全国書店員が選んだいちばん!売りたい本

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2018年10月号『賞の魔力』に記載された内容です。)

本屋大賞は正式名称を「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本 本屋大賞」といい、その名のとおり全国の書店員が投票で選ぶ賞として創設された。

投票資格は新刊書店に勤務する現役の書店員(アルバイト、パート書店員も含む)であることのみ。書店員が自ら読んで、面白い、もっと売りたい、と思った本を投票し、その結果で大賞が決定するというオープントーナメント形式の賞だ。


書店員が選ぶ賞を作りたい、という夢は書店員と出版社の営業が集う飲み会の席などで、以前からしばしば交わされる話題のひとつだった。つまり半分は酒の肴としての冗談。だが、その裏に既存の文学賞の選考に対する不満と、構造不況で沈滞する出版界に活気を取り戻すきっかけを作りたいという書店員たちの強い意欲があったことも事実である。


刊行から3年以上経った『白い犬とワルツを』が千葉県津田沼の書店員のPOPから全国的なロングセラーとなったり、『世界の中心で愛を叫ぶ』がやはり千葉県成田の書店のPOPがきっかけで100万部を超える大ベストセラーとなったり(最終的に320万部を超えた)、その数年前から「書店発ベストセラー」の動きが顕著にみられるようになった状況も後押ししてくれた。


書店店頭で手にとるきっかけさえあれば客は本を買ってくれる。一部の書店員たちが確信を深め始めたちょうどそのころ、2003年1月に第128回直木賞が該当作なしと発表された。横山秀夫『半落ち』が最有力とされ、全国の書店員も受賞を期待し、『半落ち』以外の横山の著書まで仕入れて発表を待っていたが、結果は期待を裏切るものだった。


直木賞をはじめとする既存の文学賞は数人の選考委員(主に作家)の合議で授賞作を決定する方法をとっており、その中では作品のクォリティがもっとも重視される。


2003年1月の段階で横山秀夫が警察小説の新星として既刊が続々と文庫になっているところであるとか、『半落ち』が週刊文春のミステリーベストテンの1位に輝いたばかりといったプラスαの要素は一切考慮されない。


この機会に直木賞を授賞すれば、書店の店頭は横山秀夫フェア一色になり、『半落ち』以外の作品も飛ぶように売れるに違いない、という想像はそこにはない。


既存の文学賞は書店の売上げを上げるために存在するわけではないのだ。だったら、自分たちで文学賞を作ればいいのではないか? 『半落ち』の落選をきっかけに同じように考えた書店員たちが声を上げ、意見を交換し、「本の雑誌」誌上で5人の書店員による緊急座談会「『本屋さん大賞』を作ろう!」が行わることになった。2003年夏のことである。


ここで「本屋さん大賞」の方向性が決まった。

①「本屋さん大賞」は書店業界、ひいては出版界を盛り上げるためのお祭りであり、普段あまり本を読まない人が書店に足を運んでくれるきっかけになるような賞にする。

②書店員なら誰でも参加できる公正なものにする。

③投票は1次2次の2回とし、2次投票では候補作を全作読んで「売りたい本」に投票する。

もちろん賞を作ること自体、全員が初めての経験。本の雑誌社と出版取次の社員、「WEB本の雑誌」のスタッフが加わり、実行委員会を結成し、本業が終わった後に会議を重ねた。


賞の名前は長い話し合いの末、「さん」を取って「本屋大賞」に決定した。自らに「さん」を名乗るのは恥ずかしいという至極真っ当な意見が書店員の実行委員から上がったのである。


2003年9月10日に「本の雑誌」誌上と「WEB本の雑誌」で告知を打ち、書店員のエントリー開始した。ありがたいことに自社のホームページのトップにリンクを貼ってくれたり、率先して書店にチラシを撒いてくれたり、たくさんの同業者からサポートの申し出をいただき、そのかいもあって登録者は238書店、299名に上った。


