからず」という句は能を大成した観阿弥・世阿弥父子が残した言葉の中でもっとも有名なものだろう。だが、世阿弥らは現代使われるような意味でこの言葉を使っていない。「初心」の「初」という文字は「衣」に「刀」である。古代の辞書『説文』に「初は裁衣の始めなり」とあるように、「初」とは新たな着物を作るときに布地にはじめて鋏を入れることをいう。


布地がどんなに美しくても、着物を作るときには鋏を入れて裁断をしなければならない。人が変化するときも同じである。過去にどんなにすばらしい栄光があろうと、古い自分はバッサリ切り捨てる。それが変化への道である。人も制度も共同体も変化が止まれば衰退する。常に変化することを忘れるな、それが「初心忘るべからず」であり、日本の継承文化とは常に変容する継承文化なのである。


「どんなに切り捨てても、自分のものは自分の中に残っている。だから安心して切捨てよ」とも世阿弥はいう。表層で変化していく事項の深奥には変化しないものがある。だからこそ安心して変化ができる。俳聖・松尾芭蕉のいう「不易流行」もそうである。


その「不易」を担っているものが高密度・高質量な文化の土台だ。それに支えられつつ常に変容し、常に生成する。それが日本文化である。冒頭の『ショア』のユダヤ人を日本人に変えれば「日本人とは高密度な文化に支えられ、常に生成変容する民である」となる。高密度な文化を体していれば、どこにいても日本人は日本人たり得るのである。


安田  登   (やすだ  のぼる)
能楽師、ワキ方、下掛宝生流。公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)。
著作に『異界を旅する能』 『身体能力を高める「和の所作」』 『身体感覚で「芭蕉」を読みなおす。』『体と心がラクになる「和」のウォーキング』など多数ある。

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