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ゲーム産業革命 これからのゲーム業界はどこへ向かうのか?

原始を辿れば、人々が生きるために狩猟を行うことは広義に考えればある種のゲームだ。つまり、狩猟法やエサを工夫することで、獲物を増やすというゲーム攻略と考えても良いだろう。

さらに時代が進み、領土を奪い合うこと、領民を手中に収め統治することも、大きな政治的ゲームと言ってもいいかもしれない。それらを健全なかたちで、ルール化したものが現代に伝わるスポーツ競技であり、オリンピックがその集大成だ。象徴的なものは、日本では「野球」だが、欧米では「ボール・ゲーム」という名称が一般的で、ゲームという言葉の持つ戦略、戦術的な意味を表しているのかもしれない。


ビデオゲームは、それらのすべてをゲームとルールをひとつの世界観を短期間に構築したと言っても差し支えはないだろう。そのビデオゲームの起源は、諸説あるが、一般的には1962年当時、マサチューセッツ工科大学(MIT)の学生だった、スティーブ・ラッセルがDEC社の大型コンピュータPDP-1を用いて開発した「スペースウォー!」と言われている。この「スペースウォー!」は宇宙船同士が攻撃をし合う2人対戦型ゲームだった。おそらく、このソフトが原始からのスポーツ要素をデジタル化したゲーム産業のルーツと呼べるのではないだろうか。


「ゲーム」ビジネスのはじまり
第1次ゲーム産業革命
そして、その後、ビジネスとしてのビデオゲームが開花する。それを目に見えるかたちにしたのは「ビデオゲーム・ビジネスの父」と呼ばれるノーラン・ブッシュネルの活躍に負うところが大きい。彼は、ラッセルの「スペースウォー!」をヒントに、仲間とともに世界初の業務用(ゲームセンター用)ゲーム「コンピュータースペース」を開発した。このゲームはプレイ難易度が高すぎて大きな成功を収めるには至らなかったが、その後、他社が開発したテニスゲームをモチーフにした「PONG(ポン)」を開発した。

この「PONG」はテニスゲームやピンポンなどのテーブルスポーツをアイディアベースにしたもので、様々な点で改良が施され、多くのプレイヤーを魅了し、同時に創業したばかりのブッシュネルの会社「アタリ」(ATARI)※を躍進させる大きな燃料となった。ちなみにアタリ創業からの成長率はアメリカ産業界のなかでも群を抜いたもので、その記録はグーグルやフェイスブックの成長率をもってしても破られることが無い。このアーケードゲームでの成功は一般大衆をも巻き込んだムーブメントになり、私はアタリの誕生とアーケードゲームの誕生を「第1次ゲーム産業革命」を名付けている。その後、アタリは家庭用ゲーム市場にも触手を伸ばし、自社の規模拡大を試みるが、その野望は残念ながら潰えることになる。その理由は映画とタイアップした「E.T.」などのゲームカートリッジの粗製乱造で市場が飽和し疲弊、1983年、「アタリショック」と呼ばれるアタリの親会社のワーナーコミュニケーションの株価が暴落し、北米のゲーム市場は崩壊したと言われた。(※ATARIの命名の由来は囲碁用語より)


第2次・3次ゲーム産業革命
ゲームが家庭に
そして、そのアタリショックの反省のもとに、日本のゲーム会社の躍進が始まる。アタリの失敗を鑑みゲームソフトのクオリティ管理を徹底し、選ばれたソフトを供給し成功した会社が任天堂であり、家庭にゲームハード機とソフトを導入したファミリーコンピュータ(昭和58年・1983年7月15日発売)の時代が来る。ドンキーコング、マリオなどのキャラクターを同時に醸成し育成、任天堂はスーパーファミコンで日本のみならず欧米などで覇権を握ることになった。そして任天堂の成功=家庭へのゲームビジネスの浸透となる。これが「第2次ゲーム産業革命」である。永久に続くと思われた任天堂の長期政権は、ハードウェアの進化と、それに伴う表現方法によって転換することになる。

それがアーケード(ゲームセンター)ゲームなどで最先端のハードウェアや最新の3次元(立体)コンピュータグラフィックスをゲームに取り入れたコンテンツの登場で、セガから「セガサターン」、ウォークマンなど先鋭的な家電製品を数多くプロデュースしてきたソニーの(任天堂とのゲームハード開発プロジェクトが頓挫したために自社で発売導入までこぎつけた)「プレイステーション」が市場に投入された。これが一般的に言われる1994年の「ゲーム機次世代戦争」だった。この2社の参入によって、ゲームが従来のドット絵(点の集合体のキャラクター)から、リアルなコンピュータグラフィックスに依る3次元のキャラクターに進化を遂げ、リアルかつ流麗なグラフィックの世界観を提供できるようになり、従来よりも多くのユーザーを獲得することが実現した。

また、この時期には、従来のゲームクリエイター以外の新しい才能がゲーム開発に参加するようになり、ゲームソフトのジャンルの拡大やプレイ人口の増大を促進したことは言うまでもない。これによって次世代ゲーム機登場と言う「第3次ゲーム産業革命」が実現した。


第4次ゲーム産業革命
コンテンツが人を結ぶ
その後、2003年から2009年頃にかけては、従来型の家庭用ゲームに加えて、ドコモを中心としたガラケーでの着メロ、着ボイスなどの簡易なコンテンツ販売が促進されたが、これらは後にガラケーでのソーシャルゲームという展開を生み出し、短期間の重課金、親の携帯での子供による課金などの問題のトリガーになる。また同タイミングはPC(パソコン)における同時接続ネットワーク・ゲームも熱を帯び、一般生活とは隔離されたゲームのなかで生活する「ゲーム廃人」などの用語も生まれた。