次いで、1次投票として2002年12月1日から2003年11月30日までに刊行されたオリジナルの日本の小説(文庫、新書オリジナルを含む)を対象に3作品を選び、順位を付けて推薦理由とともに投票してもらった。


日本の小説に限定したのは翻訳小説、ノンフィクションにまで対象を広げると、票が分散してしまう恐れがあったのと、全般的に売れていない小説を「もっと売りたい」という気持ちが実行委員会の総意としてあったからである。12月1日から2004年1月4日まで受付けた結果、160書店、191名の投票があった。


さらに1次投票の投票を1位=3点、2位=2点、3位=1・5点と点数換算し、得点上位10作を大賞候補作と発表。1月15日から3月3日まで1か月半を2次投票期間とし、候補作の中から改めて3作を推薦理由とともに投票しもらった。


1度だけの投票では多くの人が読んだ本が上位にくる人気投票に終わる危険性が多いと判断したためである。全10作を読んでの再投票というハードルにもかかわらず、2次投票の投票者数は82書店、93名を数えた。


その結果、『博士の愛した数式』が記念すべき第1回の本屋大賞受賞作となった。発表会の開催は2004年4月5日。受賞作決定から発表会までひと月の期間を設けたのは、投票した書店員がいる店舗には発表会当日に受賞作が確実に並ぶようにしたかったからである。


一般の文学賞は授賞発表の当日に作家本人も出版社も授賞を知らされるから、当日中に重版を発注しても書店の店頭に並ぶまでに最短でも10日以上かかる。「直木賞受賞!」と宣伝されても店頭に本がないのでは売りようがないのだ。本屋大賞は書店のお祭りなのであるから、受賞作がない、という事態だけは避けることを徹底した。


回を重ね、売れる賞であると認知されてからは受賞出版社もこちらの希望を超える部数を重版してくれるようになったが、第一回の受賞出版社である新潮社の担当者は、受賞を喜ぶと同時に困惑もしていた。当たり前である。


素人の集団が実行委員会を名乗り、海のものとも山のものともつかない賞を受賞しましたと言われても、果たしてどれくらい売れるか見当もつかないのだ。重版のリスクはすべて出版社が負う。このとき、新潮社が重版と投票書店への配本を引き受けてくれたことには、いまでも感謝している。


第1回の受賞作が受賞後1年で30万部を超えるベストセラーとなり、本屋大賞は予想以上に注目されることとなった。投票者数は年々増え、会場に入りきれないほどの人が集まったため、発表会の会場もどんどん広くなった。


投票者数の増加に力を得、かねてより投票者たちからの要望が強かった翻訳部門を第9回(2012年)から設け、さらにこの11月にはyahoo!ニュースと連携してノンフィクション部門を新設することにした。いずれも現段階では試みの一環の域を出ていないが、それぞれのジャンルの活性化に少しでもつながっていけば嬉しい。


発表会の会場費、インターネット投票システムの維持費など、賞の運営には思っていた以上の経費がかかる。実行委員会は全員がボランティアだが、だからこそ、本屋大賞に対する思いれは強い。


15年続けていちばん嬉しかったのは年に一度の投票が仕事を続けるモチベーションになる、という書店員の声だ。投票してくれる全国の書店員のためにも本屋大賞は長く続けていきたい、と思っている。

 


浜本 茂 (はまもと しげる)
昭和35年/1960年生まれ。
昭和58年/1983年(23歳)中央大学法学部在学中に、本の雑誌社に入社。昭和63年/1988年に一度退社するが、平成2年/1990年に復社。
平成13年/2001年(41歳)目黒考二のあとを受けて『本の雑誌』発行人に。
平成14年/2002年(42歳)書店員の有志で、書店員が決める文学賞の案が語られる。その案が具体化し、平成15年/2003年に本屋大賞の創設が決定。同賞事務局は本の雑誌社内におかれ、本屋大賞実行委員会の代表となる。
\平成17年/2005年(45歳)本屋大賞実行委員会がNPO法人化するにあたり、理事長に就任。

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