これらの家庭用ゲームが生まれ、そして大きく成長した、つまり、ゲームコンテンツがネットワークと繋がり人と人がバーチャルながらも、リアルタイムで日本はおろか世界とつながるインタラクションを持ち得たもの、その時代こそが「第4次ゲーム産業革命」である。


第5次ゲーム産業革命
スマホアプリとVRの可能性
そして現在、2016年を俯瞰すると大きなムーブメントとアクションは2つあると考えている。ひとつは家庭用ゲーム、ガラケー、PCからの流れを汲むスマートフォンというポータルサイトら展開されるゲームアプリ。これは家庭用ゲームメーカーの参入はもちろんのこと、IT系、システム系、さらには個人でのゲーム開発まで、様々なバックグラウンドを持った開発者がエントリーしている。そのためコンテンツの幅も広く、今までとは異なる新しいユーザーの獲得を実現した。

そこにはLINE、DeNA、DMMなどの新しい顔ぶれも目立つ。そして、もうひとつがバーチャルリアリティ(VR)である。VRは仮想現実(無いものがあるように見える世界)。現在、家庭用ゲームでの使用を前提に研究開発が進められている。10月13日には、株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメントよりプレイステーション4専用のVRデバイス(機器)としてプレイステーションVR(PSVR)が発売される。すでにプレイステーション4は全世界で4000万台を販売した家庭用ゲームハードウェアであり、そこで展開されるPSVRは発売前から4000万台を販売するポテンシャルを持っていると言っても過言ではない。


さらにスマホで展開できるサムスン製GEARVRなど、簡易なVR体験を演出するデバイスも多く、その意味では2016年はVR元年であると同時に、「第5次ゲーム産業革命」と言っても差し支えない。おそらくこのVRという仮想現実体験によりゲームというコンテンツのポテンシャルが深まり、さらに表現やコミュニケーション方向の可能性が多様化するに違いない。また、直近の話題では、2015年7月11日、若くしてこの世を去った故・岩田聡、前・任天堂社長の1周忌に合せるように7月6日北米先行で導入されたゲームアプリが「ポケモンGO」である。


この「ポケモンGO」で使用されている技術は、グーグルが世界中で構築したマップ(地図)データと、その土地ごとのアクセス(またはログイン)データ、さらにはストリートビューやユーザーがフラグを立てた場所の写真などのビッグデータから成り立っている。それらはグーグルから独立したナイアンティック社が主導し、ポケモンの企画開発会社であるゲームフリーク、ポケモンの商品化を手掛けるポケモンカンパニー、そして任天堂という4社を総合するかたちでコンテンツ開発を促進してきた。日本での導入は、7月22日、Android向けスマホに対して先行して配信、遅れること2時間ほどでios向けに配信が始まった。ちなみに、この導入週だけでもスマホ端末が前月比の2倍以上のが売れた日があるという、つまりそれだけポケモンGOをプレイするための端末購入や交換があったと思うのが自然だろう。


ゲームライフスタイルの変化
プレイした人はわかると思うが、地図データを活用したポイント情報、カメラ機能にオーギュメンテッド・リアリティ(AR:拡張現実=周囲を取り巻く現実の環境に情報を付加・削除・強調・減衰させ、人間から見た現実世界を拡張する技術)をプラスしたもので、実際にはそこに居ないものが、カメラを通してみると、そこには魅力的なポケモンたちがいるという仕組みだ。


プレイヤー自身が歩き、ポケモンを探し、捕獲、育成、対戦、などの機能で楽しむことができる。これこそがまさにゲームの新しい革命であり、VRとARの技術、そしてスマホというデバイスの簡易性が付加価値を生むことで、「第5次ゲーム産業革命」と呼べる時代を演出している。


かくしてゲームはかつてのプラグアンドプレイ(電源を入れて、カートリッジまたはディスクを入れて、コントローラをつないで)という旧式な儀礼を通過することができた。さらにはポケモンGOが具現化したように、ゲームと外部とのつながりがシームレスになったということはゲームが持つ原始的な環境に近づいたとは言えないだろうか。 自分の好きなところで、好きな方法で、好きなだけ・・・というゲーム展開をユーザーは手に入れることができたということだ。


かつて、1979年にソニーがウォークマンを開発し、自分の好きな音楽が好きなときに、好きな場所で聴けることで音楽のライフスタイルの変化をもたらした。すでにゲームでも、スマホがポータルになったときから、ユーザーのライフスタイルの変化は徐々に始まっている。そして、「ポケモンGO」はその変化をさらに加速させることだろう。すべてのテクノロジーはある日突然生まれたものではなく、すでにある技術のプラスとマイナスまたは並行的な思考によって実現したものである。デバイスやツール、そしてソフトウェアは時代ともに変化していくことだろう。すでに、現実世界と仮想現実(VR)と拡張現実(AR)とゲームの融和、それらを一度でも味わったプレイヤーは、もう元の世界には戻れない。

 

黒川  文雄  (くろかわ  ふみお)
株式会社ジェミニエンタテインメント  代表取締役
黒川メディアコンテンツ研究所  所長
黒川塾  主宰
1960年、東京都生れ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミデジタルエンタテインメント、にてゲームソフトビジネス、デックスエンタテインメント、NHN Japanにてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。アドバイザー・顧問。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。コンテンツとエンタテインメントを研究する黒川塾を主宰。
『ANA747 FOREVER』『ATARI GAME OVER』(映像作品)『アルテイル』『円環のパンデミカ』他コンテンツプロデュース作多数。

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